003─高等部一年─

 私立鳳来学園高等部の生徒は、全寮制の男子校という特殊な環境下のせいか、石を投げればホモかバイに当たるというレベルで、同性愛に対し寛容だった。
 思春期という同性に憧れを抱きやすい頃に、外界から隔てられた学園へ集められているせいかもしれない。
 ぶっちゃけると、性欲を持て余した結果、手近なところで事を済ませてしまう傾向にある。
 外泊届を出せば外泊することも可能だけど、始終彼女とイチャイチャ出来る環境下でないことは確かだった。
 両者合意の上なら問題にはならない。
 しかし現実はというと────。

「板垣のところには、再三注意を入れてるのだがな」
「今回は相手を信用して、警戒が緩んじゃったのが原因だと思うけど……」

 板垣《いたがき》 八雲《やくも》、僕より一学年上の先輩の実家は、国内では知らない人がいないほど、有名な警備会社を経営している。
 名前からもお堅いイメ─ジを受けるけど、本人は見た目からしてチャラい。僕は心の中で、ずっとチャラ男先輩と呼んでいる。
 常に親衛隊の子たちを侍らせて、体の関係も好き放題。これは、まぁ、親衛隊の子たちも好きで体を許してるからいいんだけど。

 問題は、それを他の生徒が見て、親衛隊は下半身が緩い、所謂《いわゆる》ビッチだと勘違いしてしまうことだった。好きな人の相手をするのと、それ以外じゃ話は別だっての!
 しかもチャラ男先輩の親衛隊だけじゃなく、親衛隊全てを引っくるめてそう思われているから始末に悪い。風紀委員の上村くんとか、親衛隊に対しても身持ちが堅い人はいっぱいいるのに……。

 そう、親衛隊関連の問題で一番多いのは、親衛隊の子が他の生徒に襲われるというケ─スだった。
 だから僕たち親衛隊の人間は横の繋がりを大事にし、『誰の』親衛隊か関係なく、情報を共有することで自衛に徹している。一人行動はなるべく避ける、とかね。
 また風紀委員とも連携して、怪しい人物を見かけたらすぐに報告を入れる連絡網を敷いていた。
 人気のない場所は、風紀委員が重点的に見回りをしてくれてるけど、人手があることに越したことはない。おかげ様で、親衛隊以外の生徒が襲われるのも未然に防いだことがあるんだよ!

「いつも通り、注意喚起するしか手立てはない、か……」
「そうだね。既に張り付いてる親衛隊のイメ─ジを払拭するのは難しいと思うから……自分の身は自分で守るようにしないとダメかなぁ」

 暗雲たる気持ちで、眞宙くんの親衛隊長である南くんに視線を向けると、儚げに眉尻を落とした微笑みが返ってきた。あぁ、守りたい、この笑顔。
 髪がハニ─ブラウンという色合いなのもあって、テディベアを抱かせたくなるよね。赤いリボンも似合いそうだ。ちょうどいい感じのテディベアを持っているので、一度抱いたところを写真に撮らせてもらおうかな……。
 南くんは僕と大して身長が変わらないんだけど、見た目の線の細さも相まって、庇護欲をそそられる。
 可愛いなぁと眺めていると、上村くんから僕たちにも注意するようお声がかかった。

「言わずもがなだが、お前たちも気を付けろよ。柳沢は……大丈夫だと思うが」
「ウッス!」

 上村くんの親衛隊長である柳沢くんは、テディベアではなくヒグマのようなガチムチのイケメンで、一見すると襲う方だからね。本人は自分よりも一回り以上細身である上村くんに襲われたいらしいけど。

「僕や南くんは最悪、怜くんや眞宙くんの名前を出したら、相手が逃げてくれるのが救いだよね」

 虎の威を借るキツネでも、背に腹は代えられない。
 実際、高等部に上がってすぐの頃は、僕も何度か人気のないところに連れ込まれかけたことがあるけど、怜くんの名前を出したらすぐに解放してもらえた。怜くんのネ─ムバリュ─は凄いんだ。
 けど他の人はそれが使えないので、人気のない場所での単独行動についてはよく注意を促している。

「それも万能ではないだろ。慢心してると足をすくわれるぞ。特に湊川」
「何で僕!?」
「お前が一番危なっかしいんだ」

 保くん、無自覚なところが多いですから。と、南くんにまで言われて肩を落とす。
 そんな……風紀委員からの呼び出しにも、可能な限り対応して頑張ってるのに。

「はぁ……名法院家の威光を気にしない人間もいることを忘れるなよ」
「そんな人、この学園にはいないよ!?」
「灯台下暗しとはよく言ったものだな」

 どうしてか、小さい子を見るような目をしながら上村くんに頭を撫でられる。その横で柳沢くんが羨ましそうな視線を送ってくるけど、僕にはどうも出来ません。

「そうだ、上村くん、ちょっと耳に入れておきたいことがあるんだけど」

 ちょうどいい機会だし、ポスタ─の枚数の件を伝えておく。文句がある場合は、怜くんに直接言えば聞いて貰えることも。

「……いつもは何枚刷ってるんだ?」
「資料によると二百枚」
「暴動になるな」
「なるよね」

 暴動は言い過ぎかもしれないけど、あちらこちらでポスタ─を巡って小競り合いが発生するのは目に見えていた。もういっそ、生徒一人ひとりに配ったらいいんじゃないかとすら思う。

「ポスタ─の件については了解した。必要数をこちらでも計算して、風紀委員長に進言してもらおう。ということで委員長、よろしくお願いします」

 突然上村くんに話を振られた風紀委員長が目を丸くする。心なしか血の気が引いたようにも見えた。大丈夫かな、もう倒れそうな顔してるけど。

 その後、上村くんに見送られながら、僕を含めた親衛隊長は、風紀委員室を後にした。
 どうやら南くんも柳沢くんも、隣の空いている会議室で他の親衛隊たちの子と、それぞれ眞宙くんと上村くんが役員の仕事を終えるのを待っていたらしい。
 いつも気付いたら傍にいると思ってたけど、常に待機してたんだね……。

 僕が生徒会室に戻ると、そこには怜くんと眞宙くんの姿しかなかった。

「あれ? 他の人たちは?」
「必要事項は決まったから、今日はもう帰らせた。明日からは準備で忙しくなるだろうしな」
「そうだね、ポスタ─用の怜くんの写真撮影もあるしね!」
「…………」

 僕が答えると、怜くんはこめかみを指で押さえた。何か不安なことでもあるんだろうか。
 僕としてはゲ─ム主人公くんを気にしないで過ごせる最後のイベントなので、否応にも力が入る。

「大丈夫だよ! 撮影は写真部に任せることになってるけど、意気込みも凄いらし……痛い、痛い!」

 怜くんがおもむろに近付いてきたと思ったらアイアン・クロ─をかけられる。怜くん、僕の顔を片手で締めるのが好きだね!?

「お前は、それ以外にないのか」
「だってこれがメインイベント……」
「な、わけあるか! メインは、新しい役員の募集だ!」
「そんなの募集しなくても集ま……痛い! 顔が歪んじゃう!」

 事実を口にしただけなのに、怜くんは気に入らなかったらしい。僕が叫ぶと、締める力を少し緩めてくれるところに、優しさを感じます。

「まぁまぁ、二人ともジャレるのはそのくらいにして。保、親衛隊の件は大丈夫だったの? 怜もそれを心配してたんだよ」
「俺は別に心配してないぞ」

 眞宙くんが間に入ってくれたことで、アイアン・クロ─は外された。無愛想に言い放つ怜くんに、眞宙くんは苦笑するけど、いつものことといえば、いつものことだ。
 僕がチャラ男先輩の親衛隊の子が襲われた話をすると、二人とも揃って天井を仰いだ。それぞれの銀髪とワインレッドの髪が揺らぐ。

「またか」
「板垣先輩が素行を正さない限り、なくならないだろうね」

 ごもっともである。
 僕としては親衛隊への風評被害をどうにかしたいところだけど、これといった解決策は浮かばなかった。

「保も気を付けてね」
「うん、上村くんにも注意されたところだよ」

 灯台下暗しの意味は分からなかったけど。
 僕が眞宙くんに頷く傍ら、怜くんは眞宙くんから生徒会室のドアへと視線を投げる。

「……話は終わったな。じゃあ、眞宙は先に帰れ」
「怜、今の話、聞いてた? どうして俺が怜と保を二人っきりにすると思うの」
「合意の上なら、問題ないだろう?」

 次に怜くんは、じっと僕を見つめた。
 碧い瞳に正面から見つめられ、一瞬にして僕の鼓動は早まる。えぇっと……これは……そういう流れなわけで。
 怜くんと二人っきりになった後のことを考えると、じわじわと頬が熱くなるのを感じる。

「保、嫌なら嫌だって言うんだよ?」
「俺は今まで無理強いしたことはないぞ」
「言うまでもなく、それが当たり前なんだけどね?」

 怜くんは生徒会室から眞宙くんを追い出すと、僕の手を引いて、応接用の黒い本革のソファに座らせる。
 二人がけのソファに並んで腰を下ろすと、ギシッとスプリングが沈む音がした。
 あああ、どうしよう! と恥ずかしさから、膝に拳を乗せて座ったまま固まる。しかしそんな僕を気にした様子もなく、怜くんは端正な顔を近づけると、チュッと軽く耳に口付けた。
 そのリップ音が生々しくて、僕は余計拳に力が入る。

「まだ慣れないのか」
「多分ずっと無理だと思う……」

 正直に白状すると、ふっと笑った雰囲気が怜くんの方から伝わってきた。数センチも離れていない距離に、怜くんの顔があるのだと思うと心臓に悪い。
 普段は意識しないようにしてるけど、二人っきりになってしまうとダメだった。

 大好きな人。
 憧れの人。

 怜くんと肌を重ねるようになったのは、ご多分に漏れず高等部に進学してからだ。けれどチャラ男先輩とは違って、怜くんが僕以外の親衛隊の子に手を出すことはない。
 抱かれたいと思っている子が、たくさんいることを知っている。そんな彼らから自分が嫉妬されていることも。
 きっと僕が逆の立場でも嫉妬するだろう。
 それが一時の、性欲処理のためだったとしても。

 怜くんが恋愛をするのは、BLシミュレ─ションゲ─ム『ぼくきみ』のゲ─ム主人公くんであって、僕じゃない。

 未来を知っていても、この気持ちは止められなかった。
 大好きな、大好きな怜くん。
 少しでも彼の傍にいられるなら、触れてもらえるなら、先のことなんてどうだっていいとすら思えるほど。

「保……」
「んっ」

 怜くんの熱い吐息が頬にかかる。
 キスされる。そう思ったときには、唇を合わせたままソファに押し倒されていた。

「ちゅっ……ふ、んんっ」

 咄嗟に閉じた唇を吸われ、上唇と下唇の間を舌で撫でられる。まるで癒着した氷を溶かすような舌先の動きに、堪らず口を開くと、中に彼の舌が進入した。
 ヌメリをもったそれが唇の裏を舐める。普段自分でも意識していないところまで舌を伸ばされて、体がビクついた。

「ぁ……れい、く……っ」

 止めて欲しいような、止めて欲しくないような。
 ただ本能的に、密着し過ぎるのはいけないことのように思えて、怜くんの胸を手で押す。
 その程度では押し返せないことは分かっているのに。
 案の定、怜くんが口付けを止める素振りはなく、押し付けた手の平から彼の体温が伝わってくるだけに終わった。

「はっふ、んんっ……」

 大きく口を開いて、唇を離すことなく口内を貪られる。
 唾液が溢《あふ》れ、顎にまで伝う頃には、頭がぼうっと熱に浮かされていた。
 最初は体が密着する緊張感に閉じていた目も、ようやく開けられるようになる。けれど視界はぼやけ、怜くんの表情の機微までは分からない。
 辛うじて、口付けの間も一心に見つめられていることだけは、正面に見えた海の色で理解した。
 しかし見られていると意識した途端、心臓が暴れ出す。
 こんなゼロ距離では、見られる範囲が限られるとしても。

 きっと全部バレてる。
 口内を舐められ、感じたことも。それを享受したいという思いがあったことも。
 自分の浅ましい部分は、全て怜くんに伝わっている。
 そう思うと、目尻に涙が浮かんだ。
 心臓の鼓動が痛い。

 呼吸すら苦しくなって、怜くんの胸に置いた手が、彼のシャツに皺を作る。
 するとようやく口付けから解放された。
 唇を離した怜くんは、そのまま僕の目尻の涙を吸う。次はどうするのかと濡れた瞳で後を追うものの、見えたのは銀色の頭頂部だけだった。重力に沿って落ちた髪が、怜くんの表情を隠してしまう。
 彼の高い鼻先が首筋に触れ、シャツの上から鎖骨をキツく吸われる感覚に、勝手に声が出た。

「やっ……怜くん……!」
「まだこれからだろう?」

 言うやいなや、怜くんは僕の足の間に割って入ると、乱暴にシャツをたくし上げた。素肌が外気に触れ、体が強張る。
 けれどそれ以上に、怜くんの長い指が直接肌に触れる感触に、横隔膜が痙攣を起こしそうだった。

「あっ……!」

 両手で脇腹を撫で上げられ、肋骨にまで指が伸びる。脇の下の骨の位置を、一本一本確かめるような指の動きに、反射的に腰を捻った。

「やだっ、くすぐったい!」
「感じるって言え」
「言ったら、止めてくれる……?」
「検討はする」
「そんな……ひぅっ」

 まるでくすぐりの刑を受けているようだ。僕は何も悪いことはしていないのに!
 シャツはもう胸の上までたくし上げられていた。室温のおかげか、すぐ傍に人の体温があるからか、寒さを感じることはないけど……。
 上半身を、それこそ脇も全て見られてると思うと、恥ずかしくて顔が熱くなる。一応ムダ毛の処理はしてるけどさ、何もそんなところを重点的に触らなくてもいいじゃないかっ。
 未だ動き続ける怜くんの指を止めたくて、脇を締めてみてもあまり効果はなかった。
 そして次第に怜くんの手は僕のない胸を揉みはじめる。親指が弧を描きながら突起部分に触れ、ソファから背中が浮いた。

「あっ……ぁ……怜くん、それ、やっ」
「嫌そうには見えんが?」

 怜くんは薄く笑いながら、親指の腹で乳首を撫で続ける。ジワジワと下半身に熱が集まる感覚に、僕は首を振った。

「やだっ……感じるから、それ、やめてぇっ」

 大きく口を開けて懇願すると、視界が遮られ、息が止まった。