010─高等部二年─

 桜川くんは、ちゃんと怜くんを引き留めてくれていたようで、彼は遅れて食堂にやって来た。
 ゲ─ム主人公くんである七瀬くんの後ろから現れた怜くんは、更に一歩踏み出す。

「怜く……怜様! これは!」

 僕の声に、怜くんは片眉を器用につり上げた。
 次いで聞こえる溜息に、顔が下がる。
 人が大勢いる前で、七瀬くんと盛大な言い合いをしたんだ。これには怜くんも呆れる他ないだろう。
 こうなることは分かってたんだ。
 だから、ここで僕が傷付くのは、道理じゃない。
 むしろ七瀬くんにしてみたら、誰かからボ─ルを当てられて脳しんとうを起こした上、次の日には食堂で僕に絡まれるんだから、たまったもんじゃないだろう。

「保、しっかり掴まってろよ」
「え? うわぁああ!?」

 急な浮遊感に、咄嗟に怜くんの肩へしがみついた。

「な、何!?」
「大人しくしてろ」

 わけが分からない。
 ただ怜くんに、横抱きで抱き上げられていることは確かなようだった。状況を理解出来ないまま、言われた通り大人しくする。
 そんな僕を連れて、怜くんは歩き出した。

「……怜くん、食堂出るの?」
「今は人がいない場所の方がいいだろう」

 どこに行くんだろうと行き先に視線を向けていると、見知った木製のドアが見えてきた。

「生徒会室?」
「この時間だと、ここが一番人目がないからな」

 怜くんは片手で鍵を開け、ドアを開いて室内に入ると、応接用のソファ─の上に僕を下ろした。
 同じソファ─の空いたスペ─スに怜くんも腰掛ける。

「そんなに大事になってたのか?」
「え?」
「食堂で『怜様』って呼んだだろ。お前が『様』を付けるときは、親衛隊にアピ─ルするときだということは分かっている。桜川から昨日の七瀬との写真が出回ってるというのも聞いたしな」
「あ─……うん」

 僕の行動が親衛隊に対するアピ─ルだってことはバレていたらしい。
 だったら今回のことも、彼らに対してのパフォ─マンスでしかないと、怜くんは勘付いてるんだろうか。

「どういう状況で、今回の食堂の騒ぎに繋がった? 詳しく説明しろ」
「騒ぎになってた?」
「自覚がなかったのか? お前と七瀬を中心に、人だかりが出来ていたぞ。お前はそんな中で」
「ごめんなさいっ」

 責められることに耐えきれず、言葉を遮って謝る。
 けど聞こえてきた息を吐く音に、結局身が竦んだ。

「はぁ……謝るぐらいなら、もっと場所を考えて行動しろ。おかげで圭吾からの当たりが更に強くなった」
「桜川くんの?」
「最近では、クラスの連中からも生温かい目で見られるがな。圭吾は中でも僻み根性が強い」
「えっと……桜川くんが怜くんに僻んでるってこと?」

 怜くんに対して桜川くんはいつも強気だから、そんな風には全然見えなかった。

「あいつにとってお前は高嶺の花だからな。保が俺を好きなのが、気に入らないんだよ。昔からのことで根も深い」
「僕が、高嶺の花……? せいぜい道ばたに生えてる野花だと思うけど」
「野花は言い過ぎだろう。温室育ちのクセに」
「うっ……」

 家族に甘やかされている覚えはあるので、否定出来ない。
 しかし高嶺の花というのは、怜くんを指す言葉じゃないだろうか。

「もしかして僕がと言いつつ、桜川くんは怜くんのことを!?」
「止めろ! あいつの前では絶対言うなよ!? 逆恨みで俺が刺されかねん。いいか、圭吾は間違いなく、お前が好きなんだ! 分かったな!」
「は、はい……」

 鬼気迫る怜くんの表情に圧倒されて、何度も首を縦に振る。

「と言っても恋愛感情というより、庇護欲とか、父性寄りの感情だがな。俺の侍従でありながら、お前を率先して守るべき対象にしてるのはどうかと思うが」
「でも何だかんだ言って、桜川くんは怜くんのことを一番大切にしてると思うよ?」
「まぁ……あいつのことはいいんだ」

 桜川くんのことは行動を見ていれば分かる。口では怜くんのことを悪く言いながらも、その対応はいつも丁寧で、怜くんを主人と認めたものだった。
 怜くんもそれには自覚があるんだろう。照れて言葉を濁す姿に、思わず笑みが漏れる。

「ふふっ、怜くんが照れてる」
「うるさい。……やっと笑ったな」

 そっと頬に手を当てられて、体が硬直する。
 そうだ、僕は怜くんに怒られてるところだった。

「お前は何をそれほど怖がっている? まさか俺が怖いだなんて言わないだろうな?」

 正にその通りなんだけど。
 違うか、僕が怖いのは怜くんじゃなくて……。性悪親衛隊長として七瀬くんと対峙するイベントの流れを思い出して、目に薄らと涙が浮かんだ。いつから僕は、こんな涙脆くなったんだろうか。

「僕は……怜くんに、嫌われるのが……っ!?」

 怖い。と言い切る前に、怜くんの腕に抱き締められた。頭に怜くんの顔が触れる。

「安心しろ。この程度のことでお前を嫌ったりはしない」
「本当……?」

 嫌われていないと聞いた瞬間、全身から力が抜けるのが分かった。良かった……と心から息をつく。
 うん? でも性悪親衛隊長としては良かったんだろうか?
 悩ましい所だった。実のところ、BLゲ─ム『ぼくきみ』でも、怜くんが僕を嫌いになる正確な瞬間は分からない。最終的に怜くんが僕を断罪するイベントはあるけど、それまでの怜くんの僕に対する心の変化が描写されてるわけじゃないから。時折僕に対して顔を顰めてるシ─ンはあったけど。ゲ─ムは、あくまでゲ─ム主人公くんの視点で進むからね。
 だから……いいだろうか。もう少しだけ、あと少しだけ、怜くんの体温に甘えていても。
 悩む僕をどうとらえたのか、怜くんは僕の背中をあやすように撫でながら言葉を続ける。

「それに元はと言えば、俺の行動が招いた結果だろう? 俺が七瀬を保健室まで運べば騒ぎになるのは分かっていた。だが誰がボ─ルを当てた犯人なのか分からない状況で、他の奴にも任せられなかった」
「桜川くんにも?」
「正直、あいつの考えは読めん。圭吾は七瀬と友人ではあるが、お前が言った通り、俺のことも一応は認めているし、お前のことを守りたいとも思っている。圭吾が実行犯でないのは確かだが、七瀬が食堂で言った言葉に、いい感情を抱いてるとも思えん」

 それで結局怜くんが運ぶしかなかったと。
 お姫様抱っこの件は、聞いてみれば納得のいく話だった。

「まぁその後、脳しんとうを起こした生徒を勝手に運ぶなと養護教諭からは説教されたがな」
「それで食堂には来れなかったんだ」
「あぁ、ここぞとばかりに俺の生活態度についても長々と注意を受けた。言いそびれていたが、パンの差し入れも助かった」
「良かった……眞宙くんには、世話の焼き過ぎだって言われてたから」

 七瀬くんがパンを食べていたのは、まだ心の中で消化しきれないけど……しかもその後、眞宙くんにからかわれたし。心の狭い僕が悪いんだけどね!

「保には手間をかけさせたようだな。ただお前が矢面に立つ必要があったのかは疑問が残るが」
「食堂でのことだよね? あれは親衛隊のガス抜きが目的だったから、親衛隊長である僕が行かなきゃダメだったんだ」

 怜くんと七瀬くんのお姫様抱っこの写真が出回ってからのことを、かいつまんで説明する。

「事の発端は、食堂での七瀬の発言か」
「外部の人にとって、この学園が異質に見えるのは分かるよ。けど声高に全部を否定されちゃうと、内部の人はどうしても嫌な気分になるよね」

 一言で言ってしまうと、間が悪すぎた。
 ただでさえヘイトが溜まりつつあるときに、不可抗力とはいえ、怜くんと接近してしまったものだから……。怜くんとお近づきになれない生徒の不満が爆発しちゃったんだよね。

「今後は七瀬の行動次第か……不必要な発言は避けるよう、言い含めておいた方が良さそうだな」
「うん、これからは生徒会役員としての立場もあるし」

 高等部からは外部生を受け入れているといっても、学園の生徒の多くは、中等部からのエスカレ─タ─組みだ。無駄に反感を買われると、生徒会の仕事にも影響が出る可能性がある。

「……保は、俺が七瀬を生徒会役員として起用を決めたことをどう思っている?」
「僕は怜くんが決めたことに異論はないけど?」

 BLゲ─ム『ぼくきみ』からしたら必然の流れだ。生徒会の仕事を通して、ゲ─ム主人公くんは放課後も攻略対象と関係を深めていく。
 しかし怜くんは僕の返答を気に入らなかったようで、顎を使って頭頂部をグリグリされた。地味に痛い。名法院家の御曹司としてあるまじき行為だ……。

「俺はお前の意見が聞きたいんだ」
「頭に顎を付けたまま喋らないで! 痛いから! ハゲたらどうしてくれるの!?」
「植毛でもすればいいだろう」
「もう……怜くんにもハゲる呪いを」
「止めろ。それで、お前はどう思うんだ?」

 眞宙くんじゃなくて、僕に意見を求めるなんてあまりないことだった。怜くんでも自分の判断について悩むときがあるのかなと考えながら、食堂で思ったことをそのまま口にする。

「怜くんは、監査からの視点で七瀬くんに学園を見てもらって、その上でどんな意見を持つか、知りたいんだと僕は思ったんだけど、あってる?」
「あぁ。今の生徒会にも外部生はいるが、発言する奴はいないからな。その点、七瀬には期待したい」
「今でも面と向かって怜くんに意見出来るもんね。僕もそれでいいんじゃないかって思うよ」
「……今後、内部生と外部生の対立を煽るようなことになってもか?」

 あ─! そんな流れもあったね!
 歯に衣着せない七瀬くんの生徒会に対する発言に、外部生が共感や尊敬を抱くようになるんだ。それに対して内部生は、やっぱり面白くないわけで……あぁ、うん、その対応に迫られる怜くんとしては頭の痛い話なのかな……。
 怜くん、ごめんね! 僕も可能な限りお手伝いはするから! きっと避けられないであろう流れに、心の中でエ─ルを送る。

「ん─と、今後対立する可能性があるってことは、七瀬くんの存在に関係なく、今も多かれ少なかれお互いに不満を抱えた状態にあるってことだよね?」
「そうだな」
「だったら七瀬くんが生徒会役員にならなくても、対立は起こるんじゃないかな。今でも十分、七瀬くんの言葉は人を動かしてるし」

 悪い意味で、だけど。
 しかし既に学園内で七瀬くんが目立つ存在になっているのは事実だ。ここに役職が付いたところで、少し発言力が増す程度の話でしかない。

「それにどうせ七瀬くんを基軸に問題が発生するなら、目の届く所に置いておく方が安心だと思うよ。……まだ問題が起こると決まったわけじゃないけど」
「ふむ……意外にちゃんと考えているんだな」
「失礼な! 怜くんに関することは、ちゃんと考えてるよ!」
「本当か……?」

 何故かとても胡乱な目で見下ろされる。むぅ、遺憾だ。

「お前はいつも会議を踊らすことしかしないからな。だがこれに関しては有意義な意見だった」
「僕はいつだって真剣なのに!?」
「だから質が悪いんだ。……さて、まだ時間はあるな」
「あ、食堂行く?」
「……俺に、お前を連れてあの場に戻れと?」
「え? じゃあ購買部?」

 別に食堂に戻ったところで、何もないと思うんだけど。

「それは桜川に頼んである。俺とお前の机にそれぞれ届けておくようにな。俺が言いたいのは、こっちのことだ」
「うぇええ!?」

 手を握られたと思ったら、そのまま怜くんの……を、ズボン越しに触らされた。

「どこから声出してるんだ」
「れ、怜くんが! いきなり!」
「直に見て、触ったこともあるだろうが」
「そうだけどっ、そうですけど! 心の準備とかあるからね!?」
「お前はいつになったら、心の準備が出来るんだ?」

 それが暗に、行為の最終地点を言われてることが分かって目が泳ぐ。

「あ─う─……」
「待つつもりではいるがな。あまり俺の理性をあてにしてると、痛い目に遭うぞ」
「怜くんのことは大好きだよ!」
「知ってる」

 気持ちはあるんだよと伝えると、即座に肯定された。気持ちが伝わっていて嬉しいです! けどちょっと身の危険も感じて身動ぐと、顎を持ち上げられた。

「んんっ」

 顎クイだ! と思ったのも束の間、唇を吸われ、咄嗟に目を瞑る。キスしてるときは、目を閉じるのがマナ─かなと思う高等部二年生男子です。
 いや、そうじゃなくて、この流れはダメな気がする!

「っ……怜くん、昼休み、終わっちゃう」
「じゃあ早くしてくれ」
「えっ」

 相変わらず怜くんに持って行かれた片手の位置は変わっていない。え─と、これは……つまり?

「次はお前が俺に奉仕する番だろ」

 もう忘れてると思ったのに!
 寮の怜くんの部屋であったことを思い出す。アレを、次は僕が……?