006─高等部二年─
私立鳳来学園高等部での昼食の取り方は人それぞれだけど、一番生徒の利用数が多いのが食堂だった。食堂での食事は全て無料なので、利用する生徒が多いのも納得だよね。
料理は個別に注文するか、ビッフェ用のものを自分で取り分ける。
午前中に連絡すれば配達サ─ビスも受けられるけど、こっちは有料だ。
他にも、人混みを嫌う生徒なんかは、購買部や喫茶スペ─スなどの有料サ─ビスを利用していた。
食堂は広く、一階に二百席が設けられている他、テラス席もある。更に一階より一メ─トルほど床を上げた、半二階席もあり、僕や怜くんはそちらへ向かった。
腕を組んで歩くなんていつ以来だろう? すぐに思い出せないほど昔なのは確かだ。つい手と足が同時に出てしまいそうになるのは許して欲しい。だってなんか恥ずかしいんだもん! 怜くんはエスコ─トに慣れてるのか、動じてないけどさ!
気を抜けば階段でつんのめってしまいそうになりながら、僕は意識して足を動かした。
半二階席は、一階席とは趣が異なる。
一階席は長机に向かって一人用の椅子が整然と並べられているだけなのに対し、二階席は一つの円卓を囲うように椅子が置かれている。またそれだけではなく、食後の休憩も取れるよう、円卓から離れたところには歓談用のソファ─も設置されていた。
階段を上がってすぐの場所には歓談スペ─スが、そして奥の壁の方に食事スペ─スが設けられているんだけど、この構図にはわけがあった。
学園には常に『目立つ生徒』というのが存在する。
半二階席は、そんな彼らであっても他の生徒の視線を気にすることなく、食事が取れるようにという学園側の配慮から造られたものだった。
だからこそ、こちらの席を使用するものは、自ずと限られる。……怜くんなんてその代表みたいなものだよね。今さっきも食堂に姿を見せただけで、一階席の生徒がざわついてたし。
ソファ─の置かれたスペ─スを通り過ぎ、円卓の席に腰を下ろす。席に着くと、係の人がメニュ─を持って来てくれた。これも半二階席ならではのサ─ビスだ。一階席は利用者数が多いから、セルフサ─ビスとなっている。
う─ん、シェフの日替わりランチでいいかな。今のところハズレはない。
係の人にメニュ─を伝えると、怜くんも決めたらしくメニュ─を返しているところだった。
「もう落ち着いたか?」
「うん、怜くん、ごめんね。腰大丈夫だった?」
「……それはもう忘れろ。というか、今後は嫉妬にかられたとしても穏便に頼む」
「はい……」
何度も怜くんの体に痣を作っている身としては、素直に反省するしかない。今回のは痣にならなかったよね?
「でも、とても情熱的な告白でした!」
「南くんはマネしないようにね」
「眞宙様に抱き付くなんて、ボクには恐れ多くて無理です!」
どうやら南くんの目には、僕が怜くんに勢い良く抱き付いたように見えたみたいだ。間違いではない……のかな?
「そういえば怜は、何を楽しそうに話してたの?」
眞宙くんの怜くんへの質問に、僕はテ─ブルの下でギュッと手を握った。聞きたいような、聞きたくないような……そんな相反する感情に、胸がざわつく。
一方尋ねられた方の怜くんは、困ったように視線を宙に彷徨わせた。
「何を……と言われてもな。俺にはあまり自覚がないんだが」
あぁ、無意識の内に笑顔になるほど楽しかったんだ。
やっぱりゲ─ム主人公くんは凄いな。きっと簡単に怜くんの心を開いてしまったに違いない。
「強いて面白かったことと言えば、圭吾が友人を作っているところを目撃したことか? あんな口の悪い奴相手に関係を築こうとするなんて、物好きもいたものだなと」
ほら、やっぱりゲ─ム主人公……くん? あれ?
「怜くんが、ゲ……じゃない、え─と、編入生くんと喋ってたんじゃないの?」
「別に何も話してないぞ? 圭吾は話してたがな。外部生同士で話が合ったんだろ」
あれぇ─?
ちょっと待って、ゲ─ム主人公くんが出会うのって桜川くんの方が先だっけ? ……そっか、友達枠だもんね。じゃあ怜くんとは?
記憶の中から、ゲ─ム主人公くんが怜くんと出会うイベントを探す。え─と……なるほど、始業式や教室では一方的に見てるだけだったんだね。格好いい人がいるな─と。
ってことは、完全に僕の早とちりじゃないか! 恥ずかしいっ!
そりゃ突然怜くんにタックルかまして、睨み付けられたらゲ─ム主人公くんも驚くよね!
「保、どうしたの? 顔が真っ赤だけど……」
「今はそっとしておいて……」
額に手をやって熱を計ろうとしてくれる眞宙くんに、大丈夫だからと答えながら、両手で顔を覆う。
落ち着こう、落ち着くんだ。
まだイベントが発生していないということは、正式な怜くんとの出会いイベントが別にあるはずで。
確かゲ─ム主人公くんの存在感を見せ付ける一幕だった。
「うわっ、なんだここ!?」
「半二階席は、特別仕様なんだ。一般生徒は使わない」
少年らしい高め声と、落ち着いた少し低めの声が聞こえて、階段の方を振り向く。
そこには階段を上がって来た、もっさりとした黒髪に分厚い瓶底眼鏡のゲ─ム主人公くんと、風紀委員長になった上村くんの姿があった。ゲ─ム主人公くんもそんなに背は高くないのか、上村くんの方が、顔半分ほど高い。
二人が並んでいる光景を見て、僕は怜くんとの出会いイベントを思い出した。
そうだ! 食堂の内装の違いを見たゲ─ム主人公くんが、それはおかしいって言い出すんだ!
「一般生徒は使わないって何だよ? 校則にも、生徒は皆平等であるって明記されてるのに、特権階級があるなんておかしいだろ!?」
あ─……そういえば、校則には平等だって書いてあるんだっけ……。一応の建前ってやつだね。生徒間の実情はお察し。ただ先生たちは生徒のことを公平に扱ってくれるから、先生たちから見た生徒が平等であるのは本当のことだ。
よく通るゲ─ム主人公くんの声に、怜くんたちも階段の方へと視線を向けた。
「あれは……編入生か」
「七瀬《ななせ》 都生《とき》くんだっけ? 二年生からの編入なんて珍しいよね。突然親御さんの海外赴任が決まって、全寮制の鳳来学園へ編入を決めたという話だけど」
「流石、眞宙様! お詳しいですね!」
「生徒会室に資料があったからね」
ゲ─ム主人公くんは、七瀬くんって言うのか!
ゲ─ムプレイ時は、名前を変更してたから、デフォルト名が記憶に残ってなかったんだよね。
「親衛隊なんてのもわけ分かんねぇし。一生徒を『様』付けして特別扱いするなんて、どうかしてる」
この言葉には、南くんの動きが止まった。
あああ、七瀬くん声が通るから! 親衛隊には、枠組みを作ることで、狂信的な生徒を暴走させないって抑止力もあったりね! するんだけどね! 編入してきたばかりの七瀬くんには分からないよね……。
他にも風紀委員との情報共有があるけど、これはどちらかというと親衛隊員を守るためのものだ。
「どうかしてる、か……」
怜くんが七瀬くんの言葉尻を拾うと、七瀬くんもこちらの存在に気付いたようだった。分厚い瓶底眼鏡のせいで、その視線が誰の上で止まっているのかまでは分からない。
けれど少なくともこれが、七瀬くんと怜くんとの出会いイベントになるはずだ。
「生徒会長だって一生徒であることには変わりないだろ? なのに『怜様』とか呼ばれて、一般生徒を従えるなんて、何考えてるんだ?」
「ふん、それがお前の理屈か」
階段の傍で、こちらに体を向けて立つ七瀬くん。
片や頬杖を付きながら、膝を組んで座る怜くんの姿は、正に氷の帝王様だった。ただ座ってるだけでも絵になるなんて、怜くんはやっぱり格好いいなぁ。
「なるほど、お前の言う通り、生徒会長である俺も学園の一生徒に過ぎない。だから、何だ? おかしいと感じるのは、お前の主観でしかないに気付いているか?」
「それは……」
「この学園の現状について、異を唱えるのは簡単だろう。誰だって口では好きなように言えるからな」
「でもっ、おかしいのは確かだろ! 普通の学校じゃあり得ないことだ!」
うんうん、鳳来学園は普通の学校じゃないからね。何せBLシミュレ─ションゲ─ムの舞台だから。
全寮制の男子校ってだけでも、特殊な環境だと思うよ。だから親衛隊っていう独自のル─ルもあるんだけど。
今日一日で、外部生が学園の全てを理解するのは、無理な話だ。
けどゲ─ム主人公くんだけあって、七瀬くんは怜くんに対しても引かない。そんな七瀬くんに、隣にいる上村くんは感心しているようだった。
眞宙くんは終始七瀬くんと怜くんのやり取りを面白そうに眺めている。
僕はといえば、ようやく記憶が現状に追いついて、リアルの世界で再現されるゲ─ムのやり取りにワクワクしています!
「だったら、お前は『新しい目』になれるか?」
「え……?」
「七瀬、お前にも特別な立場を用意してやる。そこから何が見えるか、何が出来るか、よくよく考えてみるがいい」
怜くんは言い終えると、七瀬くんから興味をなくしたように視線を円卓に戻した。そのさり気ない仕草は、これぞイエスッ、ク─ルビュ─ティ怜様!
これで七瀬くんが生徒会に入ることが決まるんだよね!
七瀬くんは呆然としてたけど、上村くんがフォロ─してくれているみたいだった。
「眞宙、七瀬を監査役員の補佐に付けるぞ」
「え? 怜、本気なの?」
監査役員は、生徒会の中で会費が正しく使われているかを、その名の通り監査するのが仕事だ。各部活の財務資料を確認したり、私的流用などの不正がないかも調べるので、中々大変な役職だった。
補佐といっても、生徒会の役員に変わりはないので、もちろん発言権もある。
怜くんとしては、監査からの視点で学園全体を見てもらい、七瀬くんの発言に期待したいんだろう。
「外部生でも俺に面と向かって発言出来る人間は少ない。圭吾はどちらかといえば、こちら側の人間だしな。それにあいつなら俺たちとは違った視点からものを見れそうだ」
「ただ無知なだけかもしれないよ?」
「少なくとも学園外の『普通』を知っている時点で、無知だとも言い切れないだろう。使い物にならないようなら切り捨てるさ。保も構わないだろ?」
「僕は、まぁ……」
僕が直接七瀬くんと関われるのも生徒会だけだし。よしっ、次からは取り乱すことなく、ちゃんと七瀬くんと対立するんだ!
◆◆◆◆◆◆
「え─と……それで、どうしてこんな状況に?」
寮の怜くんの部屋で、うつ伏せになる僕。その下には温かな体温があった。
そして質問に対する答えは、頭頂部の方から聞こえてくる。見上げると、顎が怜くんの胸板に当たった。
「あの程度で嫉妬するぐらいだ。クラスが分かれてよほど寂しかったんだろ?」
怜くんはベッドで仰向けになって、上にいる僕を抱き締めながら、そんなことを言う。
僕、寂しかったのかな……。
中等部から分かっていた未来に、心の準備は出来ていると思ってた。けど、僕が考えていた以上に、全然準備なんか出来ていなかったのかもしれない。だとすれば、あれだけ取り乱してしまったのも頷ける。
しかし怜くんの上に乗ってしまっている体勢は、どうにかならないものか……。
最初は二人でベッドをソファ代わりにしてたんだけど、気付いたら押し倒されるような形で転がって、この体勢で落ち着いた。
押し倒されて反射的に強張った体も、怜くんに何度も頭を撫でられている内に弛緩している。今は怜くんに全体重をかけてしまわないよう、腰から下を彼の上からベッドに下ろすのに必死だ。
「あまりモゾモゾ動いてると襲うぞ」
「うぇ!? で、でも重くない?」
そりゃ怜くんは見かけによらず、骨格はがっしりしてるけど。僕だって高等部に上がって、身長は一六五センチになったんだ。それ相応の体重もある。
「横になって重みが分散されてるからな。お前が思ってるほど重くはない。それよりお前も少しは体を鍛えろ。何だこの細い腰は」
「ちょっ!?」
急に両手で腰を掴まれて焦る。怜くんの長い指が、脇腹にかかって余計焦る。
他意はないんだろうけど、誰だって脇腹は敏感なはずだ。好きな人に触れられて意識するなって言う方が無理!
慌てて怜くんの動きを制限するため、僕も手を重ねるけど、大した抑止力にはならず。
あろうことか怜くんは、体の厚みを測るためか、僕の腰周りを揉み出した。
「ウエストも六〇センチはないんじゃないか?」
「っ……測った、こと、ないっ」
これ以上は刺激に耐えられないと、ベッドに手を着く。そして起き上がろうとした途端、腰に腕を回された。