014─高等部二年─

 資料室でのアクシデントから五日、学園内で行われる催事の説明表が完成したのと同じくして、『抱かれたい』、『抱きたい』ランキングも発表された。
 思いの外、催事の説明表作りに時間がかかったのは、僕が資料室に行く度に怜くんが同行したせいだ。あれ以来LANケ─ブルに絡まることはなかったけど、資料室で怜くんと二人っきりになるとどうしても……ごにょごにょと言葉を濁したくなることに時間を費やしてしまった。
 説明表が完成に近付いた頃には、呆れ顔の眞宙くんにスプレ─型の消臭剤を渡されて、とても申し訳ない気持ちになりました。催事の説明表を作り終えた今、次はないと約束したい。

 校内新聞で発表されたランキングの結果は、予想通りだった。

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『抱かれたい』ランキング
一位 名法院 怜
二位 佐倉 眞宙
三位 上村 一紗
四位 板垣 八雲
五位 桜川 圭吾
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 見事に上位四人はBLゲ─ム『ぼくきみ』の攻略対象だ。しかし僕としてはチャラ男先輩より、桜川くんの方が上じゃないかと思う。これは親衛隊の組織票が入った結果かな……。
 この結果を受けて、桜川くんの親衛隊が発足する日も近いだろうけど。

 予想外だったのは、僕が『抱きたい』ランキングで一位を取ったことだ。てっきり南くんが一位になるとばかり思ってたのに。
 風紀委員長の上村くんとしては、上位者に親衛隊長が選ばれたことで肩の荷が下りたようだった。
 念のため発表前には僕にも注意を促す連絡がきたけど、親衛隊の人間にとっては今更な話だもんね。

 何にしろ怜くんが『抱かれたい』ランキング一位であることは変わらない。
 BLゲ─ム『ぼくきみ』のシステム上、他の攻略対象との好感度が拮抗してる場合も、怜くんが優先されるとしてもだ。

 ゲ─ム主人公くんである七瀬くんと、怜くんには今後エッチなイベントが発生する。
 これは避けられない。避けてはダメなイベントだとも思う。
 でもここ数日、資料室で体を寄せ合っていたせいか……どうしても心が納得してくれなかった。僕がいるのに、七瀬くんと触れ合う必要はないよね? と。
 ……あぁ、うん、この疑問にも答えはもう出てるんだ。

────『いい加減、ただ性欲のはけ口にされてるだけだって気付けよ!』

 七瀬くんが言ったこの言葉は、体の関係を持っている親衛隊員に共通した事柄だ。
 僕も例外じゃない。だってこの学園は……。

「保? さっきから校内新聞片手にぼうっとしてるけど、大丈夫?」
「眞宙くん……うん、大丈夫だよ!」

 教室でランキングを確認してから上の空になっていたらしい。慌てて、何でもないと眞宙くんに笑顔を返す。
 けれど眞宙くんの表情は心配げだった。

「嘘、大丈夫じゃない顔をしてるよ。保は嘘をつくのが下手なんだから、正直に白状したら?」
「うっ……別に嘘ってわけじゃ……」
「痛いところ突かれたって顔で何言ってるの。ランキングのせい?」
「ランキングのせい……というか」

 原因は、目を逸らしたい現実にある。なんて言ったら、眞宙くんはどう反応するかな。漠然とし過ぎる答えに困惑するだろうか。
 しかし僕の考えを他所に、眞宙くんは的確に悩みの範囲を狭めてきた。
 
「怜のこと?」
「ん……」
「最近は仲良さそうだったけど?」

 必要以上に資料室で時間を過ごしていたことを指摘されているのが分かり、頬が熱くなる。

「あ、あれは!」
「はいはい、どうせ怜が我慢出来なくて、保に手を出したんでしょ。俺としては、ここのところ機嫌のいい怜を見てると、桜川くんじゃないけど『爆ぜろ』って言いたくなるよ」
「怜くん、そんなに機嫌いいの?」
「いいよ。資料室帰りは特に」
「あ─う─あ─……」

 もうない! もう資料室に二人で行くことはないと思うから! いや、機嫌がいいのは悪いことじゃないんだけどね!?

「それで? 仲は順調そうなのに、何を悩むことがあるの?」
「…………僕たちの、将来?」

 ポロっと小さい声で出てしまった答えがそのままで、焦って首を振る。

「違う、今のは忘れて」
「保……」

 考えてもどうしようもないことを言って、呆れられただろうか。怖々視線を上げると、細められた夕焼け色の瞳と目が合った。
 手を伸ばされて、頭を撫でられる。
 その眞宙くんの表情がとても優しくて……僕は意味もなく泣きそうになった。


◆◆◆◆◆◆


「お前はいつから浮気性になったんだ?」
「はぇ?」

 寮に帰る道すがら、怜くんにそんなことを言われ、咄嗟に意味が理解出来ない。
 今日は生徒会の仕事がなかったので、空はまだ明るかった。

「ランキング発表早々に、二位と一位がただならぬ様子だという噂が、俺のところにまで流れてきたぞ」

 教室で眞宙くんに頭を撫でられたときのことだろうか。
 思わず眞宙くんと二人で顔を見合わす。

「あれぐらいのこと、過去に数え切れないぐらいあったと思うけど……?」

 何故今になって噂になるのか。
 僕が怜くんや眞宙くんと、幼稚舎からの幼馴染みであることは周知の事実だ。

「ランキングの結果を見て、口さがない連中が増えたんだろ。一時的なものだろうが、しばらくは行動に気を付けろ」
「うん……」

 と言われても、具体的にどうすればいいのか。
 首を傾げる僕の頭に、怜くんが手を置いた。

「端的に言うなら、俺以外の人間に触れさせるな」
「怜、それは俺も含めてってこと?」
「今回の噂の相手はお前だろう? 第一、俺としてはお前が一番油断ならない」
「俺が保の嫌がることをするとでも? 自分がフォロ─出来ないからって、八つ当たりは止めてくれないかな」
「ならお前は、保が噂に晒されてもいいって言うのか?」
「怜は保が噂に一喜一憂すると思ってるの? 保はどう? 今回の噂を聞いて傷付いた?」
「えぇっと……」

 あれよあれよという間に、怜くんと眞宙くんが言い合いをはじめた戸惑いから抜け出せない。
 どうしてこうなった。

「僕は特に何も。所詮噂だし……」
「ほら、気にしてない」

 一─噂を気にするようでは、この二人の幼馴染みなんてやってられない。二人にしても、自分の噂を気にするような人間じゃなかった。

「怜は噂にかこつけて、自分の独占欲を満たしたいだけだよね」
「その通りです。余裕のない男は、みっともないですよ。何より怜様が一番保にとって危険人物であることを、棚に上げないでください」

 視界に入った桜色の髪に驚く。
 いつの間に近付いていたのか、全く気配がなかった。目を見開いたまま、現れた人物の名を呼ぶ。

「桜川くん!」
「保、保が一番気を付けないといけないのは、怜様だからな?」
「圭吾、何しに来た」

 桜川くんが僕たちの会話に入ってくることは滅多にない。声をかけてきたからには、何かしら理由があるはずだった。

「七瀬のことで、お耳に入れたいことが」

 そんな桜川くんから、七瀬くんの名前が出てドキリとする。怜くんが答える前に、桜川くんは、怜くんの耳に口を寄せた。

「分かった、一度俺から話をしてみる」
「お手数をおかけします。それじゃ、保、くれぐれも怜様には気を付けて」
「お前は一言余計だ!」

 用件が済んだ桜川くんは、何事もなかったかのように、僕に忠告だけを残して去った。
 桜川くんが持ってきた話は、眞宙くんも気になったようで、直接怜くんに尋ねる。

「怜、七瀬くんのことで何かあったの?」
「想定以上に外部生の動きが速い。七瀬を旗本にしようという動きが活発化しているようだ」
「それはまた……」
「七瀬は変わらず、ランキングの発表は不必要だと訴えていたからな。それに呼応した形だろうが、とりあえず俺は七瀬自身に、外部生が内部生と対立する旗印になるつもりはあるのか聞いて来ようと思う」

 どうやらこの足で、怜くんは七瀬くんの部屋を訪ねるらしい。ということはもしかして……もしかする? ここで二人のエッチなイベントが発生?
 七瀬くんにも同室の生徒がいるはずだけど、必ずしも部屋にいるとは限らないし……。
 僕は、どうしたらいいんだろうか。


◆◆◆◆◆◆


「保、二人の様子が気になるなら、一緒に行けば良かったんじゃないかな?」
「それだとダメなんだよ」

 怜くんと七瀬くんは二人っきりにならないといけないんだから。けど結局落ち着けなくなった僕は、コップを片手に七瀬くんの隣の部屋の壁に張り付いていた。
 隣の部屋の住人が都合良く二人とも怜くんの親衛隊員だったこともあって、眞宙くんも含めて計四人で壁にコップを当て、そのコップの底に耳を添えている。

「怜様に限って、浮気なさることはないと思いますが」
「七瀬が襲うかもしれないだろ」

 親衛隊員の二人は、怜くんと七瀬くんの行動を聞き逃さないよう必死だ。
 眞宙くんはこんなことで二人の会話が拾えるのかと半信半疑だけど、コップから手を離すこともない。
 かくいう僕も、マンガから得た知識で、試すのは今日がはじめてだった。

「流石に無理があるかな?」
「保、諦めよう」
「お二人とも! 静かに!」

 僕と眞宙くんの声が邪魔だったのか、親衛隊員に怒られる。素直に二人で口を閉じると、最初は何も聞こえなかった音が、コップを通して次第に聞こえはじめた。
 内容までは分からないけど、人が話している気配は察せられる。コップから耳を離すと、話し声は全く聞こえなくなるので、集音効果は微かながらもあるらしい。
 しかし、どこまでもぼんやりとした音だった。七瀬くんの声は通るから、もっと聞こえるかなと期待したんだけど。そこは寮の防音がしっかりしていることを褒めるべきなんだろうか。

「……会話が止んだようですね」

 親衛隊員の言葉に、なら怜くんもすぐに七瀬くんの部屋から出て来るだろうかと、僕は壁から離れた。眞宙くんも僕を見て、同じ行動を取る。
 部屋を出るときのドアの開閉音は、わざわざコップに耳を付けなくても聞こえるからだ。
 けれど、そのときが中々訪れない。
 どうしたんだろうと、眞宙くんと首を傾げながら静かに待つ。
 五分、十分と過ぎる時間の中、親衛隊員の二人は相変わらず壁から離れようとしない。
 十分を過ぎたところで、眞宙くんはスマホで時間を潰しはじめた。
 僕もそれに倣おうかとスマホの画面を見つめるけど、意識はずっと隣室へと傾いている。会話は止んでるはずなのに、この間は……何? 怜くんはどうしてすぐに、七瀬くんの部屋から出て来ないの?
 空かさず頭に浮かぶ答えに、口の中が乾く。舌が上顎に張り付くのが不快だった。

「っ!」

 突然、親衛隊員が二人揃って、勢い良く壁から離れる。
 隣室の声を拾うことに集中していた二人は、気まずそうな表情を見せた。二人の表情に、僕は全てを察する。
 やっぱりイベントがあったんだ……。今頃、七瀬くんは梱包用のビニ─ル紐に絡まって……。

「何か聞こえたのかな?」

 二人の様子を訝しんだ眞宙くんが質問する。
 親衛隊員の二人は、言い辛そうな様子を見せながらも、眞宙くんの視線に屈して答えた。

「その……」
「喘ぎ声の、ようなものが……」

 誰の、とは聞くまでもない。
 僕はまた自分勝手に荒れる心を知られたくなくて、足早に彼らの部屋を出た。
 後ろから、眞宙くんが僕を呼ぶ声が聞こえる。
 けど、動く足を止められない。

 まただ。
 分かっていたことなのに! 心の準備をする時間はあったはずなのに!
 これが必要な流れであることを理解している。怜くんは、七瀬くんと関わることで、考え方が変わって、幸せになれるはずなんだ。僕と距離を置くようになるのも、その課程でしかない。こんなことで傷付いてる場合じゃないんだ。

 ……僕は、怜くんを幸せにするって決めたんだろ!

 好きな人の幸せを願うって、そのために性悪の親衛隊長になるって!
 まだまだこれからだ。
 これから、怜くんの、本当の恋がはじまるのに。
 怜くん、ごめんね。僕はもっと強くならなきゃダメだよね。

「保っ!」

 強く腕を引かれて体が反転する。
 そこには、いつも僕を慰めてくれる夕焼け色の瞳があった。