018─高等部二年─
「信じるよ」僕はすぐに答える。
一刻も早く、怜くんの不安を取り除きたかったから。
真摯に向き合ってくれていることは、まだ掴まれた腕が痛みを発していることで、文字通り痛いほど分かった。
怜くんも、眞宙くんも、七瀬くんのためじゃない。僕のために、怒ってくれてたんだ。他人の罪を被る必要はないと。
僕の答えを聞いた怜くんは、目に見えてほっと息をつく。
新鮮な表情に、気付いたら僕は怜くんの頬に手を伸ばしていた。そろりと撫でると、その上に手を重ねられる。
「何だ」
「なんか……見たことない顔だなって」
「格好悪いだろ」
「そんな風には、思わないよ」
「じゃあ、どう思うんだ」
「愛らしいなって、ぅわっ!?」
手を伸ばしていたのもあって、急に立ち上がった怜くんに驚く。
「風紀委員室に行ってくる。他に話したいこともあるしな」
「え?」
「お前は引き続き、眞宙からも怒られてろ」
「えぇっ!?」
しかも怜くんはさっと背中を向けて、会議室を出て行ってしまった。
急な展開に、僕は眞宙くんが姿を現しても呆けていた。
顔を見せた眞宙くんに怒っている様子はなく、風紀委員室での荒々しさはすっかり消えている。
「ごめんね、会議室に閉じ込めたりなんかして。……どうしたの? 怜は怜で、顔を真っ赤にしてたけど?」
「えぇ……」
怜くんが、顔を真っ赤に……? 何それ見たい! じゃなくて、え? もしかして照れてたの? だから風紀委員室に行くって? 何それやっぱり見たい!
「今から行っても間に合うかな……」
「無駄じゃない? 他人に情けない姿見せるの死ぬほど嫌がるから、もう赤みも引いてると思うよ」
「残念……」
呟きながら、ふとした疑問が湧いた。
「眞宙くんは、怜くんの情けない姿を見たことがあるの?」
「…………」
僕の質問に何故か眞宙くんは黙り込む。
そして少し考える素振りを見せてから、口を開いた。
「怜にそんな姿があるって知ったら、保は幻滅するより可愛いとか思っちゃうよね?」
「ナデナデしたくなるね!」
「じゃあ、ノ─コメント」
「そんな!?」
もう半分、見たことがあるって言ってるようなものだけど。しかし僕が知りたいのは、情けない姿を見せたエピソ─ドであって、それを聞けないんじゃ意味がなかった。
「……でも眞宙くんは知ってるんだ」
「保だって、俺が知らない怜を知ってるでしょ。俺は心底、発情してる怜なんて知りたくないけど」
幼馴染みだけど、それぞれに見せる姿は異なるということだろうか。むぅ、でも怜くんの情けないエピソ─ド知りたい……。
不満を隠そうともしない僕に、眞宙くんは苦笑しながら、先ほどまで怜くんが座っていた椅子に腰を下ろす。そして諭すように話しはじめた。
「保、人は自分にとって都合のいいことしか話さないし、見せないんだよ。いくら小さい頃からの付き合いだって言っても、知らない面があるのは当然のことだ。本人が隠してるんだから」
言い聞かせるように、丁寧に。
耳に優しく、眞宙くんの言葉が届く。
「保は根が正直だから、疑うことを知らないんだろうけど、誰だって隠し事はするんだ。好きな人の前じゃ特に、ね。……だからあまり俺の言うことも信じ過ぎないでね」
言い終わると、眞宙くんは艶《あで》やかに笑った。
迫力のあるその笑顔は、ワインレッドの彼の髪に良く似合っていて────諭されているはずなのに、改めて告白されたようで、少し気恥ずかしくなる。
「怜に連絡したのも、風紀委員室での保の行動が完全に怜の沸点事案だったから、キレた怜を保に見せるためだったんだよ。俺としては本気の怜を見て怯える保を、慰めるつもりだったんだ」
「うん……本気の怜くんは怖かった。けど、僕のためだって分かったし。眞宙くんも、ごめんね! 僕の方こそ、自分のことしか考えてなくて……。それに怜くんに昨日のことを説明するように言ってくれて、有り難う」
感謝を伝えるため、僕は立ち上がって、眞宙くんに頭を下げた。
眞宙くんはいいよと笑って答えると、僕に再度座るよう促す。
「それも保にとって辛い結果になるなら、どうにか説得して怜から保を引き離そうと思ってたんだ。だけど……保を、『いつもの保』に戻すのは、やっぱり怜なんだって思い知らされてたところ。俺が話をしても、保は寝不足になるのに、怜は照れ顔一つで笑顔にするんだから、嫌になるよ」
「僕はその照れ顔を見れてないんだけどね!?」
僕のところには怜くんの顔が赤かったという情報しかきていない。けどそれだけでも、頬が緩んでしまうのも事実だった。怜くんに関しては、とことん現金だなと自分でも思います。
「保が今みたいな顔のときは、俺も安心出来るんだけどね。……最近の保を見てると、中等部のときを思い出すんだ」
「中等部?」
「一時期、情緒不安定な時期があったの覚えてる? 怜の顔を見ると、急に泣きそうになったり」
「あ─……」
前世の記憶を取り戻してすぐのときだ。あのときは生きる世界の違いや、ゲ─ムの結末に混乱しきっていた。
今はもう理解出来ているはずだけど……現実を受け止めきれない姿が、傍目には情緒不安定に映るんだろうか。
「流石に心配するよ。発端は七瀬くんのせい? 怜と保の仲を引き裂いてくれるならまだしも、ただ保を傷付けるだけなら、目に余るんだよね。俺がどうして怜と保の仲を認めてるか分かる?」
「ううん」
眞宙くんの問い掛けに、素直に首を振る。
別の人を好きだと公言してる人間に告白するのは勇者だと思ったけど、それ以前に眞宙くんは怜くんと僕の体の関係も知っていて、認めてくれているんだ。聖人かな……?
「怜が一番保を元気に出来るからだよ。明るく、笑顔に出来る。無理矢理、仲を引き裂いて自分のものにしたところで、そこに幸せがないことは俺の両親が示してくれてるからね」
ああいうのは、家だけでお腹いっぱい。と眞宙くんはうそぶく。そこに込められた諦観を、僕は計り知れない。
お互い家のことについて話すことは少なかった。僕の家については話す必要もないって感じらしいけど。この手の話題は、名家であればあるほどナイ─ブになる。
だから今も、踏み込んで話を聞くのは躊躇われて、僕は静かに頷くだけに留めた。
「いっそ彼には他へ移ってもらおうか?」
「他って……?」
「寮がある学校はここだけじゃないからね」
「いやいやいや、待って!?」
それって七瀬くんを他の学校へ移すってこと!?
とんでもない提案に慌てて口を開く。
「自主退学するのは僕の方だよ!?」
「保が? 何で?」
しかし余計なことを口走ってしまったことに気付き、両手で口を押さえた。
僕の発言を聞いた眞宙くんは、顔を近付け、僕と目を合わせるとにっこり微笑む。
「説明してくれるよね?」
「…………はい」
この笑顔からは逃げられない。
洗いざらい話せば、きっと頭のおかしい子だと思われる。
でもその方が、これから眞宙くんに不必要な心配をかけることも減るんじゃないか、という望みもあり────。
僕は、ここではじめて、前世の記憶について語った。
◆◆◆◆◆◆
話を聞き終えた眞宙くんは、会議室の机に突っ伏した。
素直に信じられる話ではないよね。内容が突拍子もなかったせいか、逆に嘘だとも思われなかったようだ。
机に突っ伏したまま、眞宙くんがぼそりと呟く。
「怜って思ってたほど、報われてなかったんだね……」
「眞宙くん?」
内容が上手く聞き取れず名前を呼ぶけど、独り言だったのか、返事はなかった。その代わり、はぁ……と一つ、溜息をついて眞宙くんが顔を上げる。
「とりあえず、保が自主退学する必要はないよ」
「どうして? でもそれじゃ怜くんが」
「怜と別れて距離を取るだけなら、在学しながらでも出来るよね? クラスも別なんだから」
「それで……いいのかな?」
「いいんだよ。保の話にある怜の……ル─ト? に入らなかったら、その限りじゃないんだよね?」
「だけど今の流れ的に、もうル─トには入ってると思うんだ」
明らかにゲ─ム主人公くんである七瀬くんと、怜くんが過ごす時間が多い。元々BLゲ─ム『ぼくきみ』のメインヒ─ロ─が怜くんなのもあって、関係を築きやすくもなっているし。
「……保は、この世界が現実であることは理解してるんだよね?」
「うん、流石にそれはね」
「え─と、ゲ─ムのイベント? も、細部が異なったりしてきてるなら、流れが変わる余地があるということじゃない?」
「うん……でも、大筋は今のところ変わってないし……」
「今のところ、ねぇ……」
すんなり前世の話を信じてくれた割には、眞宙くんの返事は煮え切らない。眞宙くんは恋愛シミュレ─ションゲ─ムとかしたことがないから、イマイチ実感が掴めないんだろうか。
「まぁ俺としては、ゲ─ムに沿って怜と保が破局してくれた方が助かるんだけど」
「破局だなんて大袈裟だよ。付き合ってもいないのに」
僕がそう答えると、眞宙くんはキョトンとした顔でこちらを見た。間の抜けた表情が、幼く見えて可愛いと思ってしまう。
「はっ……あははははは! 怜、ざまぁっ!!!」
「えっ!? 眞宙くん、どうしたの!?」
急に高笑いをはじめた眞宙くんに焦る。
何がツボに入ったのか、全く分からなかった。
「あははっ、あ─おかしい! でも、そうだね。怜が悪いんだよね? 自業自得だ。普段の行いが悪い結果なんだから」
「眞宙くん……?」
笑いが治まったと思ったら、今度は一人頷いて何かを納得している。その表情はとても晴れ晴れとしていた。
「うん、なるほどね。ねぇ、保の言う通り、大筋が変わらないなら、特に自分から行動を起こす必要もないんじゃない? 流れに身を任せるのも一つの手だよ」
「眞宙くんは、僕が何もしない方がいいと思うの?」
「保がゲ─ムの流れを信じてるならね。……保は、本当にこのまま怜から身を引くつもりなの?」
その問いは、既に何回も自問自答してきたことだった。
「七瀬くんとのことがなくても、僕と怜くんの関係には未来がないから」
「そんな顔をしながら言われると、俺は素直に頷けないんだけど」
今、僕は眞宙くんにどんな顔を向けているんだろうか。
自分の顔は自分では見られない。
けれど僕を見る、眞宙くんはどこか寂しそうな顔をしていた。
「はぁ……保が吹っ切れるのを待つしかないのか」
「吹っ切れるかなぁ……」
「そこは吹っ切れてもらわないと俺が困るよ。折角のチャンスなんだから」
こんな話を聞いた後でも、眞宙くんの僕へ対する想いは変わらないらしい。物好きだなぁ。
前世にプレイしたゲ─ムの内容を信じてるなんて、怜くんみたいに怖い一面を出されても、文句は言えないのにね。
お昼休みの残り時間があと十分ほどになったときだった。
怜くんが上村くんを連れて会議室にやってくる。上村くんは長い黒髪を揺らしながら疲れた表情を見せた。
怜くんは僕を前にしても、残念ながらいつも通りだ。
「名法院が姿を見せたら事情聴取どころではなくてな。結局、親衛隊員二人は自発的に七瀬に詰め寄ったことを認めたが、湊川もそれでいいか」
「うん」
「ではこの二人については改めて風紀委員で会議を行い、処罰させてもらう。そして湊川と佐倉にも、罰は受けてもらうぞ。隣室の様子を盗み聞きするなど、褒められた行為ではないからな」
腕を組んで宣言する上村くんに、眞宙くんは仕方なく僕に付き合っただけだと声を上げようとしたけど、他ならぬ眞宙くんに止められた。
「俺は自分の意志で行動したんだよ。保に巻き込まれたなんて思ってないから」
眞宙くんの言葉に、上村くんが頷く。
「湊川が強要していない以上、佐倉にも責任がある。それに佐倉は止められる立場にいた。生徒の模範である生徒会役員が二人も揃って、どういうつもりだ! 恥を知れっ!」
上村くんの一喝が、大気を震わす。
武道を嗜んでいることもあって、腹から出された声には凄まじい威力があった。
思わず肩を弾ませてしまったのは眞宙くんも一緒だ。
「これを風紀委員からの厳重注意とさせてもらう。加えて、反省文の提出を求める。明日からの一週間、生徒会のない放課後は、校内清掃にも従事してもらうからそのつもりでいろ。以上をもって、湊川と佐倉に対する罰とする」
どうやら僕と眞宙くんについては、処罰が決まっていたらしい。
上村くんからの注意内容は至極もっともで、罰に対しても、むしろその程度でいいのかと思ってしまう。
「えっと……それだけでいいの?」
「盗み聞きといってしまえばそうだが、実際の手段が幼稚過ぎる」
「幼稚……」
「湊川、お前は小学生か? 第一、多少の集音効果はあっても、不鮮明では意味がないだろ。この話が外に出たところで、マネをする奴がいるとも思えん。七瀬のことがなかったら、ただの笑い話だぞ。罰を下すこちらの身にもなれ。ただ行動に問題があることは確かだから、反省はしろ」
「はい……。面倒を起こして、ごめんなさい」
本当に謝らないといけない相手は七瀬くんだけど、上村くんに余計な手間をかけさせてしまったことも謝罪したかった。
頭を下げ、少ししてから顔を上げた僕に、上村くんは怜くんを顎でしゃくる。
「それより、名法院の世話を任せる。危うく風紀委員室が凍るかと思ったぞ」
「人を珍獣のように言うな」
すぐさま怜くんは不満を口にしたけど、似たようなものだろ。と上村くんの目は語っていた。