016─高等部二年─

 お昼休み、怜くんの教室で顔を合わせるなり、怜くんに拳でこめかみをグリグリされた。

「お前という奴は!」
「えっ、なんで? 痛い、痛い!?」

 理由も分からず悶えていると、眞宙くんが助け船を出してくれる。

「怜、保は今日調子悪いから、それぐらいにしてあげて」
「そうなのか?」

 すると怜くんは手の位置を変えて、眞宙くんと同じように僕の熱を計りだした。

「熱はないな」
「ただの寝不足だからね。っていうか、イキナリ酷いよ!」
「お前が学習しないからだろうが。眞宙も眞宙だ、目立つのは分かってただろう!」

 僕の抗議を一刀両断すると、怜くんは矛先を眞宙くんに向けた。

「また噂にでもなってた? 怜は気にし過ぎだよ」
「お前、わざとじゃないだろうな?」
「朝のことなら、保が体調悪そうだったから、手を引いて歩いただけだよ」
「……とりあえず、そういうことにしておいてやる。少し話したいことがあるから場所を変えるぞ」

 食堂に行くのかと思いきや、怜くんは生徒会室に向かって歩き出した。
 その背を追いかけながら、昼食はどうするのか尋ねる。

「お昼は? 何か購買部で買って来る?」
「いや、食堂に配達を頼んである」
「そういえば、配達もしてくれるんだっけ。朝から頼んでおいてくれたの?」
「込み入った話になりそうだったからな」

 生徒会室に着くと、ドアの前には既に食堂から配達にやって来た係の人が、昼食を載せたワゴンと一緒に待っていた。
 お盆に載せられた定食を受け取り、いつも会議で使っている椅子にそれぞれ腰掛ける。応接用のソファだと、ご飯は食べにくいからね。

「それで、怜、話っていうのは、朝の用事のこと? それとも昨日の七瀬くんとのこと?」
「朝の用事も七瀬関連だから、総じて七瀬のことだと言えるな。まずは昨日のことから話すか」

 『昨日の』という言葉に、一瞬動きが止まった。
 箸を持つ手が震えそうになる。……けど、これは向き合わないといけないことだ。
 眞宙くんは一度僕に視線を向けてから、怜くんの方へと移動させた。

「外部生の旗印に七瀬くんはなる意思があるのかどうかっていう話だったかな」
「そうだ。本人は組織だって対立するつもりはないと言っていた。だが外部生が不満を抱く気持ちも分かると、色々代弁されたよ」
「ふーん、例えば?」
「内部生は外部生に対して高圧的であるとか、だな。全員がそうであるとは言わなかったが、一部行動が目立つ生徒がいると。そしてそういった生徒は、大概親衛隊に入っているとのことだ」

 眞宙くんの問いに対する、怜くんの答えにピクリと体が反応する。

「生徒が入ってる大概の親衛隊って……怜くんの?」
「七瀬が言うにはそうらしい。しっかり管理しろと言われた」
「そんな!? 親衛隊は僕の管轄なのにっ!」

 親衛隊を統括しているのは、親衛隊長だ。七瀬くんの言葉が本当なら、文句は僕に言うべきだろう。
 しかし、ここで問題の本質はそこじゃないと気付く。
 七瀬くんは親衛隊の管理が甘いことを怒っているんであって、怜くんに怒っているのではないことに。
 僕の管理が甘いから、怜くんにまで迷惑をかけたんだ……。
 その事実に呆然となる。
 今まで親衛隊長としての責務には、真面目に取り組んできた。ガス抜きだって行ったはずなのに、全く意味を成していなかったってこと?
 僕は今まで、何を見てきたの……?

「保、大丈夫? 怜だって、保を責めるつもりで、この話をしてるんじゃないよ?」

 机に視線を落としたままの僕を、眞宙くんが覗き込むように顔を下げて窺う。
 心配げな彼に、僕は笑みを返せただろうか。
 全身に針金でも入っているような心地だった。何気ない動作でも体がギクシャクする。

「そうだ、別にお前を責めるつもりはない。七瀬の言葉にどこまで信憑性があるのかも分からないしな。それにこの手の不満は今までにだってあったことだ。これを完全に絶つことは難しいだろう」
「エスカレーター式で高等部に上がってきた内部生の仲間意識は強いからね。それに加え、家の社会的地位の高さから、どうしても上流階級という意識が手放せない」
「片や七瀬を含めた外部生の家は、そこまで地位が高くない。これで確執が生まれない方がおかしいだろう。内部生の全員が全員、高圧的ならまだしも、一部だけと言うなら、今までだって必要悪として認められてきた範囲内だ」

 確執による問題が大きくなりそうなら、風紀委員が動く。そしてその風向きを読むための装置の一つが、親衛隊という隊員を相互監視する組織だった。
 今までは、それで大丈夫だったと思う。
 けど七瀬くんの存在は、僕の不安を掻き立てた。
 BLゲーム『ぼくきみ』のゲーム主人公くんだからじゃない。彼だって、この世界では一人の人間なんだから。その一人の人間としての行動に、僕は心を乱される。

 画面を通して見ていたゲーム主人公くんの行動は、颯爽としていて格好良かった。誰にも臆せず発言出来て、物事を正しい方向に導こうとするエネルギーに溢れてて……そんな彼が、僕も大好きだったんだ。

 『画面の中の僕』も、こんな風に胸を締め付けられていたんだろうか。画面に映る彼は、いつも嫌味で、怜くんの前でだけ弱々しかった印象しか残っていない。
 プレイヤーとしての僕は、当然のことながら、彼にいい気持ちを抱いたことはなかった。
 そんな彼として、生まれて、育った僕。
 ねぇ、君も……こんな息苦しさを感じながら、生活していたの?

 ゲームの終盤では断罪され、退学に追い込まれる『画面の中の僕』。
 攻略対象である、名法院家や佐倉家の反感を買った彼は、きっと本家の湊川家からも縁を切られただろう。
 けれど、もしかしたら。
 彼は、その方が幸せだったんじゃないかな。
 怜くんとの関係はいつか終わるものだと、彼も知っていたはずだ。ゴールが見えている関係から、この鳳来学園から、いち早く解放される形になった、彼は。
 僕は、未だ縋り付いているけれど……。
 怜くんと、離れたくない。
 傍にいたい。
 でもそれだと怜くんは、幸せになれない。僕が学園を去ることで、怜くんは平穏を得られるんだから。
 答えは出ている。
 一年生のときには、覚悟も決まっていた。七瀬くんを目の前にして、大分動揺してしまったけど……。

 怜くん、ごめんね! 今から気合いを入れ直すからね!

 学園を去ることで、僕もこの息苦しさから解放されるなら。僕は、やはりやり遂げなくちゃいけない。

 性悪の親衛隊長に、僕はなってみせる!

 机の下で、こっそりと拳を握った。
 どうしても心が先に動いてしまって、事実確認が出来ていなかったけど、今のところBLゲーム『ぼくきみ』の流れとしては間違っていない。
 七瀬くんに親衛隊を管理しろと言われて、怜くんは本来の統括者である僕に反感を覚えたはずだ。今のところ、面と向かって責めはしないと言ってはくれてるけど。
 黙って話を聞いている僕を、怜くんと眞宙くんの二人は寝不足で疲れていると思ったのか、特に触れることなく話を続けていた。

「それにしても、話をしていただけの割には、長いこと部屋に戻って来なかったじゃない」
「……何が言いたい?」

 しかも僕が自分の考えをまとめている間に、話題が核心に迫ってる!?

「話だけで終わらなかったんじゃないの? だから全然部屋に戻って来る気配がなかった」

 暗に、僕を慰める時間はたっぷりあったと眞宙くんは言いたいのだろうか。うぅ、その節はお世話になりました!
 ビックリな提案もされたけど、待ってくれると言う眞宙くんの優しさに、心を打たれたのも事実だった。
 いくら次男と言えども、佐倉家の子息が跡取りを望まれないわけがないのにね。……だからこそ、僕は甘えてばかりじゃダメなんだ。

「お前が何を想像してるのかは知らんが、言うべきことは何もない」
「そう……はぐらかすんだ?」

 あくまで怜くんは話をしていただけだと言う。
 そりゃ、いくら友人に対してでも、エッチなことをしていましたとは言えないよね……。
 怜くんの返答を聞いた眞宙くんは、チラッと僕に視線を送った。

「待て、お前ら、何を知っている!?」

 明らかに動揺する怜くんに、僕は受け入れるしかないことを悟った。ちゃんとBLゲーム『ぼくきみ』のイベントが進んでいることを。
 これは喜ばないといけないことだ。
 怜くんは一歩ずつ、恋に向かって歩みはじめている。
 つい視線が下がってしまうけど、頑張るんだと自分に言い聞かせて、怜くんの方へ顔を向けた。
 その瞬間、机の上に置かれていた僕と怜くんのスマホが同時に着信を知らせる。

「何だ?」

 怜くんの声を聞きながら、僕も着信を確認した。
 同時にスマホが鳴るなんて、嫌な予感しかしない。
 届いたメッセージは、風紀委員長の上村くんからのもので――――。

『七瀬が名法院の親衛隊員に襲われた。七瀬は保健室、親衛隊員は風紀委員室に連行している』

 内容を理解することを頭が拒んだ。
 しかし体は動き、立ち上がって風紀委員室を目指す。
 今にも走り出したいけど、それは怜くんに腕を掴まれて止められた。

「人の目がある。動揺を見せるな」

 僕が慌てた行動を取れば、周囲にすぐ何かあったと気付かれてしまう。僕自身に関することならまだいいけど、今回は違った。
 頷いて、怜くんの言う通りにする。
 従う様子を見せると、怜くんは僕の腕から手を離した。触れられた温もりが切ない。昨日はこの手で、七瀬くんに触れていたんだ……。

「僕は風紀委員室に行くよ」
「分かった。俺は七瀬の様子を見てくる。眞宙は保に付いてやってくれ」
「言われるまでもないけど……何があったの?」

 怜くんが当然のように七瀬くんの名前を口に出したのを聞いて、胸がチクりとする。
 その痛みに気付かないフリをしながら、眞宙くんに届いたメッセージを見せると、彼は息を飲んだ。

「これは、急いだ方が良さそうだね」

 眞宙くんの言葉に、怜くんと二人で頷き返し、生徒会室を出る。すぐに怜くんとは分かれ、僕と眞宙くんは会議室を二つ挟んだところにある風紀委員室へ向かった。
 風紀委員室に着くと、そこには連絡をくれた上村くんと、加害者であろう、見覚えのある怜くんの親衛隊員二人がいた。
 七瀬くんの隣室に部屋を持っている、あの二人だ。

「上村くんもこっちにいたんだ」

 てっきり上村くんもBLゲーム『ぼくきみ』の攻略対象だから、七瀬くんの方にいると思った。そういえば忘れがちだけど、眞宙くんも僕の傍にいることの方が多い。
 これは……七瀬くんが怜くんのルートに入っているということなんだろうか。

「七瀬には、俺と同行していた風紀委員を付けてある。……出来れば部外者には出ていて欲しいんだが」

 僕に答えた上村くんは、切れ長の鋭い目を眞宙くんに向ける。しかし、眞宙くんは軽く両肩を竦めただけだった。

「……佐倉には言うだけ無駄か」
「怜同様、俺に命令出来る人間なんて上級生にもいないからね」

 いくら外界から隔たれていると言っても、家の威光が全く届かなくなるわけじゃない。財閥五家に名を連ねる人物を、敢えて敵に回したい生徒は、この学園には存在しなかった。七瀬くんだけ、ちょっと考えが違うかもしれないけど。

「他言無用で頼むぞ」
「もちろん。それに俺も、そこにいる二人が動いた理由に心当たりがあるから、話に参加出来るよ」
「本当か? 順に話を聞くから、座ってくれ」

 風紀委員室にも、生徒会と同じように会議用の長机が置かれていた。こちらは低価格でお馴染みのパイプ机ではあったけど。
 長机に合わせて一列に置かれた椅子に促される。
 僕は顔を青くして先に席についていた、親衛隊二人の隣に腰を下ろした。
 椅子に座ると、隣から小さく「すみません」と声をかけられる。……僕に対して謝るのは、お門違いなんだけどね。自分たちが問題を起こしてしまった自覚はあるらしい。
 更に僕の空いている方の隣の席に、眞宙くんが座った。
 上村くんは僕たちと対面する形で、正面の席についている。その両隣を風紀委員が固めていて、長机を間に挟み、三対五で向き合うことになった。

「先に僕としては、彼らが取った行動について聞きたいんだけど」

 文面には『襲われた』とあっただけで、七瀬くんがケガをさせられたのかどうかも分からなかったからだ。ケガをしていなければいいという話でもないけど、僕としては傷がないことを祈るしかない。

「そうだな。端的に告げるために『襲われた』と表記したが、私が発見したときは、そっちの……新山が七瀬の胸ぐらを掴んでいるところだった」

 新山と名前を呼ばれた親衛隊員が肩をビクつかせる。

「じゃあ、七瀬くんにケガは?」
「幸いなことに、ない。念のため隠れた場所にケガをしていないか、保健室には行かせたが、同行させている人間からも、今のところケガは見当たらないと報告を受けている」

 ケガはないと聞いて安心した。
 僕は七瀬くんに対して嫌がらせをしないといけない立場だけど、最初から他の隊員まで巻き込みたいとは思っていない。だからこそ昨日のことは内密にしたんだけど、まさかその二人が行動を起こすとは……予見出来なかった僕の落ち度だよね。

「なんだ。それなら襲ったというより、新山くんが七瀬くんに詰め寄ったっていう方が正しいんじゃない?」

 上村くんの話を聞いて、眞宙くんがそう発言する。
 けど上村くんは彼らの行動を軽くは見ていないようだった。

「それはあくまで私が彼らを止めた結果だ。人気のない場所に七瀬を呼び出している時点で、後ろめたい行動を取るつもりでいたのは明白だろう」

 どうやら昼休みの風紀委員の巡回で、彼らは見つかったらしい。親衛隊員は不審な人物を見付けたら、風紀委員に連絡するけど、風紀委員の巡回ルートは知らされていない。親衛隊員が問題を起こさないとも限らないからだ。
 案の定、その通りになって、僕は複雑な気持ちになった。
 これは相互監視の穴だ。
 普段から問題行動の多い生徒なら、皆気をかけるけど、今回のように突発的に行動を起こした生徒を見張る目はない。
 しかもこれ、完全に僕の責任なんだよね……。
 ならば、と僕は一つ息を吸って、上村くんを見つめた。

「上村くん、彼らは七瀬くんに詰め寄っただけだよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「だって僕がそう指示したからね」