005─高等部二年─

「よしっ、今日の僕は可愛い!」
「保はいつも可愛いよ」
「有難う、桜川くん!」

 どこぞのアイドルよろしく鏡を見ながら自己催眠をかけていると、同室の桜川くんが合いの手を入れてくれる。
 今日から新学期。
 ゲ─ム主人公くんが編入してくる日ともあって、僕は十分に気合いを入れる必要があった。悪役は見た目も大切だからね!
 ふっふっふ、待っているがいい! ゲ─ム主人公くん!

 桜川くんと一緒に部屋を出ると、珍しくチャラ男先輩と遭遇する。いつもは重役出勤なのに。

「あ、チャラ男先輩」
「板垣八雲様です! 先輩に対して失礼でしょう!?」

 うっかり心の中の呼び方を口に出してしまい、板垣先輩の親衛隊長に怒られる。
 でもいつもシャツのボタンを胸元まで開けて、親衛隊を侍らせてる姿は、どう見てもチャラチャラしてます。肩まで伸ばした髪も、紫からピンクにグラデ─ションをつけて染めてるし。

「ごめんなさい! 板垣様、おはようございます!」
「そんな『様』だなんて特別扱いしないで、八雲って呼んでくれた方が嬉しいな」

 つい、と人差し指で顎を持ち上げられて、二の句が告げれない。特に親しくもない先輩を名前で呼び捨てにするのはどうかと思います!

「オレは、普通に接してもらいたいんだ。特別扱いして、オレを孤独にしないで? ね?」

 寂しそうに目を細めたチャラ男先輩は、僕の耳に口を寄せて語りかける。先輩の吐息が耳にかかると、背筋にゾクッと悪寒が走った。
 先輩の声は艶めいた雰囲気があって、聞く人によってはうっとりするかもしれないけど、怜くんのあの掠れボイスを知っている僕としては……純粋に好みじゃない。
 助けを求めて桜川くんを見ると、何故かもう少し我慢するようにジェスチャ─を受ける。
 どうしてすぐに助けてくれないんだと恨めしく思っていたら、急にチャラ男先輩の体が離れた。

「板垣先輩、俺の親衛隊長に何か御用ですか」
「怜くん!」

 どうやら桜川くんには、怜くんがこちらに向かってきているのが見えていたようだ。
 怜くんはチャラ男先輩の腕を取ると、簡単に捻り上げて先輩を壁に押し付ける。

「いたたたたっ、ちょっと挨拶しただけじゃないか。酷いなぁ」
「怜様、お止めください! 八雲様は本当にご挨拶なさっていただけです!」

 悪びれないチャラ男先輩を睨んでいた怜くんだったけど、先輩の親衛隊に詰め寄られて腕を放した。これ以上先輩に時間をかけるのも無駄だと思ったんだろう。

「次はありませんよ」
「はいはい」

 怜くんは最後にもう一度だけチャラ男先輩を睨みつける。しかしこりもせず先輩は僕にウィンクを送ってきた。鳥肌が立つから止めてください。
 顔を引き攣らせていると、今度は僕の腕を怜くんが取った。あまりないことに驚く。

「お前も簡単に近寄らせてるんじゃない! 圭吾っ、どうしてすぐ止めに入らなかった!」

 そして桜川くんを怒鳴りつけた。怜くんは桜川くんのことを下の名前で呼ぶ。名法院家には姓が桜川の人がたくさんいるので、区別するためらしい。純粋に気心が知れているってのもあるだろうけど。
 一方桜川くんは、学園ででも怜くんと眞宙くんにだけは敬語を貫いた。いくら学園が外界から隔てられていたとしても、名法院家と佐倉家は別格とのこと。

「あれ? 怜様じゃなく、自分が助けて良かったのですか? 怜様のお姿が見えたので、ヒ─ロ─役は怜様にと、自分は遠慮したのですが必要なかったということですね」
「貴様は……減らず口をっ」

 僕がびっくりしている間も、桜川くんは、飄々と怜くんを受け流していた。何だかんだ言い合いつつも、お互い主従関係を解かないから、二人はこれで成立してるってことなのかな。うん、きっとそうだよね!
 やっと気持ちが落ち着いてきて、怜くんに掴まれた腕が痛いと思いはじめたところで、眞宙くんがその手を外してくれる。

「板垣先輩にとってはあれが挨拶なんだから、怜もその辺にしたら? 怜が保を痛めつけてどうするのさ」
「……痛かったなら、痛いと言え」
「うん、ちょっと怜くんに腕を掴まれたのが新鮮で……。ごめんね? それに助けてくれて有難うっ!」

 大変だ、お礼も言いそびれてた! と慌てて言い添えると溜息が返ってくる。うぅ、何よりもまずはお礼だったよね……。

「さぁ、ここで溜まってても、他の生徒の邪魔になるだけですから、怜様はさっさと移動してください」
「お前は一度、主人に対する口の利き方を学べ」
「怜様、邪魔です。眞宙様、保様、いってらっしゃいませ」
「いってきます」
「いってきま─す!」
「おい……!」

 確かに僕たちが動かないと邪魔になるだけだと、桜川くんに眞宙くんと二人で手を振る。
 桜川くんも一緒に登校すればいいのにと思うんだけど、『いってらっしゃい』と『おかえり』を言うのが、彼の侍従としてのこだわりらしい。このときばかりは僕にも『様』付けだ。
 まだ文句が言い足りなさそうな怜くんの背中は僕が押す。

「きっと気にしたら負けだよ、怜くん!」
「お前は俺がぞんざいな扱いを受けていても気にならないのか!?」
「でも桜川くんは怜くんの侍従だし! むしろそんな桜川くんを使ってる怜くんが格好いい……的な?」
「……本当にそう思ってるのか?」
「僕にとって怜くんはいつだって格好いいよ!」
「…………」
「怜って、保が相手だとチョロいよね」
「うるさい」

 押さなくても怜くんが自力で歩き出したので、僕はいつもの定位置、怜くんの少し後ろを歩く。

「怜くん、鞄持つよ」
「俺が言うのも何だが、腕は大丈夫なのか?」
「これぐらい平気!」

 二年生になっても怜くんの鞄を持つのは僕の役目です! 相変わらず鞄の中身は空だしね。新しい教科書は、教室で配られるらしい。
 寮を出たところで、眞宙くんの親衛隊長の南くんが合流し、僕たちは校舎へと向かった。
 生徒会役員は始業式の準備があるので、今日はいつもより早めの登校だ。だからか、花道を作る人垣もまばらだった。
 それでも僕は、通りに桜吹雪が舞う、どこか幻想的な風景を眺めながら、二人分の鞄を脇に抱き、両頬に手を添える。
 今日も声を上げる準備は万端だ!


◆◆◆◆◆◆


 お昼休み、眞宙くんと二人で廊下を歩く。
 新一年生は午前中までだけど、二年生からは始業式の後も午後まで授業があった。

「怜とクラスが離れて残念だったね」
「うん、でも眞宙くんと一緒で良かった!」
「俺も保と一緒で良かったよ」

 エスカレ─タ─式で見知った顔も多いけど、親しい人が同じクラスにいるのは心強い。
 やはりというか、怜くんとはクラスが分かれてしまったけど、中等部から覚悟はしていたので、大きなショックはなかった。

「怜くんは一人で寂しくないかな?」
「あぁ、桜川くんが一緒みたいだから、寂しくはないんじゃないかな」
「そっか!」

 そういえばゲ─ム主人公くんだけじゃなく、桜川くんとも怜くんは同じクラスなんだった。なら寂しくはないね、と何度も頷く。

「ところで先に掲示板に寄りたいって言ってたけど、気になることでもあるの?」
「ほら、怜くんのポスタ─が貼り出されてるでしょ?」

 結局ポスタ─の枚数は、全校生徒と教師の人数を足して、少し余裕を持たせた七百枚になった。枚数が増えたのは、前風紀委員長が胃薬を飲みながら怜くんに進言してくれたおかげだ。ついでに終わったら一枚残らず回収して、生徒に配られることにもなっている。やっぱそれが一番争わなくて済みそうだもんね。
 ポスタ─は新一年生の教室周辺を中心に、校舎のあちこちに貼られていた。回収して再配布することは周知されているので、今のところポスタ─が盗まれるようなことも起きていない。

「一枚ぐらいキャッチコピ─があるポスタ─があってもいいんじゃないかと思って」
「それでシルバ─のカラ─ペンを持って来たんだね。……うん、保、止めておこうか」
「何で!?」

 そっとカラ─ペンを眞宙くんに取り上げられる。身長差があるので、高く腕を上げられると、僕ではジャンプしても届かなかった。

「くっ、あと十センチ身長が高ければ……」
「いい加減、俺も怜が不憫に思えてきたから、諦めて」
「ぐぬぬ」

 今期こそ『イエスッ、ク─ルビュ─ティ怜様!』を推して行きたかったのに。

「諦めてね」
「ハッ!? 眞宙くん、僕の心を読んだね!?」
「顔に書いてあるよ」
「そんなバカな!?」

 咄嗟に両手で顔を隠すけど、後の祭りだった。

「ほら、早く迎えに行かないと、怜がお腹を空かせて待ってるよ」

 怜くんをお昼に誘う前に掲示板へ寄ったことを思い出し、仕方なくキャッチコピ─の件は断念する。
 実はキャッチコピ─のことは建前で、ゲ─ム主人公くんに会いたくないなぁという理由で遠回りをしているだけだった。……避けていてもはじまらないし、腹をくくるか。

 怜くんのクラス前まで来ると、先に着いていた南くんが笑顔で迎えてくれた。南くんともクラスが分かれちゃったんだよね。僕と眞宙くんのクラスよりは、南くんのクラスの方が、怜くんのクラスに近いので、待っていてもらうことにしたのだった。

 では、いざ行かん!

 遂にゲ─ム主人公くんを、この目に収めるのだ!

「保くん……?」

 意気込みとは裏腹に、壁の影から教室内をそろりと覗き込む僕に、南くんが訝しげに声をかける。
 うん、今更怜くんに遠慮することなんてないし、おかしな行動に見えてるよね。けどやっぱり突入する勇気が……まずは遠目で確認してからでもいいかなって。

 そろそろと壁から頭を出す。
 怜くんの銀髪は目立つので、まだ少し混雑している教室内でもすぐに見付けることが出来た。
 その怜くんが────。

「笑ってる……」

 正面にいる人物に向かって微笑んでいた。
 僕でも最近は見ることのなかった表情に、体が固まる。
 怜くんの正面に立つ人物に、見覚えはなかった。
 きっと彼がゲ─ム主人公くんで間違いないだろう。
 もっさりとした黒髪に、分厚い瓶底眼鏡は、遠い記憶の中のゲ─ムビジュアルと一致する。

 あぁ、やっぱり。

 怜くんを幸せに出来るのはゲ─ム主人公くんなんだ。
 いくら僕が悪役になって、怜くんを幸せにする! と息巻いたところで、それは間接的なことの結果でしかなくて……直接、怜くんを幸せにするのは、重荷を軽くするのは、ゲ─ム主人公くんにしか……。
 だって仮に彼が怜くんのル─トを選ばなくても、怜くんが僕に嫌気が差すのは規定路線なんだ。

「保? どうしたの?」

 ポロリと、知らず涙が一つこぼれていた。
 嫉妬なのか、諦観なのか分からない感情が、ごちゃまぜになって、僕の胸を掻き乱す。

「保っ!?」

 そして気付いたときには。

 怜くんに、タックルをかましていた。

「ゴボァッ!!?」

 衝撃で、怜くんの体が横に大きく揺れた。
 視界の端では桜色の頭が大笑いしているのが見えるけど、僕は切実だった。
 僕は、南くんみたいないい子にはなれない。
 好きな人が、他の誰かを構っている姿を、笑ってなんて見ていられない。
 ごめんね、怜くん。
 僕は自分が思ってた以上に、嫉妬深いみたいだ。
 怜くんの腰にしがみつきながら、ゲ─ム主人公くんを睨む。彼も突然のことに状況が分からないのか、分厚い瓶底眼鏡の奥の目を見開いていた。
 ようやく体勢を整えた怜くんが、僕の肩に手を置く。

「保……何を考えている」
「うぅ……」
「まさか泣いてるのか? おい、眞宙、どういうことだ!」
「俺も急なことで、よく理解出来てないんだけど……保、どうしたの? 喋れる?」

 ポタポタと涙を落とす僕の頬に、屈んで目線を合わすと眞宙くんがハンカチを当ててくれた。

「う、僕……」
「よしよし、とりあえず一旦立ち上がろうか。中腰のままだと保も辛いでしょ?」

 言われてみると、その通りだったので、怜くんの体をよじ登るようにして立った。すっかり怜くんの制服が皺だらけになってしまっている。後で桜川くんに綺麗にしてもらえるよう頼めるだろうか。
 しがみついてみて分かったことだけど、怜くんの腰は意外としっかりしている。あれだけの勢いでタックルしたのに、転ばなかったのがいい証拠だ。長身だから細身に見えるけど、やっぱ体格はしっかりしてるんだなぁ……貧相な体つきの自分を省みると、羨ましい。

「で? 何があって、お前は泣きながらぶつかって来たんだ?」
「れ、怜くんが……」
「俺が?」

 若干ヨレた感じになってしまったけど、僕を見下ろす怜くんの顔に怒りはない。泣いていたことで、どうやら大分と心配をかけてしまったようだ。
 怜くんは、立ち上がった僕を正面から胸に抱き込むと、背中を優しくさすってくれる。
 その優しさに、また涙が溢れそうになるのを感じながら、しっかりしなきゃと思う。
 それにまだ軌道修正が出来るはずだ。

「わ、笑ってたから!」
「…………俺が笑ってたのが、そんなにショックだったのか?」
「ち、違うよ! そうじゃなくて!」

 ちょうど場面的には、ゲ─ム主人公くんと怜くんが談笑しているところを、邪魔した感じになってるはず。
 うん、悪役の性悪親衛隊長としては、何ら間違った行動ではないよね! だって僕はゲ─ム主人公くんと怜くんのお邪魔虫なんだからっ。
 なんだ、よくよく考えてみれば既定路線じゃないか。BLゲ─ム『ぼくきみ』でも、僕は嫉妬深い性格だった。狭量過ぎるのはどうかと思うけど、怜くんに対しては何の問題もなかった。
 ぐっと目に力を入れて、怜くんの碧い瞳を見上げる。

「僕にだけ……僕にだけ笑って欲しかったの! 怜くんが、僕の知らないところで、楽しそうにしてるのが……寂しいっていうか、嫉妬しちゃったっていうか……。心が狭くて、ごめんね!」

 最後まで言い切ると、怜くんの胸に顔を埋めてぎゅぅっと抱き付いた。
 きっと今頃心底呆れた顔をされている。分かっていても、目にする勇気はまだ持てなかった。

「あ─……そうか、嫉妬か……」
「怜様、爆ぜてください。ニヤついてる怜様なんて、イエスッ、ク─ルビュ─ティ怜様! らしくありませんよ」
「圭吾、お前を一度殴らせろ」

 誰かの声が聞こえると思って顔を上げると、桜川くんが近くまで来ていた。

「素直に殴らせるバカがいると思いますか? はっ、名法院家のご令息ともあろう方が、こんな短絡思考とは嘆かわしい限りです。さっさと皺になった上着をお渡しください。あぁ、シャツは結構ですよ、主人を露出狂にするわけにはいきませんから」
「…………」

 桜川くんの言葉に、怜くんのこめかみの血管が浮き上がっているのが見える。
 とりあえず僕が抱き付いたままだと上着が脱げないので、そっと体を離した。

「桜川くん、手間を増やしちゃってゴメンね?」
「笑わせてもらったからチャラでいい。怜様の奇声を聞けるなんてレアだから。ぷっ、『ゴボァッ』だって。あ、保、そのまま怜様と腕組んでてくれる? 拳が飛んできそうだから」

 僕と喋りながらも、桜川くんは器用にスルリと怜くんに上着を脱がせる。

「貴様……!」
「はい、怜様はこのまま保と腕を組みながら食堂へどうぞ─。ちゃんとエスコ─トしてあげてください」

 結局、怜くんは桜川くんに上手く言い返すことが出来ず、僕たちは食堂へと向かった。腕を組んで歩けるなんて、僕としては役得だ。