015─高等部二年─

「一人で部屋を出て行くなんてどういうつもり? 保は、『抱きたい』ランキングで一位になったんだから、一人になるのは危ないって、風紀委員からも注意されてるよね?」
「ごめん……」

 眞宙くんに捕まった僕は、そのまま腕を引かれて、怜くんと眞宙くんの部屋に連れて来られた。
 ミルクと砂糖が多めに入ったコーヒーを手渡してくれながらも、眞宙くんの顔は険しい。
 今更僕が誰かに襲われるとは素直に信じられないけど、今の眞宙くんに口答えしない方がいいことは、経験則から学んでいる。

「大体、喘ぎ声が聞こえたっていうのも、あんな不明瞭な聞こえ方じゃ正直怪しいよ。現場を目撃したわけじゃないんだから、早合点しない方がいいんじゃないかな」
「うん……」

 この目で見たわけじゃない。けど前世の自分は、画面越しにその光景を見ていた。……なんてこと、眞宙くんに言えるわけがないよね。

「保は考えてから動くクセを付けないと。前々から注意されてるでしょ」
「はい……」

 眞宙くんの言うことは逐一最もだった。
 項垂れる僕を見て、眞宙くんはふっと息を吐く。

「それに、もっと保も我が侭を言っていいと思うよ。今回のことも、怜と一緒に行けば済んだ話なのに、変に気を使うから……七瀬くんと折り合いが悪いのも知ってるけどね」

 気を回して傷付くぐらいなら、真っ向から挑め。ということだろうか。
 もし未来を自分の手で切り開くことが出来たなら、僕ももっと行動を起こせたのかな。
 けれど中等部で前世の記憶を取り戻した僕は、現実が残酷であることを知ってしまった。

「今だけだから……?」

 ポツリとこぼれたのは、言葉が先だったか、涙の方が先だったか。

「今だけの、関係だから……我が侭を言っても、いいの?」
「保、俺はそういう意味で言ったんじゃなくて!」

 眞宙くんの焦る声に、僕の方こそ違うと首を振る。

「眞宙くんを、責めたいんじゃ、ないんだ……っ。僕こそ、いい加減、受け入れるべきなのに」

 前世の記憶のおかげで、僕の視野は広がった。
 そして何より深く心を抉られたのは、鳳来学園がゲームの舞台であること以上に、僕らを待ち受けている現実についてだった。
 BLゲーム『ぼくきみ』の期間は一年。
 だけど現実は、そこで終わらない。僕らに育ってきた過去があるように、先には未来が待っている。ある事柄については、予測可能な未来が。

 『ぼくときみのミニチュアガーデン』
 ゲームタイトルが示す通り、鳳来学園は、生徒たちにとって|箱庭《ミニチュアガーデン》以外の何ものでもない。

 高等部を卒業した生徒は、大学へ進学し異性と出会う。その頃になると、交友関係にも変化が生まれて、鳳来学園で過ごした時間は思い出へと変わるんだ。
 体を交えた相手とも、友人として交友は続くかもしれない。
 けれど、そこがゴール。

 仮に僕と怜くんの関係が、あと数年は続いたとしても、必ず終わりがやってくる。
 分家の三男坊である僕とは違い、怜くんには跡取りが必要だからだ。政略結婚であれ、恋愛結婚であれ、怜くんはいつかお嫁さんを貰って家族を持つ。
 ゲーム主人公くんである七瀬くんは、少し僕たちの終わりを早める存在でしかない。

 チャラ男先輩も、その親衛隊も、終わりがあると知っているから、体の関係を持つんだ。『抱く方』も、『抱かれる方』も、内部生は家が抱える事情を心得ている。
 今だけの関係。
 鳳来学園という名の箱庭にいる間だけの関係だと、僕らは知っている。眞宙くんだって。
 なのに、僕は。

「ずっと……傍にいたいなんて、そんなこと、許されないのにっ」

 まだ、僕は。

「バカだよね。前から分かってることなのに、踏ん切りを付けられないなんて」

 怜くんと、離れたくないと思ってる。
 今の、この時間を。
 箱庭にいる間を、楽しめばいいのに。

「怜くんの幸せのためなら、割り切れると思ってたんだ。けど、実際は、全然ダメで」

 怜くん、ごめんね。

「怜くんが……っ……他の人とって、思うと、すぐに、余裕が……なくなっちゃって」

 ごめんね。
 七瀬くんがいようが、いまいが、いつかは僕から離れなきゃいけないのに。怜くんに、迷惑はかけたくないのに。

「こんなんじゃ、ダメだって……分かってるのに……っ」

 みっともなく、縋ってしまう。
 きっとこんな僕だから、その内、愛想も尽かされるんだろうな。いっそ、そうなってしまった方が楽なんだろうか。
 目に見えて嫌われてしまえば、諦めもつくんだろうか。

「保は、ダメじゃないよ」

 視界が影に覆われて、温かい体温に包まれる。
 眞宙くんの言葉に、僕は嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
 息が整うまで、辛抱強く、眞宙くんが背中を撫でてくれる。その手つきは手慣れていて、それだけ僕がよく彼に慰められていることを物語っていた。

「保はさ……」
「うん」
「俺だと嫌なのかな」
「嫌って……?」

 何がだろうと、顔を上げる。けれど予想以上に眞宙くんの顔が近くにあって、その表情を窺うことは出来なかった。

「俺は次男で、怜みたいに跡継ぎは必要ないから。ずっと、恋人として保の傍にいてあげられるよ」

 優しい声が、甘く響く。
 これだけ泣き腫らしている僕を見て、眞宙くんの方こそ、嫌じゃないのかな。恋人にしたら面倒なのは、目に見えてると思うんだけど。
 優しい、優しい幼馴染みの言葉に、引いたはずの涙が一筋だけ頬を伝った。

「嫌じゃない、けど……」
「保は怜が好きなんだね」
「うんっ……眞宙くん、ごめっ」

 謝りきる前に唇を軽く吸われる。

「謝らないでいいよ。保が怜のことを大好きなのは、俺が一番良く知っているからね」
「眞宙くん……。眞宙くん、物好きが過ぎるよ」
「あはは、本人に言われちゃったかー」

 他の人を好きだと公言してる人間に告白するとか、勇者過ぎるでしょ。あと真剣に、僕のどこがいいのか理解に苦しむ。

「怜のことが嫌いになったら、いつでも俺に乗り換えていいからね」
「眞宙くんはそれでいいの?」
「保にとって怜が一番であることは、俺にはどうしようも出来ないことだから。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスっていう気分かな」
「眞宙くんは、強いね……」

 そのメンタルの強さを、僕も見習いたい。

「怜には家庭を持つまでの期限があっても、保にはないっていうのが大きいかな? 二人での生活が寂しくなったら、ペット飼おうね」
「何でもう一緒に暮らすことが決まってるの!?」
「保は寂しがり屋だから、一人暮らしは無理じゃない?」
「それは……そうかもだけど」
「大学に進学したらルームシェアしようよ」
「なんだ、ルームシェアの話だったのか」
「……保、詐欺には気を付けようね」
「え? なんで?」

 急にルームシェアから詐欺に飛んだ話についていけない。目をパチパチと瞬く僕に、眞宙くんが微笑む。

「素直に人の言うことを信じるのは、保の長所でもあると思うけど、俺としては少し心配かな」
「もっと人を疑えってこと?」
「自衛のためにはね。ゆっくり外堀を埋めていこうとする人間もいるんだから」
「うん……?」

 最後は頭を撫でられて、この話は終わった。
 泣き腫らした顔を人に見られるわけにもいかないので、そそくさと自室に戻った後は、夕食も部屋で食べた。
 桜川くんに心配されたけど、怜くんのことを話すわけにもいかず、体調不良ということで早めにベッドに入る。

 明日、気まずいなぁ……。

 七瀬くんの部屋で何があったのかは、当人たちしか分からない。けど、コップで隣室の声を聞いていた親衛隊二人の憶測は止まらなかった。僕もどちらかというと彼らの方の考えに傾いている。
 眞宙くんにはちゃんと確認しろって言われたけど。

 思い返してみれば、食堂で僕が七瀬くんと対立したときも、BLゲーム『ぼくきみ』のイベントと全く同じというわけではなかった。
 生きている世界が現実である以上、多少の差異が発生してしまうのかもしれない。
 だったら、今回の怜くんと七瀬くんのエッチなイベントも、細部が変わっていた可能性がある。
 うぅーん……やっぱり、怜くんから直接話を聞いた方がいいよね……凄く気が進まないけど。
 もし……もし、ゲームと同様のイベントが起きていたら、そのときは……。
 性悪親衛隊長らしく、『浮気だ!』って責め立てたらいいのかな。浮気も何も、僕と怜くんは付き合ってすらいないのに。

 そう、僕たちは付き合っていない。あくまで幼馴染みで、僕が怜くんの親衛隊長という間柄。
 BLゲーム『ぼくきみ』だと、怜くんルート攻略で、はじめて怜くんは告白を経験するんだ。
 七瀬くんが怜くんのルートに行かなかった場合は、将来の結婚相手に、怜くんは告白することになるんだろうか。

「……っ」

 心臓を鷲掴みされるような痛みを感じて、布団の中で背を丸めた。両膝を曲げて、赤子の体勢になる。
 耐えなきゃいけない。
 この痛みに、僕は耐えなきゃいけないんだ。


◆◆◆◆◆◆


 朝、目の下にクマを作っている僕を見た桜川くんは、休んだ方がいいんじゃないかと提案してきた。
 早くベッドに入った割に、睡眠が取れていなかったらしい。
 けど、こんなことで休んではいられない。
 昨日一緒にいた親衛隊員の二人には口止めしているものの、人の口に戸は立てられないのが世の常だ。
 外部生が結託をはじめているという話もある。
 親衛隊が関わらないなら、僕の出る幕なんてないけど、僕らは生徒会長である怜くんの親衛隊だ。内部生の代表格とも言える。巻き込まれないはずがない。

「心配かけてごめんね。顔は登校までに整えるよ」
「あまり無理はするなよ? 朝食と一緒に、栄養ドリンクも買ってきてやる」
「桜川くん、有難う」

 桜川くんを見送って、コンシーラーを探す。
 普段は基礎化粧品しか使わないけど、こういうときのために、顔色を隠す化粧品は備えてあった。
 怜くんや眞宙くんも、人に注目されることが多いので、体調の悪い日は、ファンデーションを持ち歩いていたりする。家柄的に人に弱ってるところを見せられないのは大変だ。
 しかし頑張ってクマを隠したつもりでも、幼馴染みには隠しきれないようで。

「保、大丈夫?」
「大丈夫。熟睡出来なかっただけだから」

 登校のため眞宙くんと合流するなり、顔を覗き込まれて心配された。
 桜川くんもいつになく、背後で僕を支えられるよう腕を伸ばしている。どうやら自分が思っている以上に、酷い顔をしているみたいだ。しっかりしなきゃ! と、桜川くんを振り返る。

「無理はしないって約束するから、桜川くんも心配しないで」
「分かった。……眞宙様、よろしくお願いします」
「任されたよ」
「では、行ってらっしゃいませ」

 朝の恒例行事。
 腰を綺麗に折ってお辞儀する桜川くんに見送られながら、僕と眞宙くんは寮を出る。そして玄関先で南くんとも合流した。

「おはようございます! あれ? 怜様はお休みですか?」
「そうだ! 怜くんは!?」

 南くんの言葉で、大切な人の姿がないことに気付く。
 寝不足は、僕から認識力をごっそり奪ってしまったらしい。
 僕の反応に、眞宙くんが目を丸くした。

「えっ、今気付いたの? 保、やっぱり今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「うぅ……さっき栄養ドリンク飲んだから、大丈夫なはず……。それより、怜くんは!?」
「用事が出来て先に登校してるよ。連絡入ってるはずだけど」
「あれ……?」

 眞宙くんに言われてスマホを確認すると、確かに怜くんからメッセージが届いていた。
 目のクマを隠すのに必死で、着信に気付かなかったみたいだ。
 僕がスマホの画面を見つめている間、眞宙くんは僕の額に手を当てて熱を計る。

「んー、熱はなさそうだね」
「ただの寝不足だからね」
「しんどくなったらすぐに言うんだよ。あと絶対、俺から離れてどこかへ行かないこと」
「はい……」

 このままでは、強制的に部屋へ戻されそうだったので、大人しく頷く。

「じゃあ手を繋いで行こうか」
「うん……うん?」
「あ、ボクも!」
「南くん?」

 何故か南くんまで、空いている僕の手を取った。南くんが手を繋ぐなら眞宙くんじゃ……?
 頭に疑問を浮かべながら、僕を真ん中にして三人並んで歩き出す。その様子が人の視線を集めたことは言うまでもなかった。