012─高等部二年─

 クラスの人たちに限らず。怜くんの親衛隊員に限らず。会う人、会う人から生温かい視線を受けること一週間。
 その間も新生徒会役員を決める書類選考をせっせとこなしていた結果、遂に今期から役員になる新一年生が発表される運びとなった。中には、異例ではあるものの、ゲーム主人公くんである七瀬くんの名前もしっかり入っている。
 長かった……応募数が多かった分、放課後は全て選考のための作業に費やされる日々だった。三年生の先輩たちが手伝ってくれなかったら、きっと間に合わなかっただろう。
 現生徒会役員との絆も、一段と深まったように感じられた。新役員が決まった瞬間、涙ぐんだ役員は僕だけじゃないはずだ。

 放課後、生徒会室には、新一年生と七瀬くんを含めた、生徒会役員全員が集まっていた。
 生徒会長である怜くんが挨拶するものの、見事に一年生諸君は緊張で固まっている。同級生ですら、いざ怜くんを前にするとカクカクする人もいるくらいだから仕方ない。
 よしっ、ここは僕が和ませないと!

「意見の対立は忌避することではない。見識を広げるためにも、学年にとらわれない交流を俺は奨励する」
「ぜひ怜くんを呼ぶときは、イエスッ、クールビューティー怜様! って声をかけてね!」
「おい、やめろ。ちなみに保の発言に限っては、基本的に無視していい」
「怜くんそれは酷くない!?」
「酷くない。……では早速新体制で携わることになる、催事について説明する。皆、用意された席に着席してくれ」

 一刀両断だった。生徒会長様は容赦がない。
 会議を進めるなら、これ以上、口を挟むのは良くないだろうと、僕も大人しく着席する。
 視界の端では、もっさりとした黒髪が動くのが見えたけど、僕が七瀬くんと目を合わせることはなかった。食堂の一件から、彼とは気まずいままだ。

「新聞部が発案し、生徒会も公認してるこの催事は、内部生にはお馴染みのものだろう。年一度行われ、実施回数は今年で二十七回目となる。学園内の生徒を対象にした、『抱かれたい』もしくは『抱きたい』生徒をランキング形式で発表する催しだ」
「はぁ!?」

 怜くんの説明に対して、声を上げたのは七瀬くんだ。うん、外部生にとっては受け入れがたい催事だよね。
 でも内部生にとってはもうお決まりの催事で、その結果は高等部だけじゃなく中等部にまで情報が流れるほどだった。

「七瀬、まだ説明の途中だ。意見があるなら後にしろ」

 注意を受けた七瀬くんは大人しく唇を結ぶ。しかしその眉間には深い皺が刻まれていた。

「例年通り、生徒一人ひとりに投票用紙が配られ、告知や集計については新聞部が行う。よって生徒会も携わる催事ではあるが、実質することは、結果に公認を与えるだけだ」

 といっても広報に就いた役員は、新聞部との連携が細々とした雑務が発生する。新一年生はそれを全員で手伝うことで、生徒会での仕事の流れを掴むんだ。言わば新一年生役員にとって、チュートリアル的な催事だった。

「一年生諸君は、広報担当から指示を受けるように。何か質問のある奴はいるか?」
「ある」

 怜くんの問いかけに対し、真っ先に七瀬くんが手を挙げた。怜くんは頷いて、発言を促す。

「催事自体が正気の沙汰とは思えない。実施する必要性がどこにあるんだよ? 何でこんなこと、強制させられなきゃならないんだ!」
「必要がないなら、過去二十六回も行われるはずがないだろう。また投票については任意だ」
「投票は任意でも、投票される側は、『そういう目』で見られるってことだろ!?」
「そうだな」
「気持ち悪いと思わないのか!?」
「知ったことか」
「はぁ!?」
「お前の言う『そういう目』は、ランキングが行われる以前から発生している。ランキングがそれを助長する? 投票する者は『そういう目』を既に持っているのにか? 投票しない者は元からそんな考えにはとらわれん」

 興味のない人にとっては、終始意味のない催事だからね。告知も校内新聞に掲載されるだけだし。

「投票される側には、いい気がしない者もいるだろう。だが自分が『そういう目』で見られていることを、知らないよりは知っていた方がいい。ランキングの必要性については風紀委員長の上村にでも話を聞け」

 新聞部で集計された結果は、生徒会以外では風紀委員にも伝えられる。
 『抱かれたい』ランキングはまだ見逃せても、『抱きたい』ランキングに選ばれた人には自衛を促すため、事前に告知をする必要があるからだ。基本的に『抱きたい』ランキングに選ばれた人は、風紀委員の見回り対象になる。望む人がいれば、人気のなくなる時間帯に、風紀委員から護衛として人を貸し出すこともあった。
 これは『そういう目』が、ランキングによって可視化されることで、はじめて対応出来ることだ。

 そして僕としても、特に今回のランキングは見逃せなかった。何故ならBLゲーム『ぼくきみ』では、『抱かれたい』ランキング一位の人は、ゲーム主人公くんとの好感度が一番高い人が選ばれるからだ。しかもその後には、ちょっとエッチなイベントがあったりするから、さぁ大変!
 確か頭上からダンボールとかを梱包するビニール紐の玉が落ちてきて、体に絡み付くんだっけ。それを好感度一位の攻略対象が外すんだけど、手が敏感な部分に触れるっていうね!
 事前予想では、怜くんが一位だと目されている。だとすると結果発表後に、怜くんと七瀬くんがエッチなことを……。

「保、珍しく顔が険しいがどうかしたか?」
「え? ううん、なんでもない」

 しっかり顔に出てしまっていたらしい。ポーカーフェイスってどうやったらなれるんだろう……。
 チラッと七瀬くんの方に視線をやると、彼もまだ納得出来ていないのか難しい顔をしていた。
 実のところ外部生も二年生になると学園に染められるのか、結構この催事を楽しみにしている人が多かったりする。でも二年生からの編入である七瀬くんにとっては、はじめてのことだもんね。

「そうだ! 怜くん、僕ちょっと資料室に行って来る!」
「待て、勝手に行くな。理由を言え」

 席を立ったところで、怜くんから待ったがかかる。資料室で確認したいことがあるだけなんだけど。

「七瀬くんは、学園の催事に馴染みがないでしょ? これを機に、催事の説明表でも作ろうかと思って」
「年間スケジュール表なら既にあるだろ」
「だから『説明表』。催事ごとに外部生にも分かる説明があったら良くない? 生徒会が行う仕事についても簡単に添えたら、一年生役員にも役に立つと思うし」

 怜くんは少し考えた様子だったけど、すぐに認めてくれた。

「……悪くはないか。ランキングに関して、俺たち二年生はあまりすることもないからな。資料室には俺が付き添う」
「怜が行くの? 俺も今は手が空いてるよ」
「別に俺が抜けても誰も困らないだろう。手が空いてるなら、保に代わって紅茶でも淹れてやれ」
「うわっ、薮蛇だった……」

 しぶしぶ席を立つ眞宙くんに苦笑が漏れる。そういえば紅茶を淹れる眞宙くんを見た記憶がない。大丈夫……だよね?

「ほら、行くぞ」

 給湯室に向かう眞宙くんの背中を見送ってる間に、早くも怜くんは生徒会室を出ようとしていた。
 僕が言い出したことなのに、行動が早いよ!
 二人並んで生徒会室を出てから、閉じたドアの向こう側について考えた。

「ねぇ、怜くん。怜くんが付き添ってくれたのは、一年生の緊張を解くため?」
「俺がいると、いつまでも神経を尖らせたままだろうからな」

 予想通りの答えが返って来て、笑みがこぼれる。他人にも厳しい怜くんだけど、全く他人を気遣わないわけじゃない。その優しさに触れられたのが嬉しかった。

「眞宙くんに紅茶を淹れさせたのも?」
「あいつは俺と違って下級生にも慕われやすい。それに名法院家や佐倉家に関係なく、誰でも雑務をこなすところを見せておいた方がいいだろう」

 与えられた仕事を選り好みしないようにだろうか。思いつきで行動する僕と違って、怜くんは一つ一つ考えた上で行動する。瞬時に考えを巡らせられるのは流石としか言い様がない。だから僕はよく考えてから行動しろって怒られるんだけど。
 ただ怜くんは、周囲の人の感情について深く考えない節があった。これは一重に名法院家の教育によるものであることは、長年一緒にいることで理解している。一年生の緊張を解いたのは優しさでもあるけど、仕事をしやすい環境を作るためでもあるはずだ。
 怜くんは、名を捨てて実を取ることを、教えられている。
 銀髪に碧い瞳、そして白い肌は、ときに雪原が似合いそうなほど、人には冷たく映る。
 でも僕はそんな怜くんが大好きだった。
 どんなに冷たく見えても、氷の帝王様でも、その体には血が通っていて、温かい体温を持っていることを知っているから。中で熱が荒ぶることがあるのも、今は僕だけが知っている。

「保、分かってるとは思うが単独行動は控えろよ。十中八九お前は『抱きたい』ランキングで上位に入ってるぞ」
「華奢だからね、僕。一位は南くんかなぁ?」

 性欲が間違った形で暴発しがちな鳳来学園だけど、根っからの同性愛者の数は、外部平均と変わらないと思う。
 『抱きたい』ランキングは、結局のところ『女の子の代わりにしたい』ランキングで、選ばれる生徒の上位は大抵小柄だったり細身の子だった。
 ちなみに僕は『抱かれたい』も『抱きたい』も怜くんの名前を書く予定です! 抱きたいなんて言ったら、全力で断られそうだけどね!

「可愛いから、とは言わないんだな」
「え?」
「たまに言ってなかったか? 『僕は可愛い』って。最近は全く聞かなくなった気もするが」

 朝の自己暗示のことだろうか? それともどこかで呟いているのを聞かれてた? ……どちらにしろ全く言わなくなったのは、その通りだった。

「だって可愛くないもん」

 最近の僕は、特に。
 中庭のガラスに映った自分の顔を、未だ忘れられない。食堂で七瀬くんと対峙してたときも、酷い顔だったに違いなかった。親衛隊の子たちは空気を読んで、怜くんとの写真しか送ってこなかったぐらいには。

「その割には『もん』とか言うんだな」
「……口調は急に変えられないよ」

 でも子供っぽい口調は改めた方がいいかもしれない。子供でいられる時期は、もう長くはないのだから。

 資料室の前まで来ると、怜くんが鍵を開けてくれる。中はちょうど教室の真ん中に壁がある造りで、広さはそのまま教室の半分だった。反対側には風紀委員の資料室がある。
 一定の間隔で棚が設置され、中には書類をまとめたバインダーや、毎年使う催事ごとの道具をまとめた箱が収められていた。

「まずは年間スケジュールを元に、一つ一つ催事の内容を確認していくか」
「そうだね。タイピングして行くよ」

 資料室に置かれているノートパソコンを起動して、文書作成ソフトを開く。ファイルはクラウドで共有されているフォルダに作っておけば、後から生徒会室でも簡単に確認出来るだろう。
 互いに口頭で内容を確認し、詳細については資料を見て、説明に必要な部分を入力していく。うむ……これは時間がかかりそうだぞ。
 催事の説明だけならまだしも、生徒会の仕事を洗い出すのに少し手間がかかった。大体は怜くんが把握してるんだけど、雑務が多岐に渡るので、どこまでを記すべきか悩む。
 それでも、しばらくはタイピングに集中していた僕だったけれど……。

「よし! 休憩しよう!」
「入力に飽きたな?」
「でも資料室では、お茶淹れられないんだよね」
「せめて否定しろ」

 怜くんの言葉を右から左に聞き流しながら、伸びをする。資料室には給湯設備がないので、飲み物はペットボトルを持ち込むなりする必要があるんだけど、残念ながら手ぶらで来てしまっていた。

「んー……」
「肩でも揉んでやろうか?」
「そんな!? 怜くんに恐れ多い!?」
「代金は体で支払ってくれたらいい」
「セクハラ!? あれ? 肩を揉む時点でセクハラ?」
「難しい問題だな。俺は慰安のために提案したんだが。それに体でというのは雑事のことだ」
「嘘だ!? 絶対エッチな意味だった!」
「お前にしては勘がいいな?」
「否定されない!?」

 えっちぃのはダメだと思います! そう訴えても、にこやかな笑みが返ってくるだけだった。こんなことなら、何も言わずに肩を揉んでもらえば良かった。
 ジリジリと近寄る怜くんに対して、キャスターの付いた椅子ごとノートパソコンの置かれている机から棚の方へ移動する。

「往生際が悪いぞ」
「そこは怜くんが諦めてくれたらいいんじゃないかな?」
「俺の辞書に『諦め』という単語があると?」
「新しく採用されては如何ですか!?」

 遂には椅子の背もたれが棚にぶつかる。あ、もう逃げ場がない。
 どうしようかと視線を巡らせたとき、頭上に影が落ちた。

「え?」
「おいっ!?」

 怜くんの声がくぐもって聞こえる。
 衝撃の後、視界は闇に包まれていた。