003

 戸惑いがないわけじゃない。
 いっそ発狂出来たら楽だろうな、とすら思う。
 けれど『邪神』の身で、それは叶わなかった。
 意識も思考も“俺”ではあるけれど、何かが違う。まるで人であった“俺”と、邪神としての“俺”が無意識下でケンカしているようだ。

 どうして、どうして、どうして。

 この不条理を誰かにぶつけてしまいたい。そんな衝動を、意味がないと理性が切り捨てる。
 考えてるのか、考えていないのか……たまに自分でも分からなくなる。
 今の俺は、昔以上に自由で気ままだ。
 だからこそ考えることを止めてはいけないと思う。理由はないけど、思考を止めてしまうのはとても怖いことのように思えた。

 傷つかない体は不死なのだろうか? 不老なのだろうか?
 今はまだ分からない。
 時間はたくさんありそうだから、気長に答えを探して行くしかないのか。
 荒れ狂う気持ちは、胸底に押し込めて。

「……寝苦しいって言うより、金縛りの域だぞ、これ」

 身動きが全くとれない。
 意識はある、目も開く……けれど体がテコとして動かなかった。
 まぁいざとなれば通り抜けられるんですけどね。しかし安易にそうしてしまうのもしのびない。
 どういうわけか、俺は横向きに寝た魔王様の腕に抱かれ、下半身を尻尾でホールドされていた。
 おかしい、あれから並んで寝たけど、お互い疲れていて特に絡むようなことはしなかったのに。
 ちなみに寝るときに角が邪魔にならないのか聞いたら、専用の枕を使っているため特に問題はないとのことだった。
 種族によって角も形状が変わるから、色んな種類があるのだと言われて妙に納得してしまったことを思い出す。
 今はそんなこと言ってる場合じゃないけど。

 厚い大胸筋はなだらかな丘を作り、今は呼吸に合わせて微かに上下している。
 服の上からでも綺麗に割れた筋肉が見て取れた。この分だと腹筋も素晴らしいに違いない。
 幸い首から上は若干動かすことが出来たので、顔が魔王様の胸にくっつくように頭を傾ける。
 ちろ……と服の上から魔王様の乳首を舐めた。
 大体この辺だろうと思われるところを舌で弄る。
 ちょっとした意趣返しだ。
 上手いこと突起を見つけられたので吸い付く。そして唾液を乗せた舌で舐めて、また吸った。

「ん……」

 瞼を震わせるものの、まだ魔王様が起きる気配はない。
 他にすることもないので、俺はその行為に没頭することにした。
 ただただ魔王様の乳首を舐めて吸うのを繰り返す。

「……ふっ……ん」

 次第に突起の形が鮮明になり、乳輪がぷっくりと盛り上がってくる。
 存在が増した乳首を俺は丹念に舐め上げた。

「はぁ……あっ、ん……なにを、している」
「ちゅっ、あむ」

 魔王様が起きたらしい。
 僅かに腕の拘束が緩む。俺は乳首を口に含んだまま、魔王様を見上げた。
 そしてわざと見えるように舌を出して、尖端を舐め回す。

「っ……!」
「ん……乳首は仕方ないとして、すっかり下も大きくなってるけど、朝立ちか?」

 最初は触れてもなかったはずなのに、今では大きくなった魔王様のペニスが俺の太ももに当たっていた。

「貴様の、せい、だろうがっ」
「乳首舐めてただけだよ? 魔王様は乳首だけでも気持ち良いんだ?」
「……貴様が何かしたのであろう。昨晩だってあんな……っ」

 自分があられもなく感じていたことを思い出したのか、魔王様の目尻がカッと染まる。
 あの後レベルが上がったことは内緒にしておこう。

「普段はあれほど敏感じゃないの?」
「当たり前だ!」
「ふーん……でも俺、キスぐらいしか思いつかないんだけど」
「だったらそれが原因だ」
「今は? 乳首気持ち良い?」

 軽く歯を立てて甘噛みする。反応は分かりやすかった。

「んぁっ……!」

 ぐぐっと太ももに当たる感触も強くなる。
 魔王様が言う通りキスが原因なのかな? それとも唾液?
 邪神のアビリティってどうなってるんだろう。自分で検証していくしかないんだろうか。スキルは見れるのになぁ。

「気持ち良いみたいだね。……このまま乳首だけでもイけそうじゃない?」
「やめろ……っ、どうせなら、こっちを……」

 我慢出来なくなったのか、俺への拘束を解いて、魔王様はズボンの中から自身を取り出した。
 改めて見ても大きい。
 そしてやっぱり甘い香りがする。

「吸って欲しい?」
「吸いたい、の間違いだろう。飲ませてやると言っている」

 にべもなく言われたので、少しカチンときた。
 昨日はあんなに可愛かったのに。

「じゃあいらない」
「なっ……余が自ら、余の種を飲ませてやると言っているのだぞ!」
「いらない。ていうか、喜ぶ人いるのか? それ」

 俺のように甘く感じるならともかく。フェラはしても飲みたくないって人はたくさんいるだろうに。

「皆喜ぶぞ。そもそも余に触れられるというだけで歓喜するが」
「あぁ……」

 そういえば魔王様だった。この呼称で良いのか分からないけど、とくに訂正もされないから間違ってはいないんだろう。
 確かに一般人(魔族)からしてみれば、こんな美形の魔王様の相手が出来るのは、この上ない喜びなのかもしれない。
 でも俺、邪神だしなぁ。

「分かったら、早くしろ」
「萎えた」

 俺も自分から咥えに行ったのが信じられないけど、それも今の俺が抵抗ないってのと、おいしく感じられるのがあるからで……。
 言うなればそれだけだから、施されるほどのことじゃない。

「何? おいっ」

 あんまりやり過ぎるのもどうかと思ったけど、俺はスルリとベッドから抜け出した。
 通り抜けをする度に、人じゃないんだなぁと実感する。

「別に必要なわけじゃないし」
「……こうしたのは貴様だろう」
「だから?責任取れって? それぐらい自分で出来るでしょ、ま・お・う・さ・ま」

 何も知らない子供じゃないんだから。
 さて、起きたのは良いけど、これからどうしようかな。
 日は昇ってるみたいだから、どこか探索出来るならしたいなぁ。

「ま、待てっ、どこに行く」
「どこでも。知ってた? 今俺を縛るものは何もないんだ」

 それが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかは分からない。
 少し寂しさは感じる。
 これが自由というものなんだろうか。

「っ……待て、勝手に出歩くな」

 流石に今の状態で立ち上がることは出来ないのか、魔王様はベッドの上で上半身だけを起こす。

「それは命令ですか? 魔王様」
「お、怒っているのか」
「ちょっと。他の皆が喜ぶからって、俺までそうだと思わないでくれる? 俺が『何か』魔王様は知ってるはずだよな」
「……分かった……次からは、気をつけよう」
「それだけ?」
「謝罪はせぬぞ」
「別にいいよ。お立場もあるでしょうし。次からは……ってことは、今のソレはいいの?」
「…………」

 シーツの下に隠された部分を指で示す。ていうかシーツすら盛り上がってますけど。

「……やってくれるのか」
「どうして欲しい? 魔王様がどうして欲しいのか教えて」

 息を吐いて、苛立ちを霧散させる。
 気をつけると言ったのだから、次からは考えてくれるだろう。
 譲歩してくれた相手に、俺は出来るだけ穏やかに返した。

「……吸って、楽にして欲しい」
「気持ち良くなりたい?」

 続けて問いかければ、こくんと魔王様が頷く。
 こういうところは凄く可愛いんだけどなぁ。

「じゃあ吸って、舐めて、気持ち良くしてあげる」

 まるでご褒美を上げるように優しく言うと、俺はベッドに戻った。


◆◆◆◆◆◆


「食事は必要なのか?」
「どうだろう…とくにお腹が空いた感じはしないから、必要ないかも」

 目の前には豪勢な食事が並んでいる。魔族といっても食事は人族と変わらないんだろうか?少なくとも見た目は変わらなさそう。
 オムレツやミンチ肉の腸詰め、柑橘系に見えるフルーツやサラダは見覚えのあるものばかりだ。起きて一番の食事だからか、ミルクもコップに入れて置かれている。その横には白パンらしきものが添えられていた。
 今は昼前ぐらいの時間らしい。
 魔族も朝から働くと聞いたときは、若干カルチャーショックを受けた。夜行性じゃなかったんだね。そういう種族もいるらしいけど。

「あれだけ美味そうに飲んでればな」
「誰かさんがたくさん出してくれたせいで零れた方が多いけどね」

 甘くておいしいのはおいしいんだけど、それで腹が膨れるかと聞かれたら否だ。
 精液が食事ってどこの淫魔ですか。
 そう返すと、精液には体内魔素が多く含まれるので、魔力回復には良いと言われた。まさかのMP回復薬。しかし味が味だし、摂取方法がアレなので、回復薬として活躍する場面はなさそうだ。

「魔王様はこれから仕事?」
「あぁ、だがその前に貴様の話を詰めておかねばなるまい。しばらくはここにいるので相違ないな?」
「とくに行く当てもない上、この世界の知識もないし……自由過ぎるのも考えものだよ」
「ふむ……では、貴様には教育係を付けよう。念のため護衛も付ける。人族の客人として扱うが故、邪神だということは口にするな」
「それで話が通るの?」

 魔族と人族って仲悪そうだけど。

「貴様の見た目がそれだから仕方あるまい。余の男妾とでも言っておく。この地に適応している人族というのはそれだけで珍しいからな」
「そういうもの?」
「魔族の領地は得てして人族のそれより魔素が格段と多い。とくにこの地は闇の魔素がな。慣れていないものが来れば、たちまち魔素酔いを起こす」
「へぇ……だったら人族が攻めて来ることはないんだ?」
「……ないと言い切れないのが、今の現状だが」
「どうして? 人族が来たら魔素酔いを起こして戦どころじゃなくなるんじゃないの?」
「その辺りの詳しいことは、貴様に付ける教育係りに聞くと良い。あと一人、宰相のビクターにだけは貴様が邪神だということを明かしておく。あれは口が堅い上、年の功もある。貴様のことについて何か分かるかもしれん」
「会わせてくれるの? 俺、礼儀作法とか全然知らないんだけど」
「……今更それを言うか。大体余に対してぞんざいな口調で話すのは父上ぐらいだぞ」
「あーそれはすみません……?」
「よい、とくに外に出す予定もないしな。誰かの怒りを買ったところで、捕らわれも、殺されもしない奴のことなど心配するだけ無駄だ。ビクターは既に呼んであるから、直に来るだろう」

 おおっ、もうじきこの国の宰相様とご対面か。
 魔王様のときもそうだったけど、本当に俺、緊張という感覚をどこに忘れてきた?
 大剣を突き立てられても、最上級魔法を目の当たりにしても、恐怖は一切なかった。
 痛い思いも怖い思いもしたくはない。
 けどこのままでは色んなことが麻痺していきそうだ。
 そんなことをつらつら考えていると、メイドさんが来客を告げる。ちなみにこのメイドさんは下半身が馬のケンタウロスでした。

「通せ」
「かしこまりました」

 一礼してメイドさんが退室すると、ほどなくしてスラリとした長身のナイスミドルが姿を現す。
 外見は40代くらいだろうか、長い銀髪を後ろで一つに結び、額の両端から美しい曲線を描く触覚のような細い角が後ろ向きに伸びていた。表情は厳しい。
 触れたら指先から凍ってしまいそうな、そんな凛とし過ぎた印象だった。
 宰相様が口を開く前に、魔王様が先手を打つ。

「前置きはよい、話はコイツのことだ」
「……人族の子供ですか」
「成人はしているらしい」

 らしいってなんだ、らしいって。そんなにアジア顔は魔族から見て童顔なんだろうか?
 とりあえず口は挟まず、じっと話を聞いていることにする。
 そんな俺を険しい碧眼が値踏みするように眺めてくる。
 普通なら萎縮するところなんだろうなぁ。声もどこか刺々しいし。

「希少とはいえ、あまり良いご趣味ではないかと」
「言うな。まずコレは人族ではない」

 見た目に関してはもうね……魔族って見目麗しい人しかいないの? 魔王様の周りだからってのもあるのかな。
 宰相様も冷徹な印象を受けるけど、貴族の代名詞みたいな出で立ちに、当たり前のように整った顔は眉間に深く皺を刻んでいても美形としか言いようがない。
 真っ直ぐ伸びた銀髪に色素の薄い碧眼は、窓から入る日の光を受けて神秘的にさえ見える。
 魔王様が夜を具現化した存在なら、この人は月だろうか。昼に見える月のように、明るいこの時間においても遜色はなかった。黒一色の魔王様はどうしても違和感があるんだよね。

「私には人族のようにしか見えませんが……」
「邪神という」
「何故人族の神が?」
「分からぬ。昨晩余の寝所に降りて来ていた。ただ本人も呼ばれていないと言うし、そのような術式が行使された気配もない」
「それは……」

 宰相様が思案気に下を向く。長い前髪がサラリと落ちて顔に影を作った。
 俺自身はスルーしたことだけど、魔族にとっては俺の発現理由が気になるらしい。それだけ魔族にとって『神』という存在は無縁なんだろう。

「謎が多いのだ。コレとも会話は出来るが、常識がない。教育係を見繕ってやってくれ。ただ外に出すつもりはないから、知識に重点をおいて、人族のことを含め了見がある者を」
「御意」

 それにしてもさっきから“コイツ”やら“コレ”やら他に言い方は……あ、俺名前なかったわ。
 話の区切りもついたみたいだし、今なら話しかけても良いだろうか。

「ねぇ魔王様」

 俺の声に魔王様と宰相様がこちらを見る。うぅ、宰相様の眼光が鋭い。

「俺名前ないからさ、名前決めてよ」
「余がか……?」
「誰でも良いけど、ないと不便じゃない? 俺が邪神ってことは隠すんだろう?」
「ふむ……」
「……確かに常識はないようですな」

 話の内容か、それとも俺の魔王様に対する言葉遣いか、その両方か。宰相様は溜息をついた。

「そういえば魔王様の名前も知らない」
「アルノルト・タナトロン・リベザガン・ロノウズザ・オヴィスアリエス・ベルメールだ」
「長っ!?」
「真名を明かすことは出来ぬからな、これでも通称だ。そこの宰相はビクター・オリアサン・モデウロス・イブリエル・セバスチャン・シロオリックス・ショルツという。余の配下では、一番長く仕えてくれている」
「ご紹介に上がりました、ビクター・オリアサン・モデウロス・イブリエル・セバスチャン・シロオリックス・ショルツと申します。お見知りおきを」
「コレに丁寧な物言いはいらんぞ」
「左様で」

 よく二人とも噛まずに言えるなと感心する。既に俺はファーストネームしか頭に入っていない。
 あとサラッと俺の扱いがひどい。

「魔王様はアルね」
「構わんが、記憶力が乏しいのか?」
「一発であれを覚えろと!?」
「アルノルト・タナトロン・リベザガン・ロノウズザ・オヴィスアリエス・ベルメールだ、復唱しろ」
「アルノルト・タナトロン・リベザガン……」
「ロノウズザ・オヴィスアリエス・ベルメール」
「ロノウズザ・オヴィス……アリエス? ベルメール」
「……ふむ、とくにこれといって強制力は無いようだな」
「強制力?」

 なんだそれは。首を傾げると教育係りに聞けと言われた。一々説明してたらキリないもんね。

「陛下は随分とお心をお許しになっておられるようですが、昨晩の騒ぎも彼が原因では?」
「ん? あぁ、だが魔法を放ったのは余だ。見ての通り、コイツには一切通らなかったがな」

 知らないところで騒ぎになっていたらしい。人も駆けつけて来てたしね。むしろあれだけ部屋を吹き飛ばして騒ぎになっていない方がおかしいけど。

「一切……ですか」
「余の魔剣も闇の狩人も地獄の業火《インフェルノ》もな。闇属性に至っては吸収する」
「流石邪神といったところですか。他に何か試されましたか?」
「いや手詰まりでな。拘束することも叶わぬ。ここにいるのも本人が希望しているからに過ぎぬからな」
「厄介ですな。しかし攻撃が一切通らないのであれば、紛れもなく『神』なのでしょう。この様に具現化するとは聞いたことがありませんが」

『信仰がレベル4に上がりました』

 どうやらビクターも俺の存在を認めてくれたらしい。これ人に存在を認められるごとに1レベル上がるのか?

「やはり無いか」
「神官や巫女が神降ろしの儀を執り行い、降りてきた『神の言葉』を代弁すると聞き及んでおります」
「えっ『神』が降りて来るんじゃないの?」

 思わず反応して声を出してしまった。
 アルを見ると、昨晩言っただろう?とこちらを見返して来る。

「『神』が降りるって言ったじゃん…」
「言葉が足りなかったか。代弁するとは言っただろう?」
「降りて来るのが『神』と『神の言葉』じゃ、スケールが全然違うと思う。俺って何なんですかね?」
「邪神だろうが。加護が付けられるのだ、『神』に違いはあるまい」
「陛下、もしや加護を受けられたのですか?」

 明らかに非難を含んだビクターの声音だった。今まで落ち着いていた口調がキツくなっている。
 まぁ立場を考えれば、意味の分からない者から加護を受けるなって話だよな。バッドステータスがあるかもしれないし。
 それがないのを確認したから、俺は加護を与えたんだけど、加護の内容は俺にしか分からないみたいだしなぁ……どうしたものか。

「一方的に与えられたのだ。余が望んだわけではない。今のところ不都合はないから気にするな」
「気にします。これが人族の計略で、御身に何かあったら如何なされるおつもりか」
「不可避だったと言っている。例え計略だったとしても、抗う術が無いのなら、どうしようもあるまい。……貴様はどういうつもりで余に加護を与えたのだ?」

 ビクターを避けるように、アルは俺に話を振った。ビクターはすっかり眦を吊り上げている。怖い。

「お礼みたいなものかな? 加護の内容に関しては、俺の言葉を信じてもらうしかないけど」
「光耐性、威圧無効、物理攻撃無効、魔法攻撃耐性だったか……それが本当だったとしても、余に意味があるのは光耐性ぐらいか」

 他はきっと既に持ってるスキルなんだろう。
 それに実力主義の魔族を率いているんだ、威圧無効など持っていても意味が無いに違いない。
 光耐性という言葉にビクターが反応した。やはり魔族は光属性に弱いらしい。

「光耐性ですか……どうせなら光無効が欲しいところですな」
「欲張るな。耐性だけでも儲けものだろう。最も、信仰レベルに影響されるらしいから、加護を受けたところで力になるかどうかは分からんが」
「……外に出す予定は無いのですね?」
「お前は魔族から広く信仰を受けられると思うか?」
「無理でしょうな。力を見せつけない限りは」
「だろうな、コレは攻撃も受けぬが、攻撃することも出来ぬ。力を証明することは叶わぬだろう。第一、影響力を持たれるよりは、このままの方が問題もあるまい」
「御意。少し惜しい気もしますが……。君は魔族に加護を与えることに抵抗はないのかね?人族が不利になっても構わないと?」

 しっかりと目を合わせて尋ねられる。一瞬たりとも俺の様子を見逃すまいとしているようだった。
 本来なら背筋が伸びて、緊張に口の中が乾いただろう。
 けれど今の俺にそんな兆候はない。
 雰囲気で怖いと感じることはあっても、俺自身がそれに影響されることは無かった。

「俺にとって魔族か人族かは関係ない。諍いにも興味はないよ。今後も、相手が俺の存在を認め、俺がその相手を気に入れば加護を与えるだろうし、それは俺の気分によるところが大きいだろうな」
「なるほど、『神』とはそういうものかね」
「俺を一般的な『神』と同じに考えるのは、他の『神』に悪い気がする……」
「同列ではないのかな」
「そもそも俺は他の『神』を知らない。そっちが知っている『神』と俺は存在が違い過ぎる気もするしな。一緒に考えない方が良いだろうってだけだよ」
「理解した。あくまで君は『邪神』で『神』の中でも特例として扱おう」
「話はついたな。では貴様に余が名を与えよう」
「考えてくれたんだ?」

 どうやら俺のお願いを聞いてくれるらしい。その割にはどこか仰々しいけど…魔王様から名前を貰うのだから、当たり前か。

「魔族にとって余から名を与えられることは、誉れ高いことなのだぞ」
「それはなんとなく分かる」
「なんとなく、かね……」

 俺の反応にビクターは呆れ気味である。気持ちがついて来ないのだから、仕方ないじゃないか。

「では申し与える。これから貴様はクルト・ハウレクト・グリゴール・ホミニン・リバイジムと名乗るが良い」
「長いよ……!!!!」
「ぬ、これでも短くしたのだぞ」
「これのどこが!?」
「気に入らぬか」

 怒ったというより、アルはどこかしょんぼりして眉根を寄せる。
 うぅ、そんな顔するなよぅ。

「気に入らないわけじゃない。名前を決めてくれたのは純粋に嬉しいよ。ただ俺が覚えられるかが不安なだけだ」

 クルトとだけ名乗れば良いだろうか。漢字に当てたら狂人《クルト》? 誰が狂人か! いや、アルはそんなつもりないだろうし、漢字自体知らないだろうけどね。ふと思い付いたのがそれだった。
 そうだ、ステータスを開いてみよう。


名前:狂人《クルト》・ハウレクト・グリゴール・ホミニン・リバイジム
種族:邪神
信仰:レベル4
属性:闇(吸収)
技能:
 光耐性
 威圧無効
 物理攻撃無効
 魔法攻撃耐性
特技:加護付与


 わちゃー、漢字の方で記録されちゃったよ。音は同じだからいっか……。

「あ、ステータスに表示されるなら、見れば分かるし長くても問題ないか」
「表示されたのか? ……ふむ、余の方には『邪神の名付け親』という称号が増えたな」

 称号の項目もあるのか。こっちにはないけど。

「ステータスに反映されるとなると……もう疑う余地は無いのですね」
「加護を受ければ『邪神の加護』が手に入る。貴殿も受けてみてはどうか」
「それは邪神様が判断なさることでしょう」
「んー、俺は別に構わないけど。綺麗な人好きだし」
「……本当に気分なのだな、貴様は」

 えぇ、まぁ。
 問題はビクターが加護を受けられるまで、俺を認めてくれているかどうかだろう。
 俺の問いに答えるかのように、頭に言葉が浮かんだ。

『加護を付与しますか? はい/いいえ』

 問題無いらしい。

「ではビクターに加護を与えます」
「謹んでお受け致します」

 ビクターが居住まいを直し、胸に手を当て頭を垂れる。
 入室の際にも同じ姿勢をとっていたから、これが礼に当たるのだろう。
 アルのときと同じように、黒い霧がビクターを包み、淡い紫色の光が灯って消えた。
 俺の中でビクターの存在が明確になる。

「スキルが増えましたな。それに……不思議な感覚が」
「ふむ、クルトがここに“いる”ことが分かるであろう」

 どうやら存在を認めるこの感覚はお互いに生じるようだ。
 あと何気にアルに名前を呼ばれてちょっと嬉しい。

「いかにも」
「今のところ生じる差異はそれぐらいだ。他の者には余の男妾として伝えろ、種族は人族で構わん」
「御意。ちなみに外見を変えることは出来ないのかね」

 前半はアルに、後半を俺に向けてビクターが言う。
 実体がないに等しいのだから、変えられそうなものだけど……無理かな。俺が“俺”と認識しているのがこの姿だし。

「無理っぽい」
「では致し方ありませんね。希少価値でいえば問題ありませんし、それで何とかなるでしょう」
「任せる」
「陛下のご意向のままに。教育係の手配は早急に終わらせましょう、私はこれにて失礼致します」

 アルが頷くと、音もなくビクターは退出した。
 見ていなければ部屋を出たことに気付けないだろう。俺は微かに遠のくビクターの気配を加護を通して感じられるけど。それも意識しないと分からない。

「しばらくは余もこちらの寝所を使う。貴様は部屋から出ないように。何かあれば部屋の外に待機しているメイドを呼べ」
「はーい」

 ナチュラルに寝るのも一緒なのは決定なんですね。男妾扱いだもんな。
 しかしこれで外の探索は出来なくなった。外に出て騒ぎになるのも気が引けるから、ここは素直に従おう。

「夜までは戻らぬ。出来ることは少ないだろうが、ビクターのことだ、すぐに教育系を寄越すだろう」

 仕事早そうだもんね、ビクター。
 アルは立ち上がり部屋を出ようとする。
 が、何故か尻尾が俺に巻き付いた。

「アル?」
「ふ、不可抗力だ! 気にするな!」

 意図しない事態にアルは慌てて尻尾を自分の身に寄せる。
 尻尾は思考より感情に伴って動いてるみたいだけど、どうなんだろう。俺の傍にいたいと思ってくれてるなら和む。

「行ってらっしゃいのキスでもしてあげようか?」
「……それは人族の習わしか」
「する習慣がある地域もあれば、ない地域もあるけどね。どうする?」

 アルは俺とのキスが好きなようだから提案したけど、もちろん前の俺にはそんな習慣なんてなかった。

「し、してやっても良いぞ」

 言葉は上から目線だが、尻尾はそわそわと揺れている。素直じゃないなぁ。でもそんなところも可愛く思えてしまう時点で、俺も大分絆されている。

「はいはい。届かないから、屈んで」

 立って並ぶと優に30センチはアルの方が高い。2メートルを越える人から見れば、ガキ扱いされてしまうのは仕方ないのかもしれない。俺のこの顔にも関わらず童顔に見えるらしいし。

「ん……」

 あくまで挨拶だから、触れるだけのキスだ。しかしアルは納得出来なかったらしい。

「これだけか?」
「じゃないと仕事どころじゃなくなるだろ」
「む……」
「もっとして欲しかったら、夜にね」
「ふむ……なるべく早く戻る」

 言うが早いか、アルは先程の態度が嘘だったかのように、間を置かず部屋を出た。
 なんだこの魔王様、案外エサに弱いぞ。


◆◆◆◆◆◆


 朝食(昼食)が片付けられて、メイドさんが飲み物を用意してくれたのを見計らうように、アルが言ってた教育系がやって来た。
 仕事が早いにもほどがあるだろう。暇を感じる隙さえなかったぞ。

「お初にお目に掛かります。クルト様の教育系を仰せつかりました、フェリクス・ルデレヌス・フリーシアン・バーダーと申します」

 現れたのは、優しそうな風貌の青年だった。声音もビクターとは真逆に柔らかい。
 それでも身長は高く、例にもれず整った顔立ちをしている。
 本当に美形しかいないのかここは。給仕をしてくれるメイドさんも、ケンタウロスとはいえ美しい女性である。

「聞いてると思うけど、狂人・ハウレクト・グリゴール・ホミニン・リバイジムです。俺自体がこんな話し方だから、畏まる必要はないよ」

 俺はステータスの名前欄を見ながら名乗る。

「恐れ多いことにございます」
「あー顔上げて。本当に良いから、逆に落ち着かないから」

 俺がそう言うと、フェリクス……フェリで良いか、フェリはようやく顔を上げて俺に見せた。一文字に引き締められた唇が緊張を物語っている。
 本当、一々こんなやり取りをしていたら、根っこが庶民の俺は疲れて仕方がない。
 立ったままなのもあれだから、椅子に座ってもらうよう促す。
 机を挟んで俺から斜めになる位置にフェリは腰を下ろした。アルが座っていた場所とは対面する位置になるけど、上座とかあるのかな?

「それではお言葉に甘えさせて頂きます。クルト様の質問に答えるのが私の役目と聞いております。何なりとお聞きください」
「フェリは普段もそんな喋り方なのか?」
「……そうではありませんが」
「じゃあ今からは普段の喋り方で。周りが気になるなら、俺と二人のときだけで良いからさ」

 正確にはメイドさんが常時控えてるから、完全に二人きりというわけでもないけど、そこは勘定に入れないのがデフォだろう。

「はい……」

 フェリは眉を八の字にして頷く。フェリには牛を彷彿とさせる耳と小ぶりの角があり、それと同じく牛の尻尾を持っているようだ。その尻尾も今は力なく垂れ下がっている。
 俺も人の良さそうな青年にそんな顔をさせるのは心苦しいが、ここは我侭を聞いてもらおう。

「今の俺は特別な立場だとしても、元々は一般人だってことを忘れないで。むしろフェリより階級は下だから」
「そ、そんなこと!」
「フェリは貴族だろ?俺は平民だよ?」

 邪神の階級なんぞ分からないので、俺は平民で通すことにした。フェリは瞳を揺らしながら黙っている。
 わざわざ男妾とはいえ魔王様に近しい人物を世話するのに、平民を見繕うようなことをビクターがするはずがない。
 俺の立場上、権力に近い者や影響力の強い者は除外されるだろうが、フェリの家はそれなりの家格を持ってるはずだ。
 要は俺に近付けても問題が起きず、尚且つアルへの体面を保てる者。そう考えれば自ずとフェリの家柄が良いのは分かる。
 フェリ自身の立ち振る舞いや俺への対応を見てもそうだし。

「だから気にしないで。これから長い付き合いになるだろうし、今から肩肘張ってたら疲れちゃうよ?」

 むしろ俺が。

「すぐには無理でも追々ね?」

 何度か俺が笑いかけながら言うと、ようやくフェリは笑顔を返してくれた。仕方ないな、っていう苦笑混じりの笑顔だったけど、彼の人柄がよく出ていたと思う。
 近所の優しいお兄さんって感じ。
 緩くウェーブのかかった柔らかそうな乳白色の髪に、少し垂れ下がった温かみのあるオレンジ色の瞳がそれを際立たせる。
 パタパタとフェリの尻尾が音を立て始めた。

「……分かった。だけど魔族領にいても平然としていられるのだから、クルト様は魔素に耐性があるんでしょう? だったら人族の中でも位の高い魔法師だったんじゃ?」
「んー俺は田舎者でね、魔王様に拾われたのも、たまたまで……えーと、人族の社会のこともあまり詳しくないんだ。フェリは人族のことも詳しいんだよね?」

 流石にアルと人前で言うのは憚られたので、魔王様呼びに戻す。ビクターは宰相様だな。
 今は教育係というより、気兼ねなく喋られる相手が出来たことが喜ばしい。
 
「詳しいと言っても一般的なことしか知らないよ。僕は魔族領から出たことがないからね」
「それで十分だ。俺もここから出ていく予定は今のところないから」

 いつかは人族の国にも行ってみたいけど。まだ当分先だろうな。

「そっか……そうだよね。じゃあクルト様はとくに魔法師だったわけじゃないの?」
「うん、闇属性と魔素への耐性が特別にあったぐらいかな。だからここにいても体調が悪くなるようなことはないんだけど、いかんせん無知過ぎて、魔王様に呆れられちゃってね」
「僕に出来ることなら何でも協力するよ。仕事も忘れて、こっちに専念するように言われてるから」

 任せて、と力強く頷くフェリは人の良いお兄さんにしか見えない。その様子にほのぼのとする。

「フェリはどんな仕事をしてるんだ?」
「多岐に渡るから説明は難しいんだけど、一言で表すなら学者とか研究員かな。魔族領における魔素の分布や、生活に必要な魔道具などの研究開発を手掛けてるんだ」
「なるほど、学者先生か……」
「そんな偉いものじゃないよ。下っ端の研究員に過ぎないから」
「でも実力……今回の場合は、知識量かな? を認められて俺の教育係に任命されたんだろ?」

 そう言うとフェリの表情が曇った。
 あの厳しそうなビクターの人選だから、実力が無いとは思えないんだけど…。

「悪い、何がいけなかった?」
「ううん、いけないことなんて何もないよ!ただ僕が気にし過ぎなだけで…」
「出来れば……フェリが嫌じゃなかったら、フェリのことも俺は知りたい」
「僕のことなんて、そんな……」
「俺の勝手な都合なんだけどさ。フェリのことを知れば、そんな顔させずに済むだろう?」

 俺の言葉でフェリが困ったり悲しむのは嫌だった。ずっと人好きする温かい笑顔を浮かべていて欲しいと思う。
 フェリが纏う穏やかな雰囲気が、現状を戸惑う俺に心地良い時間をくれるから。
 ダメかな? と俺はフェリの顔を覗き込んだ。

「どうして……」
「言ったろ? 俺の勝手な都合だって。だから無理にとは言わない」

 アルやビクターといった気の強い人の相手が続いたせいか、どこか自分に自信のなさそうなフェリの姿は、俺の庇護欲を大いに刺激した。

「その……こんなことをクルト様に言ってしまうのは、ダメなことだと思うんだ。それでも聞きたいって言うなら僕は話すけど、聞いて僕じゃ嫌だと思ったら、すぐに別の人を教育係りに呼んで欲しい」

 フェリの真摯な態度に、俺も居住まいを直す。そして不安気に揺れるフェリの瞳をじっと見つめ返した。

「……分かった、教えて」

 それからフェリが話始めたのは、フェリの種族としての特性と、それにまつわる魔族の中での危うい立ち位置についてだった。

『信仰がレベル5に上がりました』
『ステータス、アビリティが開放されました』


名前:狂人《クルト》・ハウレクト・グリゴール・ホミニン・リバイジム
種族:邪神
信仰:レベル5
属性:闇(吸収)
能力《アビリティ》:
 催淫
 体液分泌
技能:
 光耐性
 威圧無効
 物理攻撃無効
 魔法攻撃耐性
特技:加護付与