020─高等部二年─

「いくら嫌がらせの件で、お前は被害者であってもな。何故自分が嫌がらせを受けることになったか、お前は考えたことがあるのか?」
「それは……俺が、親衛隊を……否定したから」
「違う。お前は親衛隊を否定することで、この学園のあり方を否定したんだ。お前が外部生の旗印になるつもりはあるのかという話はしたな? こういう話が出る時点で、親衛隊以外の内部生にも、お前は反感を買っている」
「でもっ、この学園は……!」
「『おかしい』か? そんなのは今更議論にも値しない周知の事実だ。鳳来学園が特殊な環境であることは、皆、理解している。それでも大人たちが多額の寄付を行ってまで、鳳来学園を存続させるのは何故か。この特殊な環境が、必要とされているからだ。お前の言う『普通の』『正しい』環境を求めるなら、他にいくらでも宛てはある」

 大人たちにとっても、鳳来学園は唯一の箱庭だった。
 潤沢な資金でもって集められた教師や設備は全て一流のもので、親は誰もが一番良い環境を息子にと、寄付を惜しまない。
 そして外部生は、それを目当てに学園へやって来る。目当ての教師の授業が受けられるなら、設備を使うことが出来るなら、ランキングといった特殊な催事には目を瞑る生徒が多数を占めた。
 その中で異を唱える七瀬くんは、稀な存在だったんだ。
 だから怜くんの目にも留まったんだけど……。

「この件で俺はお前を見損なった。けれど俺の期待なんか、お前には関係のないことだ。それでもお前は、俺の期待に応える気はあるのか」
「…………」

 七瀬くんからの答えはない。けど何か言いたそうに口ごもっている気配は伝わってきた。

「お前に応える気があるなら、生徒会役員は解任しない。着任から日も浅く、この短期間で学園の全てを理解しろというには無理があるからな。だが今回の件で、視界は晴れたはずだ。……ちっ、予想以上に時間を使ったな」
「もう一時間のカウントははじめてるからね」

 時計を見た怜くんの言葉尻を拾った眞宙くんが微笑む。

「最後に七瀬、俺はお前の気持ちには応えられない。俺は誰に強要されることもなく、俺の意思で保と関係を持っているからな」

 言葉はなく、ただ七瀬くんの鼻を啜る音が聞こえてきた。
 七瀬くんは怜くんにフラれたんだ。
 ……あれ? ちょっと待って。

「怜くん、何断ってるの!?」
「今すぐ犯されたくなかったら、お前は黙ってろ!」

 いや、でも……! 早過ぎたの!? 告白するには、まだ好感度が足りてなかったの!?
 目を白黒させる僕を引き摺って、怜くんは歩き出す。
 そんな怜くんの肩を、眞宙くんが叩いた。

「怜、俺からも一言だけいいかな」
「何だ」
「自業自得だよ。ざまぁ」
「っ……」

 眞宙くんの一言に、怜くんは体を震わせたものの、すぐに歩みを再開する。 
 僕は怜くんに腕を引かれながら、状況を整理することに努めた。

 えっと……流れ的には、七瀬くんは怜くんル─トに入ってたけど、好感度が足りなくて、ハッピ─エンドには行けなかった……と?
 この場合、他のル─トへ行ったときと同じく、僕は自ら身を引くという選択肢があるはずで……はずで……。

 しかし、上手く考えがまとまらない。
 てっきり怜くんル─トに入ったら、怜くんは七瀬くんを選ぶと思い込んでいたからだろうか。
 それとも、その怜くんに腕を引かれているという状況が、思考を邪魔してるんだろうか。
 何故か僕は、腕を引かれる手の温もりに、泣いていた。


◆◆◆◆◆◆


「泣きたいのは俺の方なんだがな」
「ぐすっ……なんで……っ」

 寮の部屋に入るなり、ベッドに座らせられ、抱き締められる。
 腕からしか得られなかった温もりを、たくさん感じられて、更に涙腺が緩んだ。

「誰だって、好きな奴に終わりが見えている関係なんて言われたら、泣きたくなるだろ。まぁ、いい。今は泣き止むことに専念しろ。これじゃ話も出来ん」

 あやすように頭や背中を撫でられる。
 それでも足りないと分かると、怜くんは僕の目尻にキスをして涙を吸い取った。何か大事なことを言われた気がするけど、優しい顔への口付けに意識が奪われる。
 遂には舌が涙の跡を辿り、唇に到達した。

「んっ……は、ぅんんっ」

 イタズラな舌に翻弄される。
 舌は唇を舐めるだけでは飽き足らず、口内にまで進入してきた。優しく舌先で、舌の上を撫でられ、声が漏れる。

「怜、く……っ……」
「ちゅっ……このまま先に進みたいが、流石に眞宙が帰って来るな。涙は止まったか?」
「ん……」

 唇を離され、ぼうっと怜くんを見上げた。若干視界はぼやけているものの、新しくこぼれ落ちる雫はない。

「そういう顔をされると、押し倒したくなるんだが……今は話をする方が先決か」
「話って……」

 何を話せばいいんだろう。
 僕の本心は、怜くんの耳にも届いてしまったはずだ。

「お前は、俺との関係が終わると思ってるのか」
「だって……そうでしょ? 怜くんはいつか結婚して家庭を持つんだから」
「家庭を持ったら、お前との関係は終わるのか?」
「そう、でしょ?」

 どうして、そんな当たり前のことを聞くの?

「お前にとって、俺はその程度の男でしかないのか?」
「その程度って……怜くん、何を言ってるの?」
「保は俺のことが好きなんだろう? 俺が家庭を持ったぐらいで、諦めがつく程度の気持ちなのか?」

 怜くんの問いに、思考が追いつかなかった。そんな中で、ようやく最後の言葉だけをとらえる。
 ……諦められる? 怜くんのことを?
 そんなの…………無理に決まってる。

「諦められるわけないじゃん! 僕は怜くんのことが好きで、大好きで……! ずっと離れたくないのにっ……!」
「だったら離れなければいいだろ」
「バカ言わないでよっ! いくら好きだからって、好きな人の家庭を壊したいとは思わないよ!」
「誰も壊せとまでは言ってないだろうが」
「じゃあ何が言いたいの!? 分かんないよ!」

 グルグルと頭の中を回る怜くんの言葉に、目が回りそうだった。
 声を荒げる僕の両頬に、怜くんが手を添える。

「俺はお前を生涯、手放す気はない。言いたいのは、それだけだ」
「意味、分かんない……」
「だったら説明してやる。お前が言う通り、俺は将来家庭を持つ。跡継ぎを作らないといけないからな。だが別に愛人がいて、何か不都合があるか?」

 澄んだ碧い瞳を僕に向けながら、平然と怜くんは言い放つ。

「それは……僕に、愛人になれって?」
「嫁を貰うと言っても、所詮、政略結婚だぞ? それぐらいはお前にも理解出来るだろう? 俺だって愛する人間を傍に置いておきたい」
「いや……え? でも子供を作るんだし……家庭は大事だよ?」

 そこに愛人の存在なんて必要ない、というか、いちゃダメだろう。
 どう考えても子供の情操教育に良くないだろうし。
 僕は間違ったことを言っていないはずなのに、怜くんは胡乱な眼差しを向けて来る。

「あぁ……お前の家は、異常だったな」
「えっ!? 僕の家が異常なの!?」
「異常に家族仲がいいだろう。いい加減、親や兄弟にお前離れをさせろ」
「仲がいいのはいいことだよね!?」

 間違っても悪いことじゃない。そう僕が息巻くと、怜くんは疲れたように溜息をついた。

「そうだな、悪いことではない。だが、名法院家の人間からしてみれば、お前の家は異常だ。逆を言えば、俺の家が異常なんだとも言えるが。……俺の両親にはそれぞれ愛人がいる。それが俺にとっての普通なんだよ」

 パ─ティ─会場で見かける怜くんのご両親は、いつも仲睦まじそうで、愛人の存在なんて想像したこともあかった。けど思い返してみれば、二人が揃っている姿を見るのも、パ─ティ─会場でだけで……。

「……寂しくはなかったの?」

 ついそんな疑問が口をついて出る。
 両親に愛人がいる家庭環境なんて、僕にはまるで考えられない。

「別に愛されていないわけではないからな。お前と同じように、両親から大切にされている自覚は俺にだってある。世間的には仮面夫婦だと言われるだろうが、両親にとってお互いの存在は、戦友のようなものらしいぞ。それぞれ守りたいものを、守り抜く、な」

 戦友。
 世の中の夫婦全てが、恋愛の上に成り立っている関係でないことは、知っているつもりだった。政略結婚という言葉があるくらいだし。
 でもここにきて僕は、ようやくその言葉の意味を、理解出来た気がする。
 政略結婚といえども、必ずしも望まない結婚であるとは限らないんだ。
 むしろ互いを望み、契約を交わすことだってある。怜くんのご両親のように。守りたいものを、守り抜くために。
 戦友という間柄を聞いた僕は、目から鱗が落ちる気持ちだった。

「寂しいと言えば、夜、一人で寝るときに寂しさを覚えることはあった。けどそれは両親に愛人がいたからじゃない。元々家にいることが少ないのは、仕事が忙しいせいだと分かっているしな」

 一旦そこで言葉を切ると、怜くんは額をコツンと、僕の額に当てた。怜くんの銀髪が僕の黒い前髪に重なる。

「寂しかったのは、お前や眞宙のいない空間が、あまりにも静かだったからだ。高等部に上がるまで、学園にいる間は、ずっと傍にお前たちがいて、家に帰ったら習い事に忙殺される。そんな日常に、両親が家にいない寂しさを感じる暇があると思うか?」
「えぇっと……」

 習い事で忙しい日々に関しては覚えがあった。僕も色々とスケジュ─ルを詰め込まれていたから。それでも常に家族の姿があった僕としては、怜くんが過ごした日々を想像出来ない。

「お前は、俺を不幸だと思ったことがあるか?」
「それはない、かな……」

 名家に生まれ、大変そうだと思ったことはある。辛いことも少なからずあるだろうなと。けれどそれが不幸と呼べるものかと聞かれれば、違う気がした。

「俺も、自分が不幸だと思ったことはない。なら、こういうあり方があってもいいだろ。保は、俺の愛人になるのは嫌か?」

 悲しげに歪む怜くんの目に、胸が切なく締め付けられる。

「俺の愛する人にはなってくれないか?」
「っ……その言い方は、反則」

 ドキドキする鼓動は、恐怖心からでも焦燥からでもなくて。早くも心は期待してしまっていた。これからも、ずっと怜くんと一緒にいられるんじゃないかって。
 でも……。

「嫌、というか、心の整理がつかないよ。僕としては、怜くんにも子供との時間を大事にしてもらいたいし」

 父さんの笑顔を思い出す。うざったく感じることの方が多いけど、それでも笑みを向けられる安心には代えられないと思うから。

「ふむ……だったらお前も同行しろ。俺はお前との時間を減らしたくない」
「僕も一緒に怜くんの子供に会うってこと? 情操教育的に余計問題がある気がするんだけど!?」
「それぐらい言い聞かせば済むだろう。名法院の子供が、多少の理不尽を飲み込めないでどうする」
「どうするって……」

 それは裏を返せば、怜くんは飲み込んできたということで……ダメだ、何が正しいのか全く分からない。
 悩む僕の瞼に怜くんがキスを落とす。

「心の整理がつかないと言うなら、眞宙を見習って俺も待つことにしよう。すぐに答えを出す必要はない。だが他に目を移すことは許さないからな」
「他って……」
「二年に上がってからは、眞宙と一緒に過ごす時間の方が多いだろう? あまり俺を妬かせるな。理性がすり切れる」

 妬かせるとか、そんな。
 まるで怜くんが僕に……と思ったとき、彼の唇が耳に触れた。

「俺だって嫉妬するし、不安にもなる。お前だけの専売特許だと思うなよ?」
「っ……!」

 しっとりとした怜くんの声音に、頭がクラクラする。
 この人は本当に同い年なんだろうか。たまに見せる色気が同年代のそれじゃない気がしてならない。
 唇が、耳から首筋へと下りていくと、背筋が震えた。その震えを追うように、怜くんの手が僕の背中を撫でる。

「ぁ……」

 それは優しい接触で、あやされているだけのはず。けど僕の下腹部に、小さな火を灯した。
 話し合うための、二人っきりの時間なのに。はしたない自分の体を怜くんから離したくて、彼の胸に手を置く。
 しかしその手は取られ、目を合わせながら指に軽く口付けられた。怜くんの海の色から口元に視線が移り、ちゅっ、と彼の薄い唇が音を立てるのを見る。
 ダメ……もう!
 怜くんの色気にあてられたのか。愛人になることを迫られたせいか。それとももっと根本的な……寝不足のせいだろうか。
 僕の意識はオ─バ─ヒ─トを起こし、そこで途切れた。