009─高等部二年─
風紀委員長の上村くんとの話し合いが終わり、食堂を出た僕は購買部へと向かった。親衛隊員から送られてきた七瀬くんのタイムスケジュ─ルを見るに、どうやら彼は昼休み中ずっと保健室にいたらしい。怜くんがずっと七瀬くんに付き合っていたのかまでは分からない。
ただ食堂に来なかったのは事実なので、食べ損ねているとき用に、購買部でパンでも買って怜くんに届けようと思ったのだ。済ませていたら、それはそれで夜食にでもしたらいいし。
「怜のことだし、適当に誰かを使いにやってお昼は済ませてると思うけどね」
「けど忙しいときとか、抜くこともあるでしょ」
「保は怜の世話を焼き過ぎだよ。そういうのは桜川くんに任せておけばいいんだから」
う─む、怜くんが七瀬くんをお姫様抱っこしてから、眞宙くんが不機嫌だ。一緒にいる南くんも、どうしたらいいかとチラチラ視線を送ってくる。
実は眞宙くんも怜くんにお姫様抱っこされたかったとか!?
「保、今、恐ろしいこと考えなかった?」
「えぇ!? 眞宙くんもお姫様抱っこされたいのかなぁって思っただけだよ!」
「やっぱり考えてたね……」
はぁ─と目の前で盛大な溜息をつかれる。
「ほら、眞宙くんもすっかり身長が高くなっちゃったから、誰からに抱き上げられたいっていう願望があってもおかしくないかな─って」
「そうなんですか!?」
「ない。ないからね、南くん。というかお姫様抱っこに憧れを持つのは、女の子の思考じゃないかな」
「男の子が憧れてもいいと思うよ!」
「いや、恥ずかしがってるわけじゃなくてね。もうっ、保は可愛い顔して、どうしてそう変な考えに走るかな!?」
僕としては普通に思案した結果なんだけども。
他にも眞宙くんの言葉に、小さな引っかかりを覚えた。
「僕、可愛いかな……」
「どうしたの? 保は可愛いよ?」
「はい! 保くんは可愛いです! 時々、大人っぽい表情をするときなんかは、見ていてドキッてします!」
「南くん?」
「あああ、いえ、眞宙様、決して邪な目で見ていたわけじゃなくてですね!?」
南くんが僕を可愛いと言ったことに対して、眞宙くんの笑顔が黒い。おおっ、眞宙くんでも嫉妬ってするんだね! 大丈夫、南くんが眞宙くんを一途に想ってることは、僕が保証するよ!
しかしここで、僕はある事実に気付いてしまった。
そう……眞宙くんも、攻略対象だということに……!
眞宙くんの周りに七瀬くんの気配が全くないから、うっかりしていたけど! 眞宙くんル─トもあるんだよ!
ということは、眞宙くんはお姫様抱っこされたいんじゃなくて……。
「眞宙くんは、七瀬くんをお姫様抱っこしたかったということ!?」
「えっ!? 眞宙様、そうなんですか!?」
しまった。驚きのあまり、つい口に出しちゃった。
そんなうっかりな僕にも、眞宙くんが黒い笑みを向けてくる。
「た─も─つぅ─?」
「…………あっ! 惣菜パン三つください!」
つい視線を逸らして、視界に入った購買部に駆け寄った。良かった、まだパンが売り切れてなくて。
眞宙くんは怜くんみたいに手を出すことはないんだけど、彼の目が笑ってない笑顔は、心底怖いんだよね。普段、優しい人ほど怒ると怖いと言われるのも頷けた。
後からやって来た南くんも、夜食用にとパンを買い込む。自習中とかお腹空くもんね。
パンを購入後、怜くんのクラスに行ったんだけど、そこにも怜くんの姿はなかった。もしかしてずっと七瀬くんと保健室にいるんだろうか?
聞きたい話もあるんだけどなぁ……と思いつつ、怜くんの机の上に買ってきたパンを置く。何となく、どこにいるのか聞くのは躊躇われて、パンのことだけを伝えるメッセ─ジを怜くんのスマホに送った。
購買部からずっと痛かった眞宙くんからの視線は、スル─に徹しました!
◆◆◆◆◆◆
あれからパンについては『分かった』とだけ、怜くんから返信があった。怜くんのメッセ─ジが素っ気ないのはいつものことだ。
午後の授業では教室を移動する必要があったので、その帰りに怜くんのクラスを覗いてみることにする。
眞宙くんは、僕が授業前に謝り倒したことで、機嫌を直してくれました。
「話を聞くなら放課後の方がいいんじゃない?」
「そうなんだけど、お昼に会えなかったし、ちょっとでも顔を見れたらいいかな─って」
「……本当に保は怜のことが好きだね」
「えへへ」
こうして付き合わせてしまっているのは申し訳ないと思う。一人で行くと言っても、眞宙くんは僕の単独行動を許してくれないんだよね。何をしでかすか分からないからって。
失礼な。とは思うけど、昔から三人の中で一番注意を受ける回数が多い自覚があるので、大人しく引き下がる。
怜くんの席が見える場所まで来ると、足が自然に止まった。
そんな僕に眞宙くんが話しかける。
「パン、食べてるみたいだね。七瀬くんと」
「うん……」
そこには僕が買ってきたパンを、七瀬くんと二人で食べている怜くんの姿があった。きっとお腹が空いてるだろう七瀬くんに、怜くんが分けてあげたんだろう。
うん、別に何も悪いことじゃない。
僕は一つ頷くと、踵を返した。
「保? 怜に声かけなくていいの?」
「うん、いい。邪魔したら悪いし……」
「保……」
あぁ、なんで。
怜くんは何も悪いことはしていないのに。
なんで、こんなに胸がモヤモヤするんだろう。片手で自分の胸をさすっても、モヤモヤは全然消えてくれない。
嫌だ、こんな醜い自分は、嫌だ。
ただ二人でパンを食べていただけの姿に、嫉妬するなんて。
「保……!」
廊下を曲がったところで、突然眞宙くんに腕を引かれた。そのまま人目を避けるように、階段下まで連れて行かれる。
「眞宙くん?」
どうしたの? と言うまでもなく、抱き締められた。思わず視線で南くんの姿を探してしまうけど、授業が終わって自分たちの教室に戻る途中だったので、いるはずがない。
「最近の保は見ていられないよ」
「ごめん……」
「保が謝ることじゃない」
ぎゅっと抱き締める腕に力を込められて、より密着度が増した。温かい眞宙くんの体温に涙腺が緩む。このままじゃダメだと、両手を眞宙くんの胸に置いてみるものの、距離を開けることは叶わなかった。
「ダメだよ、眞宙くん。僕、泣いちゃう……」
「泣けばいいよ。どうして保が我慢する必要があるの。嫌だったんでしょ? 保が買ってきたパンを、七瀬くんも食べてるのを見て」
「それ、は……っ……」
ダメだと思うのに、泣くほどのことじゃないと自分でも思うのに、目頭は勝手に熱くなって、涙が目に浮かんだ。
「悪い、ことじゃない。パンは誰が食べたっていいのに……なのにっ……こんな風に、思う……僕が、間違ってるんだ……」
こんな些細なことを、気にする方がおかしい。
そりゃ怜くんだって……次第に僕のことを……。
「うっ……っ……こんな、自分は、嫌なのに……っ」
どんどん自分が醜くなっているのを感じる。冷静にならないと、そう思えば思うほど、感情に振り回された。
「保は間違ってない。ただ嫉妬しただけでしょ? 怜の傍にいるのが自分じゃないことに。保が悪いと思うことは、何もないよ」
「でも、こんな、勝手だ……っ」
誰も悪くないのに、一人で勝手に傷付いている。なんて自分は独りよがりな人間なのか。
「そういうものだと、俺なんかは思うけどね」
よしよしと頭を撫でてくれる眞宙くんに、涙が止まらない。どうして眞宙くんは、こんな僕を甘やかしてくれるんだろう。
「俺は保が怜のことを大好きなのを知ってるし、怜の親衛隊長になった後も、色々と頑張ってるのを知ってる。南くんからも、よく保の話を聞くからね。だから保が少しぐらい我が侭でも、俺は可愛いと思うよ」
「可愛くなんか、ないよ」
可愛いというのは、南くんみたいな子を指すんだと僕は思う。いつも優しい笑顔で、周りの人を癒す、そんな子が。
「俺が可愛いと思ってるんだよ。保の意見は求めてない」
「…………」
そう言われてしまうと、何も返せない。
眞宙くんは、僕が黙り込んだのを見ると、瞼や頬に唇を落とした。まるで、唇で涙を拭うかのように。
「次の授業はお休みしよっか。こんな顔の保を連れて教室に戻ったら、一騒動起こりそうだ」
「うぅ……顔洗いたい……」
きっととても酷い顔をしているに違いない。
「もう少ししたらね。……ねぇ、保、キスしてもいい?」
「えっ!? ど、どこに……?」
「それは場所によったらしてもいいってこと? まぁ頬とかにはさせてくれるよね。口は?」
「口はダメだよ!?」
「そっか、残念」
急に何を言い出すの!?
驚く僕を他所に、眞宙くんはあははと笑っている。
「もう、冗談は……」
「冗談じゃないよ」
「っ!?」
ちゅっ、と軽く唇が重なった感触に目を見開いた。というか、目を見開くことしか出来なかった。
「な、なんで……」
「保の驚く顔が見たかったから? 大成功だね」
「眞宙くんっ!」
結局僕をからかっただけなんじゃないか!
むっとしていると、今度は膨らませた頬にキスされた。
「やっぱり保は可愛いよ」
「可愛くない!」
僕の機嫌の悪い顔を見てそう思う眞宙くんの感覚は、どこかおかしいんじゃないだろうか。
◆◆◆◆◆◆
放課後は引き続き新生徒会役員を決める書類選考に忙殺された。結果、次の日になっても、怜くんから七瀬くんについての話は何も聞けてないまま、そのときが来た。時間が経てば経つほど、聞きづらくなることってあるよね。
「保、無理はしなくていいからね」
「大丈夫! 僕はやりきるよ!」
お昼休み、僕と眞宙くんは、怜くんを誘うことなく食堂へ向かい、七瀬くんが来るのを待っていた。
怜くんには用事があって先に行くことを伝えてあるし、少し遅れてから来てもらえるよう桜川くんにも話を通してあった。
今日僕が七瀬くんを大勢の前で責めることについて、桜川くんにも凄く心配されたけど、代案が見つからない限り決行するしかない。
BLゲ─ム『ぼくきみ』での、僕の──性悪親衛隊長としての──最初の晴れ舞台だ。
ちなみに親衛隊の子たちにも、僕が食堂で七瀬くんに文句を言うことは伝えてある。そのせいか、心なしかいつもより食堂には人が集まっていた。
「そろそろ到着するみたい」
スマホに入った着信を確認すると親衛隊員からだった。どうやら同じクラスの子が、七瀬くんの後を追ってくれてるらしい。君か、彼のタイムスケジュ─ルを作ってるのは。
食堂の入り口に、見慣れてきたもっさりとした黒髪が見えて、僕は最後の気合いを入れた。
半二階席から階段を降り、七瀬くんの元へ向かう。
僕の目的を知ってる人が多いのか、自然と僕の前を歩く人影は減っていった。
「七瀬くん、ちょっといいかな」
「お前は……確か名法院の親衛隊長か?」
えぇっと、確かここでの『画面の中の僕』の台詞は……。
「そうだよ。僕は、湊川 保、怜様の親衛隊長さ!」
よし、決まった! 名前を名乗るのは大事だもんね!
「……その親衛隊長様が、俺に何の用だよ」
「昨日の件で、君に言いたいことがあるんだ」
「やっぱり俺にボ─ルを当てたのは、お前らだったのか!?」
「な!? 勝手なこと言わないでよね!?」
ただ言いたいことがあるって言っただけなのに、どうしてそうなるのさ!
「じゃあ、なんだって言うんだよ!? つうか、自分でもおかしいと思わないのか? 好きな奴を『様』付けなんかして、祭り上げてさ。そんなことで相手が喜ぶと、本気で思ってんのか?」
「あのね、親衛隊にも色々と決まりがあるんだよ!」
「それで体だけの関係を持つのか? しかも日替わりでとか、どうかしてる!」
ちょっと誰だよ、七瀬くんに間違った親衛隊の情報を流したのは!? 話の内容から察するに、それチャラ男先輩の親衛隊のことだよね!? あそこは親衛隊の中でも、一番特殊な環境なんだよ!
「いい加減、ただ性欲のはけ口にされてるだけだって気付けよ!」
「っ……!」
痛いところを突かれて、言葉に詰まった。
皆、気付いてるけど、気付かないフリをしていることだ。チャラ男先輩……板垣先輩の親衛隊の子たちは特に。
今だけの関係でしかないって。
僕だって……そうだ。
今更分かりきっていることを指摘されて、頭に血が上る。何も知らないクセに。僕がどんな思いでここにいるのかも。
なのに七瀬くんは、土足でデリケ─トな問題に、足を突っ込むんだ。
カッとなって、僕は七瀬くんを睨み付けた。
「言いたい放題言って、満足した? 新参者の君に、この学園の何が分かるって言うのさ!」
「おかしいことは分かる! 特に親衛隊なんていう存在はな!」
「『おかしい』って、君はそれしか言えないの?」
ずっと七瀬くんは同じ言葉を繰り返してる。前に怜くんと話したときもそうだった。怜くんは、それは七瀬くんの主観でしかないって切り捨ててたけど。
けど────。
「おかしいことを、おかしいって言って何が悪い!?」
僕は七瀬くんが真剣だと『知っている』。
こうして面と向かって顔を突き合わせていても、それは感じられた。彼は本気で、この学園のあり方はおかしいと思っているんだ。
そして事実、この学園はどこか歪んでいて、生徒たちの性的倒錯を大人たちは関知しない。
七瀬くんは、ただ事実を指摘しているに過ぎない。
そのことに気付いた瞬間、僕の頭は一部冷静さを取り戻した。しかし次の言葉で、胸を抉られる。
「名法院のことだってそうだ! 親衛隊の特権か知らないけど、お前らの気持ちを一方的に押し付けていいわけないだろ!? 聞いたぞ。てっきり俺は名法院が従えてるんだと思ってたけど、特にお前は親衛隊長の特権だからって勝手に付いて回ってるんだって!」
息が、止まった。
頭が真っ白になって、思考が飛ぶ。……呼吸ってどうしてたっけ?
ダメだ、こんなことで怯んでちゃ。僕は性悪親衛隊長なんだから、言い負かされてる場合じゃない。
僕は震える手で拳を作ると、首を軽く振った。
一度目を閉じ、無理矢理息を吐く。どこかで、そうすると自然に息が吸えると聞いたのを思い出したからだ。
「お前ら親衛隊は、自分のことしか考えてないんだ! 本当に相手のことが好きなら、相手の幸せが何か、ちゃんと考えてやれよ!」
息が吸えたのを感じ、目を開ける。
七瀬くんの言葉を聞いて、素直に……その通りだな、と思った。本当に相手のことが好きなら、相手の幸せを考えるべきだ。
けど僕はここで引くわけにはいかない。グッと、更に強く拳を握る。
「君なら、考えられるっていうの? 好きな人のためなら自制出来るって? 自分をコントロ─ル出来るって? ……僕だって、それが出来るならやりたいよ! だけど出来ないんだよ! 愚かだと分かってても、傷付くって分かってても、怜くんを好きな気持ちは止められないし、他の人と一緒にいるところを見ただけで嫉妬するし!」
今だって、喚くことしか出来ない自分が嫌になる。
「それでも好きなんだよ! 僕は、怜くんが好きなの! 誰かを好きになったことのないような人が、僕たちの気持ちを勝手に決め付けないでよ! 僕だって怜くんの幸せを考えてるんだからっ!」
……あれ? 『画面の中の僕』ってこんな感じだったっけ? もっと上から目線だったような気がしないでもない。
しかも本題も違ったような……。
怜くんにお姫様抱っこされたぐらいで、いい気にならないでよね! 的な台詞を用意してたんだけど。当初の目的から、大分と話が逸れてしまった気がする。
しかし、イベントはちゃんと進んでいるようで。
「……保、何をやってるんだ」
険しい表情の怜くんが、七瀬くんの後ろに立っていた。