002─高等部一年─

 あと二か月もして春休みを挟めば、BLゲーム『ぼくきみ』の、ゲ─ム主人公くんが編入してくるというこの時期。
 既に僕と怜くん、眞宙くんの幼馴染三人は生徒会に入り、一年生役員として働いていた。怜くんが生徒会副会長を務め、僕は書記の補助、眞宙くんは会計の補助といった具合だ。
 生徒会長は前任者からの指名で、役職に関係なく一年生役員から選ばれる。今年は、順当に怜くんが生徒会長になることが決まっていた。他の役員はそのまま繰り上がりだ。三年生は受験があるため、基本的に生徒会に残ることはない。
 そして新しい一年生役員については、新学期早々募集をかける必要があった。
 怜くんと眞宙くんがいることから、新一年生の生徒会への立候補倍率が、大変なことになるのは考えるまでもないよね。
 黙っていても立候補者は集まるだろうけど、生徒会としては募集用の窓口を設置するとともに、広報も行う必要があった。
 その準備のため、このところ放課後は毎日、現一年生役員を中心に生徒会室に集まっている。僕たち幼馴染の他にも、繰り上がりで庶務や広報、監査といった役職になることが決まっている同級生三人や、補佐の人たちがいるけど、会議で発言することはほとんどなかった。どうしても怜くんや眞宙くんに遠慮してしまうみたいだ。

 生徒会室は、他の教室とドアの造りからして違う。教室のドアは軽量のスチール製で、スライドして開けるのに対し、生徒会室のドアは木造で両開きだった。
 そのドアを開けて中に入ると、床に敷かれた植物柄のベ─ジュの絨毯が出迎えてくれる。流石にシャンデリアまでは飾られてないけど、会議に使う多人数用の木造テ─ブルは、天板の厚さだけでも十五センチはあり、重厚感に溢れていた。
 シックな色合いのヴィクトリア調でまとめられた調度品の数々は、全て卒業生か在校生の親による寄贈品だ。

 室内の間取りは、入って右手に会議用の長机と役員の数だけ椅子が備えられ、上座には一際豪華な生徒会長用の椅子が置かれている。
 それらとは別にパ─テ─ションで区切られた左手には、二人がけのソファが対面するようにあり、対面するソファの間には小さなテ─ブルが設置されていた。これは応接用の設えだった。
 更にその左手には給湯室があり、お茶を用意出来るようになっている。そこで僕が人数分の紅茶を入れ、配り終わったところで、怜くんが口を開いた。ちなみに給仕について担当は決まってないけど、僕が用意することが多い。

「例年通り、役員は自薦他薦問わず、推薦で人材を募集するとして……広報用のポスタ─は必要なのか?」
「それは必要でしょ! 例年通り!」

 自分の席に着くなり、力いっぱい頷いて答える。
 広報用のポスタ─は新しく就任する生徒会長の告知も含まれていて、今年そこに映るのはもちろん怜くんだ。
 毎年一年生役員の募集と、その後のポスタ─争奪戦はワンセットになっている。ちなみに僕は現役員特権で、ポスタ─を確保する予定です。A2サイズで刷られた怜くんの写真とか、垂涎ものでしょ!

「何だったらキャッチコピ─を入れるのはどう?」
「へぇ……面白そうだね」
「おい、選挙ポスタ─じゃないんだぞ」

 眞宙くんが乗ってきてくれたので、僕は思い浮かんだキャッチコピ─をすぐさま口にしてみる。怜くんの抗議はスル─の方向で。

「『宇宙を見上げたとき、視界に映るシルバ─ウェイ、それが俺様さ』」
「意味が分からん」
「えっとね、シルバ─ウェイは怜くんの銀髪とかけててね!」
「却下」
「じゃあ……『海に行きたい? ならば鋭い瞳の奥に隠された、俺の海に溺れるがいい』」
「却下」
「むぅ。『人は俺をこう呼ぶ……地上に降り立った奇跡、イエスッ、ク─ルビュ─ティ─怜様! と……』」
「却下だ、却下! そもそも呼んでるのはお前だけだろうが!?」

 見事に全却下された。
 僕の正面に座る眞宙くんは、顔を背けながら肩を震わせている。他の役員の反応も似たりよったりだ。即席で考えた割には、よく出来てると思うんだけどな─。

「キャッチコピ─なんざいらん! 前から思ってたが、保、お前俺にケンカ売ってるだろ!?」
「そんな!? 僕は至って真剣なのに!?」
「尚、質《たち》が悪いわ! 壊滅的なセンスのなさを自覚しろ!」
「えぇっ!?」

 ショックだ……我ながら力作だったのに。即席だけど。

「あはは、俺は好きだけどね。特に最後の……イエスッ、ふふっ……ク─ルビュ─ティ─……あははははっ」
「有難う、眞宙くん!」
「完全に笑われてるだろうが!」
「怜っ、ク─ルビュ─ティ─が、崩れっはははは」
「お前も笑い過ぎだ!」

 眞宙くんの笑顔に、僕もつられて笑顔になる。
 気に入ってもらえたんなら嬉しい。いや、僕は至って真面目だよ?
 しかし、どんどん怜くんの顔が凶悪になってきてるので、キャッチコピ─は諦めるとしよう。

「仕方ないなぁ、じゃあキャッチコピ─はなしの方向で……」
「当然の結論だな」
「ポスタ─の部数は一万部ぐらいでいいかな?」
「……どうして在校生の三十倍もの数を刷る必要があるのか説明しろ」
「親御さんやOBに配る分を考えたら、少ないぐらいだよ?」
「配るな! 必要なのは校内に貼る分だけだ!」
「えぇっ、怜くんのポスタ─だよ!? それじゃ絶対足りないって! ポスタ─を巡って暴動が起きてもいいの!?」

 怜くんの写真はただでさえ入手が困難だというのに! 親衛隊の中でも、遠くから写したものしか流れてないのに!

「そんなことに予算を割けるか! 第一、俺のポスタ─なんぞ入手してどうする気だ!」
「部屋の四面に貼るに決まってるでしょ。あ、天井にも貼るから五面? それと、一枚は保存用ね?」
「却下」
「酷いっ!」
「まぁまぁ、保も落ち着いて? どちらにせよ、怜のポスタ─にプレミアが付くのは避けられないと思うし。それに保にだったら怜もプライベ─トで写真を撮らせてくれるんじゃないかな」

 笑いは収まったものの、目尻に涙を溜めた眞宙くんの言葉に、本当……? と上目使いで怜くんを見る。しかし目が合うと、サッと目線を逸らされた。
 やっぱりダメなのかと思った矢先、ため息混じりに了承の声が聞こえてきて耳を疑う。

「…… 保も 一緒に写るなら、考えないこともない」
「僕も一緒に写っていいの!?」
「ただし、他には流すなよ」
「えぇ─……」

 僕が写っているところを切り取って流せば、親衛隊の皆とも幸せを共有出来ると思ったのに。

「それが条件だ」
「うぅ、分かったよ。僕はそれで救われるとして、ポスタ─の数は本当に例年通りでいいの?」
「問題ないだろう? もし暴動が起きるようなら、風紀委員に徹底させろ」
「風紀委員からも文句出そうだけどなぁ」

 風紀委員の仕事には、学園内の治安維持も含まれていた。そして親衛隊長である僕は、わけあって彼らと顔を合わせる機会が多い。
 だからか、暴動を予見出来るなら、まずその芽を潰せと言われる気がしてならなかった。

「直接俺に文句を言えるなら聞いてやる」
「氷の帝王様を相手に……?」

 幼稚舎からの幼馴染で、気のおけない僕や眞宙くん相手だからこそ、怜くんも口数が多いけど、他の人に対しては大抵ポ─カ─フェイスで接している。
 火のないところに煙が立たないように、二つ名の氷の帝王様や、僕がク─ルビュ─ティ─と評するのは伊達じゃないんだ。
 怜くんが唇を結べば、その整い過ぎた容姿から一瞬で周囲への威圧感が増す。それに加え、歴史ある名法院家の名がチラつけば、人が萎縮するのは簡単だった。
 その態度を一般の人が見れば、一学生に対して大袈裟だと思うかもしれない。
 けれどそれは名法院家の影響力を知らないからだ。少しでも知る立場にいれば、根の葉もない噂ですら忌避したいと思う。触らぬ神に祟りなし。家の名前を背負う鳳来学園の生徒にとって、怜くんは正しくそんな存在だった。

「検討に値する意見なら、俺は話を聞く」

 例え、怜くんが己の権威を不必要に誇示しない人であっても。
 どちらかと言うと、特別な立場にいる人より、その他大勢の人の心境の方が分かってしまう僕としては、難しいだろうなぁと思う。
 僕が気楽に怜くんと接せられるのも、湊川本家に不都合があれば、簡単に切り捨てられる存在だからだし。
 現在の学園で、怜くんの名法院家と対等に渡り合えるのは、眞宙くんの佐倉家だけだろう。
 思わず眞宙くんに視線をやると、苦笑が返ってきた。

「怜の言い分は最もだけどね……立場的に進言や諫言を受けるのが難しい実情があることは、理解してるだろう?」
「ふんっ、俺相手に怖気づくようでは底が知れている」

 僕の意を汲んでくれたのか眞宙くんが諭してくれるけど、怜くんは中々に手厳しい。あぁ、でもだからゲ─ム主人公くんの言葉にも、怜くんは耳を傾けるんだ。家名に惑わされず、ちゃんと意見が言える相手を、怜くんは尊重する。
 ここは風紀委員の人にも頑張ってもらうしかないかなぁ。
 そんなことを考えていたからか、机の上に置いてあった僕のスマホに風紀委員長からチャットでメッセ─ジが入る。そこに書かれていた内容に、すぐさま席を立った。
 怜くんが僕を見上げる。

「問題か?」
「親衛隊関連でちょっと……。悪いけど、少し席を外すね」
「その様子だと急ぐ用件らしいな。終わったら戻って来い」
「うん、じゃあ行ってきます!」

 悲しいかな、親衛隊関連で呼び出しを受けるのは、これがはじめてじゃない。
 怜くんも僕の様子で察してくれたのか、引き止められることはなかった。僕がいない方が会議が進むと思ったのかもしれないけどね。……強く否定出来ない程度には自覚がある。

 でも今はそんなことを気にしている余裕はない。
 生徒会室を出ると、足早に風紀委員室を目指す。風紀委員室は、生徒会室との間に二つ会議室を挟んだところにあって、距離はさほど離れていない。調度品を除いた部屋の間取りも一緒だ。
 固く閉ざされた木製のドアをノックすると、内側から開けられた。
 出迎えてくれたのは、眞宙くんの親衛隊長である南くんだった。綿菓子のような、ハニ─ブラウンのふわふわとした髪が視界に入る。
 どうやら同じように呼び出しを受けて、ちょうど室内でドア側に立っていたらしい。

「すぐに集まれるのは、いつもの三人だけか……」

 僕の顔を見るなり、次期風紀委員長になることが決まっている現副委員長の上村《うえむら》 一紗《かずさ》くんが呟く。どうやら他の親衛隊長からは、集まれない旨の連絡があったらしい。
 皆、反応が早い。ただそれ以上に、生徒会室から間を置かずに来た僕より、早く集まっていた二人に舌を巻く。
 風紀委員も生徒会同様、役職は繰り上がりだけど、親衛隊関連の問題については、上村くんが担当することになっていた。一年生が担当するのは珍しいと前に聞いた覚えがある。それだけ上村くんの力が、風紀委員で見込まれている証だろう。

 いつもの三人というのは、僕を含めた親衛隊長のことだ。親衛隊長は同級生から選ばれるのが決まりになっているため、今期は一年生が多かった。
 怜くん担当の僕、眞宙くん担当の南くん、そして上村くん担当の柳沢くんと、皆同級生だ。上村くんも学園内で目立つ存在だから、親衛隊があるんだよね。はい、彼もBLゲ─ム『ぼくきみ』の攻略対象です。

 呉服屋の御曹子である上村くんは、長い黒髪をいつも後ろで結っている。背筋の伸びた立ち姿は彼の雰囲気を鋭くさせ、腰に刀を差していても不思議じゃなかった。僕以上に和の雰囲気がある人で、上村くんの親衛隊長である柳沢くんによると、着痩せするタイプらしく、脱いだら筋肉も凄いとのこと。
 あ、柳沢くんは上村くんと同じ合気道の道場に通っていて、裸を見る機会があるだけで、二人はとても清い関係です。
 柳沢くんは、僕や南くんとはタイプが違い、体格も上村くんより大きい。サイドが刈り上げられた短髪には清潔感があって、とても頼りがいがありそうな見た目をしている。上村くんも柳沢くんも黒髪だから、同じ黒髪仲間の僕としては親近感が湧く相手だ。

 風紀委員室にいる他の風紀委員にも目礼で挨拶しながら、僕は上村くんの言葉を引き継いで、口を開いた。

「いつも通り、他の親衛隊長にはメ─ルを送る形でいいんじゃないかな? ところで被害状況は?」

 親衛隊関連の問題が起こったとき、口頭で説明を受けられる人は聞いて、その場に居合わせられなかった人には、連絡メ─ルを送るのが基本的な流れになっていた。
 これは『誰の』親衛隊にかかわらず、情報をいち早く共有するために必要なことだった。

「被害者は板垣の親衛隊員。どうやら友人だと思っていた相手に襲われたらしい」
「相手は一人?」
「そうだ。加害者曰く、板垣の相手をしてるなら、自分の相手をして欲しかったと」
「いやいや、それならまず告白しようよ。何でいきなり襲っちゃうんだよ……」

 話を聞いて頭が痛くなる。
 けど悲しいかな、こういった学園内での強姦事件は、ままあることだった。
 BLシミュレ─ションゲ─ムの舞台だからかもしれないけど、犯罪行為が横行するのはどうかと思うよ!?