008─高等部二年─

 生徒会室を出る頃には、外は真っ暗になっていた。寮の食堂では、もう夕飯の準備が終わって、食べはじめている生徒もいるだろう。
 登校時と同じ面子で寮に帰る道中、スマホの着信を確認すると、件数は三桁に突入していた。うわぁ……と思わず声を漏らした僕に、南くんが苦笑する。

「今日一日だけで、着信が大変でした」
「引っ切りなしだったもんね。……て、誰だよ、タイムスケジュ─ルまで作ったのは」

 他の親衛隊の発言に関しては愚痴が主だったので、ほとんどスル─したけど、同じ親衛隊の隊員から七瀬くんの行動を追ったタイムスケジュ─ルが送られていた。表計算ソフトを使って、七瀬くんがいつどこへ行ったかが、事細かにまとめられている。

「わぁ……凄いですね」
「あれだけ怜に対して啖呵を切ったからね。怜の親衛隊の子にしてみれば、反感を抱くには十分だと思うよ」
「暇な奴もいたもんだな」

 僕と南くんの会話に眞宙くんと怜くんも入ってくる。怜くんは自分の親衛隊のことながら、どこか他人事だ。
 確かに、今し方、煩雑な書類選考をしてきた身としては、その労力を貸して欲しいと思ってしまうけど。
 しかしながら僕としてはこのタイムスケジュ─ルの存在は有難かった。何せ記憶に残ってるのは、怜くんル─トのことばかりだから、他で起こるイベントについて確証がないんだよね。
 ざっと見ただけで、ゲ─ム主人公くんである七瀬くんは、今日一日で攻略対象全員と顔を合わせたみたいだ。
 この部分は共通ル─トなので、僕にも覚えがある。まぁ攻略対象との出会いイベントだしね。
 ついつい歩きスマホをしてしまっていると、あっという間に寮に着いた。皆お腹がぺこぺこだったので、そのまま食堂へと向かう。

 もう今日はビッフェで適当に料理を取ろうかな……。いかんせんお腹が空いているので、メニュ─を注文して受け取るまでの時間が惜しい。
 好きな煮込みハンバ─グがあったらいいなぁ、なんて思いながら食堂に向かう道すがら中庭に面した廊下を通り過ぎると、大きな窓のガラス越しに見覚えのあるもっさりとした黒髪が見えた。
 暗がりの中に紛れる黒髪を見逃さなかった自分を褒めたい。どうやら七瀬くんは、人気のないところでチャラ男先輩と対面しているようだ。

 そこで僕は一つのイベントを思い出す。
 チャラ男先輩にゲ─ム主人公くんが素顔を晒すイベントだ。うん、例に漏れず、ゲ─ム主人公くんは絶世の美少年という設定だからね!
 昔からそのせいで嫌な目に遭って、もっさりとした髪と分厚い瓶底眼鏡で素顔を隠すようになったんだ。もっさりしている髪も緩いクセ毛を直していないだけで、しっかりドライヤ─をあてれば真っ直ぐになるんだっけ。
 このイベントでチャラ男先輩は、ゲ─ム主人公くん……七瀬くんに一目惚れするっていう寸法さ! 僕としては、チャラ男先輩ル─トに入ってくれたら心配が減るんだけど……チャラ男先輩の親衛隊のことを考えると複雑だ。
 それにBLゲ─ム『ぼくきみ』ってハ─レムル─トもあるから、気が抜けないんだよねぇ。R18だけあってハ─レムル─ト、別名総受けル─トだと、複数はもちろん攻略対象全員と体の関係を持つっていうね……ファンの間ではエロル─トって呼ばれてたヤツがね……。
 流石にリアルでそれやると、七瀬くんどれだけビッチなの? って話になるから、ないとは思うんだけどさ。
 じっと中庭を見つめる僕の視線の先に気付いた怜くんが、僕の肩に手を置く。

「やっぱり保も七瀬が気になるのか?」

 そりゃ気になる。何せ彼の行動に合わせて、僕も動かないといけないんだから。幸い、普段通りにしていても問題はなさそうだけど。

「……無視は、出来ないよね。率先して関わりたいとも思わないけど」
「そうか」

 怜くんを見上げても、彼のポ─カ─フェ─スから表情は読めなかった。
 まだ七瀬くんとは出会って二日目しか経っていないけど、怜くんにも彼の印象は強烈に残っているはずだ。生徒会に勧誘したぐらいだもんね。
 いつかそれが……恋心に変わっていくのかと思うと、胸にチクりと棘が刺さる。
 もし、もし……七瀬くんが怜くんのル─トに入らない場合は、僕は自分から怜くんと距離を置いた方がいいかもしれない。だって将来、怜くんが僕のことを煩わしく思うようになるのは、目に見えているんだから。
 七瀬くんと対立する必要がないなら、わざわざ怜くんの傍にいて嫌な思いをさせ続けることもないはずだ。
 頭では分かっている。怜くんの幸せを願うなら、僕は彼の傍からいなくなるべきなんだと。
 ……でも、心は嫌だと叫んでいた。

 離れたくない。
 ずっと怜くんの傍にいたい。

 なんて……。

 なんて、僕は……可愛くないんだろう。

 窓のガラスに映った自分の顔を見て、心底そう思った。


◆◆◆◆◆◆


 次の日、怜くんをお昼に誘うとクラスに行くと、肝心の怜くんの姿がなかった。

「桜川くん、怜くんは?」
「昼前の体育の授業で、ケガをした七瀬を保健室に連れて行ってる。昼は先に食べておいてくれって伝言を預かってるぞ」
「そうなんだ……七瀬くんのケガは大丈夫?」
「ボ─ルが頭に当たって、軽い脳しんとうを起こしたようだ。故意じゃないといいんだが、ボ─ルを当てた奴は名乗り出てない」
「……あまりいい感じはしないね」
「そうだな。まぁ、保は怜様のことなんて気にしないで、昼に行ってくるといい」

 桜川くんに見送られるまま、僕と眞宙くん、南くんは教室を後にした。

「ボ─ル……わざとですかね」
「当てた人間が名乗り出ていない時点で、その可能性が高いだろうね」

 一緒に話を聞いていた、南くんと眞宙くんも同じ感想を持ったようだ。
 僕は二人の会話に耳を傾けながら、ゲ─ム主人公くんと怜くんのイベントを頭に思い描いていた。……これも、そうだったはず。
 昨晩、チャラ男先輩が中庭で七瀬くんの素顔を見たように、怜くんも七瀬くんを保健室にお姫様抱っこで連れて行く際に素顔を見るんだ。
 念のためスマホを確認すると、遠くから二人を移した写真がグル─プチャットに送られていた。体育のときはスマホを持てないはずだから、たまたま通りがかった生徒が撮ったのかな? おかげで蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

「保くん、何か着信があったんですか?」

 南くんの言葉に、何も言わずスマホの画面を向ける。怜くんにお姫様抱っこされている七瀬くんの写真と、チャットをスクロ─ルして見せると、南くんは絶句した。
 一緒に画面を覗き込んでいた眞宙くんも溜息をつく。

「これは……怜も、他の人間に任せれば良かったのに」

 そういうイベントだからね! と心の中で発するものの、僕も他の人に頼んでくれたらなぁと思う。背負うでもなく、お姫様抱っこだし……。怜くんの場合、おんぶでも似たような騒ぎになるだろうけど。基本的に、あまり他人に手は貸さない人だから。

「うぅ、今後のことを思うと胃が痛い……」
「保がそこまで責任を感じる必要はないんじゃない?」
「でも親衛隊のことは無視出来ないよ。後で上村くんに相談する……」

 七瀬くんにボ─ルを当てたのが、怜くんの親衛隊員とは限らないけど、事も既に起こっていることを考えれば、対応は急いだ方が良さそうだ。
 これからお昼だというのに、僕は胃をさすりながら食堂へ向かった。


◆◆◆◆◆◆


 結局、僕たちがお昼を食べ終わるまでに、怜くんが食堂に姿を見せることはなかった。ゆっくり食堂で食べる時間はないと思って、購買部で買って済ませたのかもしれない。

 僕はというと、すぐに食堂からは出ず、ソファ─席に移動して眞宙くんと南くんも交えながら、風紀委員長の上村くんと対策について話合っていた。
 一階席から僕たちが話し合ってる姿は見えるけど、七瀬くんと違って、僕たちの声は意識しない限り遠くまで響くことはないので、内容までは聞こえないはずだ。

 食後の飲み物が用意されて、最初に口を開いたのは上村くんだった。上村くんもずっと七瀬くんのことは気にしていたみたいだ。身動いだ拍子に長い前髪がサラリと落ちて、上村くんの顔に影を作る。

「七瀬に対する不満はそれほど溜まっているのか」
「僕のスマホを見て貰えれば、どの程度かは分かってもらえると思うよ」

 言いながら、上村くんにも、南くんに見せたのと同じ画面を見せる。内容を確認した上村くんは、眉根を揉みはじめた。

「これは良くないな。名法院も、一体どんな風の吹き回しだ? 自ら七瀬を抱いて運ぶなんて、奴らしくないだろう」
「そればっかりは本人に聞かないと、僕にも分からないよ。後で聞けるなら、聞いてみるけど……」

 BLゲ─ム『ぼくきみ』は終始、ゲ─ム主人公くん視点で進むので、怜くんが何を考えていたのかまでは分からない。

「余計な火種を生んだことは確かだね」
「眞宙くん……」

 今回のことで何か思うところがあったのか、眞宙くんも辛辣だ。

「自重しろと言っても、この手の輩は聞く耳を持たないだろうな」
「怜様のことが好きな人たちの集まりですからね。これがもし眞宙様だったりしたら、ボクも嫌な気持ちになっていたと思います」

 上村くんの言葉に、南くんが答える。眞宙くんの親衛隊長である南くんも、似た立場だから気持ちが分かるんだろう。正直に白状すれば、僕も写真を見た瞬間、醜い感情が胸に広がった。イベントだから仕方ないって自分に言い聞かせたものの、悪感情を綺麗に消し去ることは難しい。

「名法院に、親衛隊に向かって言葉をかけさせるとかは?」

 そんな上村くんの提案に、僕より早く眞宙くんが答える。

「逆に七瀬くんを庇っての発言だと邪推されるのが、関の山じゃないかな」
「……打つ手はなしか?」

 集団ヒステリ─を鎮める簡単な方法があったら、世の権力者たちは苦労しないだろうなぁ。上村くんと眞宙くんの会話を聞いて、そんな感想が浮かんだ。
 今取れる方法は……やはりこの一つしかないんだろうか。
 僕は暗い表情を見せる上村くんに向かって、小さく手を挙げた。

「ガス抜きをする方法なら一つあるよ」
「それは何だ?」
「僕が皆の前で、七瀬くんを糾弾する……って言ったら大袈裟だけど、文句を言うんだ」

 僕の提案を聞いた上村くんは半信半疑だった。

「湊川が個人的に文句を言いたいだけじゃないのか?」
「だったら、わざわざ提案なんかしないで、個人的に七瀬くんに文句を言うよ。皆の前で言うのが大事なの」

 怜くんの親衛隊員だって、今すぐ七瀬くんに文句を言いたいはずだ。ただ当事者でもない自分たちが口を出すのは、流石にお門違いだと理解しているから、僕に愚痴ることで感情を抑えている。

「僕が代表して皆の思いを代弁してあげれば、少しはガス抜きになるんじゃないかな。後は七瀬くんの行動に任せるしかないけど」
「保が矢面に立つことになるけど、それでいいの? 率先して関わりたくはないんでしょ?」

 昨日中庭を前にした僕と怜くんの会話を覚えていたのか、眞宙くんが心配そうな顔でこちらを見る。
 僕はそんな眞宙くんに笑顔を返した。

「これで親衛隊の皆が落ち着いてくれるなら、大したことじゃないよ」

 第一、イベントだしね! イベントと呼べるほど大したものでもないけど、僕とゲ─ム主人公くんがはじめて対立するシ─ンだ。BLゲ─ム『ぼくきみ』内で、僕が悪役の性悪親衛隊長として登場するシ─ンとも言える。
 だからか、ゲ─ム主人公くんである七瀬くんとは、言い争いになる未来も分かってしまう。
 言い争いになることを考えると億劫だけど、僕がやらないと意味がない。
 一番不満を抱えているのは、怜くんの親衛隊だろうしね。

「本当にそれしかないのか?」
「僕が思いつくのはこれぐらいだよ。対外的にも、七瀬くんに僕が不満を持っていても変だとは思われないでしょ」

 上村くんは終始渋い顔をしていた。
 最終的には明日の食堂で決行することが決まり、それまでに別の案が浮かんだ場合は取り止めることになった。
 ……大丈夫かな? 上手くやれるかな?
 BLゲ─ム『ぼくきみ』の中の湊川 保を頭に浮かべる。
 遂に明日、怜くんの親衛隊長としての役目を果たすんだ。
 怜くん、ごめんね! 面倒事に巻き込むかもしれないけど、僕は立派に悪役を務めてみせるからね!