005─中等部編─
「はじめまして、ノエ・コルビュジエと申します」「シリル・バシュラールです。こちらは侍従のニコル・カディオです」
「ご紹介にあずかりました、ニコル・カディオです。よろしくお願い致します」
夕食を終えた僕とニコルは、主に教師陣が使っている研究練へときていた。
ベロム先生から紹介された、後天的に夢見病を患うことになったコルビュジエ先生と会うためだ。
研究練は寮とは違い、乳白色の石造りの外観で見た目も質素だった。ただ等間隔に区割りされている部屋が一直線に並んでいるので、端までの距離は長そうだ。
白衣を着たコルビュジエ先生は長いハニーブロンドの髪を左側に寄せ、緩く三つ編みを作っていた。そこから漏れる横髪が肩にかかり、和やかな表情と相まって彼の雰囲気を中性的なものにしている。
まだコルビュジエ先生の症状は軽度らしいけど、片手に杖をついている様子から慢性的に足に痛みがあるのだろう。そして今後病気が進行すれば、僕がそうだったようにベッドから離れられなくなる。
「学び舎では魔法学を担当しています。生徒は全て名前で呼ぶ決まりですので、ご容赦ください。シリルくんは大変優秀だとベロム様から伺っていますよ」
「恐縮です。コルビュジエ先生は魔物討伐の前線で活躍されてたんですよね?」
「はい。去年夢見病を発症し、今はこうして教師をやらせて頂いています」
突如今まで使えていた魔法が一切使えなくなる絶望は計り知れない。更に治療法がない上、激しい痛みにのたうち回って死ぬ未来が分かっているため、後天的に夢見病を発病した者のほとんどが衰弱する前に自害を選ぶという。
一見する限りコルビュジエ先生は元気そうに見えるけど……少なくとも一度はその選択肢がチラついたはずだ。もしかしたら今も共にあるかもしれない。
柔和で優しそうな表情の裏にある影を思うと切なかった。
「ベロム様から話は伺っていましたが、こうして本人を目の前にしても、正直夢を見ているようです。特異な例だということも理解していますが……今は本当に痛みがないんですか?」
「そうですね、今のところは……。ただ完治したわけではありませんので」
あくまで意識的にマナを排出し続けているからこそ症状が治まっているだけで、これを止めてしまえばいつでも夢見病は復活するだろう。
僕が死ぬまで夢見病と付き合っていくことは変わらない。
「それでも……よく……っ」
「先生?」
急に涙を流しはじめたコルビュジエ先生に焦る。
どうしようかとニコルを見る前に、ニコルがハンカチを差し出していた。
「すみません……。状態が凄く悪かったことも知っているものですから……、私も最期まで諦めずに生きたいものです」
物心ついたときには痛みが隣にある先天性と、これから痛みを知ることになる後天性ではどちらが辛いのかなんて分からないけれど。
それに耐えようとしているコルビュジエ先生は強いと思った。
「先生、いっていた物は用意して頂けましたか?」
「えぇ。替えの……下着ですね? これをどう使うんです?」
コルビュジエ先生の話を聞いたとき、僕はニコルで試していたマナの排出を彼にやってみたいと思い、ベロム先生に相談した。
仮にこれで症状が良くなったとしても、気軽に他の患者にも試せることではないので、極秘の実験だ。
魔法を使うことで夢見病は克服することができる。
第三者によってのマナの排出でも症状が軽減できるのならば、それは外的要因で夢見病を治療できる証明になるのではないだろうか。
夢見病の研究はまだはじまったばかりで分からないことが多い。
少しでも足掛かりが掴めるなら……そう思うと試さずにはいられなかった。
「先生には僕の実験に付き合ってもらいたいと思っています」
「私で役に立つなら、何でも聞くつもりではいますよ」
「ニコルは外で待っててくれる?」
「ここにいます」
「それは……流石に……」
これからコルビュジエ先生がどういう状態に陥るかは、ニコルが身を持って知ってると思うんだけど。
「コルビュジエ様には申し訳ございませんが、シリル様と二人っきりにすることはできません」
「……誘拐未遂の件ですね。私は気にしませんので、シリルくんの良いようにしてください」
あぁ、それがあるから?
でもベロム先生からコルビュジエ先生についてはお墨付きをもらってるから、問題はないはずだ。
じっと真意を探ろうとニコルを見つめるが、ニコルは頑として引こうとしない。
コルビュジエ先生の許可も貰ったし、仕方ないか。
「では先生は椅子に座ってリラックスしてください。その前に防音装置を起動してもらえますか?」
「分かりました」
研究には部外秘のものがあるため、各研究室には防音の役割を果たす魔石が設置されている。それは研究室の管理者である教師にしか起動することはできない。
防音装置の起動を確認して、実験の説明に入る。
「これから僕のマナを使って、先生のマナに働きかけます」
「えっ、と……そんなことが?」
「僕がマナを意識的に操作できることは聞いていると思います。僕のマナで他者のマナに影響を与えることができることも、既にニコルで実証済みです」
「まさか……! いや……でも……」
「しかしこれには痛みが生じる可能性があります。先生にはそれを確認してもらいたいのです」
マナの操作が快感に繋がるのはニコルだけかもしれないし。
実は兄様が寝ている間にこっそり試したことがあるから、ニコルだけじゃないのは確認が取れてるんだけど。
ただ二人とも夢見病患者ではないから、痛みに関してはどうなるか分からない。
「分かりました。シリルくんは、それで私のマナの排出が促せると考えているんですね?」
「そうです。ただ……できたとしても問題は多いと思います」
「……そうでしょうね。覚悟はできました。いつでもはじめてください」
「はい。少しでも痛みを感じたら、すぐにいってくださいね」
コルビュジエ先生のマナの流れは、マナ探知で確認済みだ。
いきなり刺激を与えるのも怖いので、まずは指先から試していく。
僕は自分の手を、コルビュジエ先生の手と重なるように掲げた。
「今、僕のマナを動かしています。何か感じますか?」
「痛みはありません。……手が、少し温かいように感じます」
ここまでは予想通り。
なるべく負担をかけないように心がけながら、かざしている手を移動させていく。
「ん……」
「痛いですか?」
「いえ…痛みはないんですけど……何か落ち着かないような……」
手が胸の辺りに来ているせいか、コルビュジエ先生がもぞもぞし出す。
そういえば抵抗されることを考えていなかった。どうしよう。
「先生、もう少し刺激が強くなってきたら、ニコルに体を押さえてもらうかもしれませんが良いですか?」
「え? はい……構いません」
ニコルが気配なく先生の背後に移動する。
もしかしてニコルはこうなることを見越していたんだろうか?
僕の視線に気付いたニコルは軽く頷く。
どうやら僕が考えなしだったようです。
「……んっ」
「大丈夫ですか?」
「はい……ただ、ちょっと……暑いですね」
火照ってきているのか、コルビュジエ先生の白い頬には赤みが増していた。
結われた三つ編みが先生の動きに合わせて揺れ、少し解けかかっている。
「あっ……は……シリルくん、ちょっと……」
「痛いですか?」
「……いえ……くすぐったいというか ……あっ、待って!」
胸元から下に降り、お腹から腰へ手が差し掛かったところでコルビュジエ先生がたじろぐ。
しかし痛みがないならここで止めるわけにもいかないので、訴えは無視して、手を太ももに移動させた。
「あっ……あっ!」
「先生、痛かったらいってください」
言外にそれ以外は続行しますと告げながら、僕は手を動かしていく。
コルビュジエ先生は現在どうやら左の太ももにマナが溜まっているらしい。日常生活で痛みが走る場所もそこだと聞いているので間違いないだろう。
そこで固まっているマナを解すように意識する。
ゆっくり、少しずつ少しずつ……。
「ふっ……んんっ! シリルくん、待って……っ……あぅっ」
遂にコルビュジエ先生の手が僕に伸びるが、すぐニコルに捕えられる。
「いけません、こんな……あっ……あっ……!」
ビクビクと足を開閉させるコルビュジエ先生の動きはあえて無視する。
ここで拡散させて排出させるとなると……位置的にあそこからだよなぁ。
ズボンの上からでも形が分かるほどになっているそこしか出口のイメージがわかない。
替えの下着も用意してもらってることだし、仕方ないよね?
「やぁ! ダメ、やめ……っ……ああんっ、んっ……ぁふ、シリルく……おねがっ」
完全に息を乱しながら涙目で懇願される。
僕の手は相変わらず太ももの位置にあって性感帯からは遠そうだけど、しっかり快感は呼び起こされているみたいだ。
「そこっ、敏感になって……もう……シリルくん……っ」
ニコルが上から押さえてくれてはいるが、コルビュジエ先生はしきりに椅子の背もたれに頭を擦り付けていた。
ギシギシと椅子が音を立てはじめる。
「あっ、あっ、もうっ……! やだ……っイッちゃう! イッちゃうから……っ」
「もう少し辛抱してくださいね」
まだマナを拡散している途中だ。
コルビュジエ先生には、今しばらくイクのは待ってもらいたい。
開いてる片方の手で、敢えて局部のマナの流れを止める。
「んぁ! ……だめぇ……こんなの……っ頭、変に、なっちゃ……」
「大丈夫です。先生はそのまま気持ち良くなっていてください」
マナを動かす度に強い快感に襲われるのか、喘ぎ続けるコルビュジエ先生の開いた口からは唾液が落ちていった。
「やっ、やっ……あっ…く……いやぁっ、気持ち、良すぎてっ!」
「タイミングがくればイッて良いですからね?」
「そ、んな……っ……あぁ! イヤ、もう、イきたいぃっ……シリルくんっ、シリルくん……おねがい、だからっ……ああ!」
うん、流石に一回で全て終わらすのには無理があるかな。
固まっていたマナの塊も若干小さくなったように思う。
顔をぐしゃぐしゃにしながら快感に耐えているコルビュジエ先生にも申し訳ないので、そろそろ解放してあげよう。
「先生、イッて良いですよ」
「あっ! あっ! あっ!」
止めていたマナの操作を打ち切るのに合わせて、拡散させたマナを性器の方へ誘導する。
手が動いた途端、椅子の上でコルビュジエ先生が踊った。
「あん! あっ、あっ、あっ……! イくっ……イッちゃ……! ……あああああ!!!!」
大きく股を開き腰を突き出した状態で果てたコルビュジエ先生の体をマナで見る。
よし、上手く拡散させた分は精液と一緒に排出できたみたいだ。
どうせなら出せるだけ出しておいた方が良いだろうか?
まだ肩で大きく息をする先生を尻目に、尿道に残っているマナに働きかける。
残滓を出させるため、くいっと糸を引くように手を動かした。
「……ぁ……? ……えっ、ダメ! 今はっ……だめぇ! も、漏れ……ああっ! あっ! あっ! あっ! ……ひやぁあああ!!!」
椅子が一際大きく揺れるのをニコルが力づくて押さえ込む。
悲鳴と同時に、ズボンのシミが大きく広がった。汗以外の匂いはないから何だろうと思っていると、潮というものらしいことを記憶が教えてくれる。
まじまじと観察している僕にニコルから声がかかる。
「シリル様……」
「うん?」
「やり過ぎです」
「……ごめん」
見ればニコルの腕の中でコルビュジエ先生は気を失っていた。
◆◆◆◆◆◆
「シリルくん、私はもうお婿に行けないかもしれません」
「ごめんなさい……」
結局替えの下着だけでは間に合わず、ニコルにコルビュジエ先生の部屋から着替えを取ってきてもらった。
先生があまりにも良い声で啼《な》くものだから、調子にのってしまいました。
「私は待ってくださいとお願いしましたよね?」
「はい……」
「確かに痛みはありませんでしたが、施術中の被験者の訴えを無視するのはいかがかと思います」
「はい……」
「責任取ってくださいね?」
「はい…………て、え?」
項垂れていた頭を上げると、仕方がないなぁという顔で先生が僕を見下ろしていた。
その表情に怒った様子はない。
「カディオさんも体験されたそうですけど、日常生活に支障はありますか?」
「いいえ。マナの流れも操作が切れた途端、元に戻りますので」
「その……体の感じ方といいますか……」
「特に敏感になったりすることはありません。ただ……」
「ただ?」
「一度知ってしまった快感を忘れるのは難しい……とだけ」
「そうですか……」
先生とニコルの会話に口を挟むこともできず、僕はただオロオロと二人の顔を見る。
後遺症はないと思ってたんだけど、そうともいい切れないんだろうか。
「先生、体の調子はどうですか?」
「調子はとても良いですよ。夢見病を発症してから、こんなにすっきりと体が軽く感じるのははじめてです」
今なら魔法も使えそうな気がしますといって先生は手をかざした。
その先で小さな炎が燃える。
「え……?」
声を漏らしたのは先生だっただろうか。
部屋にいた全員がポカンと口を開けている
小さいけれど、間違いなく何もないところで燃える炎に、流れている時間が止まったようだった。
ギギギと壊れた歯車のように首を動かして先生が僕を見る。
「し、し、シリルくん……今っ! 魔法が!?」
「待ってください、考えます!」
混乱している場合じゃない。
とりあえず涙目になっている先生はニコルになだめてもらう。
夢見病患者にマナの操作を行ったのははじめてだけど、まさかこんな事態が起こるとは思いもしなかった。
喜ばしいことだけど、原因には何が思いつく?
魔法の発動には一定量のマナが必要だ。
すぐさま先生のマナを探知する。
「あ……」
「シリルくん、どうしました?」
驚いたのも束の間、先生の排出されているマナの量を見て原因はすぐに知れた。
施術の影響か排出量が増えている。
けれど今にもその排出量は減っていっているようだった。
どうやら施術により一時的に排出量が増えたみたいだと当たりをつけ、先生に説明する。
「効果がありそうなら、今後も続けたいんですけど……ダメですか?」
先生の体調ももちろん気になるけど、僕がこの実験で実証したいことは、ニコルが着替えを取りに行ってる間に説明済みだった。
しかし夢見病のためとはいえ、無理強いはできない。
だから先生さえ良ければ……と、僕はニコルと並んで立つ先生を見つめながら反応を待つ。
あ、ニコルと先生だと、ニコルの方が若干背が高いんだ。
「……構いません。例え一歩でも夢見病の克服に近づけるなら、私は全てを投げ売る覚悟があります。それに、そんな顔で見つめられたら嫌ともいえません。でも……次は手加減してくださいね?」
「あ、はい」
「ここでは私のことはノエと呼んでください。カディオさんも」
「では自分もニコルで結構です」
ニコルの言葉に頷くと、ノエは僕の頭に手を伸ばした。
すらりと伸びた長い指が髪を梳くように動く。
「シリルくん、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
改めて挨拶を交わすとノエがじっと僕の顔を見つめる。
何か付いてるんだろうか?
頭を撫でていたノエの手が、僕の頬に落ちた。
「シリルくんは見た目にそぐわず攻め気質なんですね?」
「見た目……」
「こんな、今にも折れてしまいそうなほど儚げなのに」
「それがシリル様の素敵なところです」
「本当に容赦ありませんでしたもんね」
「……えっと、ごめんなさい?」
うんうん、と頷き合ってる二人は、被験者同士通じるところがあるんだろうか。
珍しく家族以外が僕に触れるのを良しとしないニコルがノエを許している。
そういえばノエとは今日が初対面だ……。
初対面の人に向かって流石にあれはないだろうと、今更僕は反省するのだった。
◆◆◆◆◆◆
学生たちが入寮を終え、待ちに待った始業式当日。
朝食を終えた僕はニコルと二人で男子寮の前にいた。
少しもしない内に女子寮がある方角から、丸眼鏡をかけた少女が肩で切り揃えた萌黄色の髪を揺らしながら走ってくるのが見える。
少女は僕たちの目の前で止まると、ガバッと大きく頭を下げた。
「シリル様! ニコルさん! おはようございます!」
「おはよう、ウィレミナ。今日から同級生なんだから、『様』はいらないよ」
「そんな恐れ多い!」
学び舎ではウィレミナが僕の世話をしてくれることになっているので、ここからは彼女に車椅子を押してもらうことになる。
僕も全く歩けないわけじゃないから、できるだけ迷惑にならないよう気をつけたい。
「おはようございます、ウィレミナ様。シリル様のことをよろしくお願いします。きっと自力で歩きたがると思いますから、止めてくださいね」
「ニコル!」
早速僕の出鼻をくじくな!
「了解です、ニコルさん! 任されました!」
「車椅子を押しながらとかなら、自力で歩いても大丈夫だと思うんだけど……」
「それで躓いたりしたらどうするんですか。倒れた拍子に骨を折るかもしれないんですよ? 女性のウィレミナ様に庇ってもらうわけにもいかないでしょう?」
「うぅ……」
全くの正論に何もいい返せない。
せめて受け身が取れたらなぁ。そのためには筋肉……と自分の二の腕を掴んでみるけど、その細さに泣きたくなる。
「ウチで良かったら全力で庇いますけどね? シリル様、ウチより細いし」
「それは僕が許さないから。ウィレミナが僕の代わりに怪我をしたらダメだし、ワガママはいわないでおくよ」
「それがよろしいかと。……では、行ってらっしゃいませ」
「行ってきまーす」
「行ってきます!」
ウィレミナと二人、ニコルに手を振って僕たちは学び舎へと向かった。
学び舎は寮と同じ配色のレンガ造りだけど、屋根の色だけは黒色と違い、合わせ建つ大きな柱と物見の塔がその外観を豪華に変えている。
「今日は先に公会堂の方へ行ったら良いんだよね?」
「ですです。公会堂で始業式をやった後、各々のクラスへ移動します。シリル様は学び舎の方は見学されました?」
「ウィレミナ、次から『様』禁止ね」
「えぇ!!?」
「一回いうごとに100メガ罰金ね」
「意外に高い!? くっ……承知しました」
ちなみにウィレミナは商家の娘さんなのもあって、金勘定が入るとシビアになる。
「学び舎の方はあんまり。研究練には行ったけど」
「おお早速マナの研究ですか。流石シリルさ……くんです!」
「惜しい」
「ふふ〜ん、お金がかかるとウチは細かいですからね! ……しかしやっぱり注目されますねー」
目が合うとそっと逸らされるけどね!
良いんだ……僕にはウィレミナがいるし。
「三学年で編入は珍しいんでしょ? それに車椅子も普段あまり見ないと思うから」
実際中等部では僕一人だ。
しかしこの車椅子、実は中等部編入を祝してベロム先生が用意してくれた高性能品だったりする。
なんと車輪付近に風属性の魔石が埋め込まれていて、段差により衝撃を緩和してくれるのだ! 三センチ程度の段差なら気にすることなく進める優れものである。
「何いってるんですか。皆、シリルさ……くんの美しさに見惚れてるんですよ!」
「は……?」
「ジュール様とシリルくん……お二人で並び立つ姿は、正に赤バラに寄り添う青バラのよう! 青バラの細い枝を赤バラの太い枝が支え……」
あ、ウィレミナの病気がはじまった。
彼女の悪いクセは兄様と僕を美化し過ぎるところにある。
兄様がバラとかいうと、違うものを連想しかけてしまうとか口が裂けてもいえないけど。
「青バラって……花壇の話聞いたの?」
「情報は商人の命ですからね! 抜かりはありません! オンディーナの美しさはシリルさ……くんのそれと同じで……」
顔合わせ以来、何度か遊びに来てるから、そのとき聞いたのかな。
毎度のことなので、ウィレミナの話は半分聞き流しておく。
「そうだ、ジュール様といったら、サロンには行かれました?」
「いや、行ってないけど」
「中等部と高等部の学び舎は、中庭を囲むように隣接しているのはご存知ですよね? 二階にある東側と西側の連絡通路の傍には、貴族御用達のサロンがあるんです。東側は男子用、西側が女子用ですね。サロンは中等部と高等部共用のものなので、ジュール様もよくおられるんですよ〜」
「へぇ……男子と女子で分かれてる割には、よく知ってるね?」
「任せてください! まぁウチは入ったことないんですけど」
……入ったことないのに、何故知ってる。
「サロンってそんなに広いの?」
「大きさは教室と同じくらいですね。校内の案内図にものってますよ」
即答だったから驚いたけど、なるほど案内図にのってるのか。
部屋に戻ったら改めてじっくり見てみよう。
「あまり広くないなら僕が行ったら邪魔になりそうだなぁ」
「そんなわけないですよ〜。ぜひ行ってジュール様の本日の情報を……!」
「別に行かなくても兄様の情報ならあげるけど?」
「ここに神が……!!!」
大袈裟な。
兄様に聞けば今日のみならず一週間の予定だって教えてくれるだろうし、他言しないならウィレミナに教えても問題はないだろう。
だからサロンは行かなくて良いよね。
社交界デビューしている兄様と違って、僕なんかは現在進行形で『お前誰?』っていう状況だからね。
人見知りはしない方だと思うけど、貴族のしきたりとは無縁な生活だったから、失礼なことをしでかしてしまわないか……それで家に迷惑をかけてしまうんじゃないかと思うと、どうしても尻込みしてしまう。
そう考えると、ちゃんと家の名前を背負って社交界に出ている兄様は凄いなぁと純粋に思う。
「そろそろ公会堂に着きますけど、着いたらシリルくんはクラスの一番後ろに並ぶことになります。ウチは一旦離れますけど、コルビュジエ先生がついてくださるそうなので、問題ないですよ」
ウィルミナの言葉通り、公会堂に入るとノエが杖を鳴らしながら、すぐにやって来てくれた。
公会堂に集まっている生徒の数は大体三分の一程度だろうか。
「おはようございます」
「先生、おはようございます」
「おはようございます!」
「始業式中は私がシリルくんを見ていますから、ウィレミナさんは自分の位置に移動してください」
「了解です。ではシリルくん、また後で!」
「うん、ウィレミナ、ここまでありがとう」
軽く手を振ってウィレミナと別れる。
後ろ姿を見送っていると、すぐに友達と合流したらしく楽しそうに話し合うウィレミナが見れた。
「…………」
「シリルくん?」
「分かってたんですけど……」
皆までいわずとも僕の考えを見抜いたノエが、軽く手を僕の頭にのせる。
「決してウィレミナさんは、シリルくんのことを面倒だとか邪魔だとか思っていませんよ。それにお友達とのことが気になるなら、シリルくんも混ざったら良いんじゃないですか」
「混ざるって……」
「ウィレミナさんがお友達と別れて行動することが気になるんでしょう? だったらお友達とも一緒に行動したら良いんですよ。ほら、きっとあの子たちもそう思ってますから」
ノエに促されて再度ウィレミナの方を見れば、ウィレミナたちもこちらを見ていて目が合った。
ウィレミナが大きく手を振って来るので、僕も小さく振り返す。するとたちまち周りの女の子たちが、きゃいきゃいと何か話している姿が目に入る。
「シリルくんは自分の容姿にもっと自覚を持つべきです」
「自覚はしてますよ?」
最近は手鏡だけじゃなく、姿見も使うようになったし。
「そのへんの女の子より綺麗だと?」
「流石にそれはないです」
どんなナルシストですか、それ。
体の線が細いのは、悲しいかな、逃れようのない事実だけど。
「白い髪が朝の光りを通して、今はいつも以上に透明感が際立っていますよ。通り過ぎる子たちがシリルくんを見ていくのは、決して車椅子だけが理由ではないんです」
「んー……僕の顔は、僕にとったら普通でしかありません」
両頬に手の平を添えて考える。
前世に比べれば整っているだろうか?
顔は母様似だけど、唯一残ってる父様の色を持つ瞳も、白髪になった髪色と合わせると前世的にいえば中二っぽいけど気に入っている。
けれど鏡を通して見る自分への感想は、貧相だなぁの一言に尽きた。
「シリルくんはずっとお家にいましたからね。きっとこれから認識も深まっていくんでしょう。あまり人の目を気にし過ぎてもいけませんけど、人は己を映す鏡ですからね」
「はい」
頷いたところで予鈴が鳴り響く。
ボーン、ボーン、ボーン、と古い柱時計を思わせる鐘の音が三回。
この後の本鈴が鳴ったら、始業式の開幕だ。
ノエとの会話はそこで打ち切って、僕は軽く息を吸うと壇上を見つめた。
◆◆◆◆◆◆
「学長の話は長くてかなわへんわ」
「わかるー。私も何度寝そうになったか」
「シリルくんはずっと座ってたから、もっと眠かったんじゃない?」
「うん、ここだけの話、学長が何いってたのかほとんど覚えてない」
始業式が終わったあと、ノエの言葉通り、僕はウィレミナに車椅子を押してもらいながら、ウィレミナの友達二人に囲まれていた。
これが青春か……!
「内緒だけどね」
しー、と口元に人差し指を一本立てる。
どこの学校でも、そして世界が変わっても『長』と名の付く役職の人の話は長いらしい。
でも学長も色々考えて話してくれていると思うから、公然と寝てましたというのは気が引けた。
「ううううん! そうだね、内緒だよね!」
「ここだけの話だもん!」
「っ……シリル様可愛いっ」
「ウィレミナ、200メガ罰金」
「はぅ!? 一回しかいってないのに!?」
『可愛い』は僕に対して禁句だって知ってるだろ。
「あと僕に対して敬語使うのも禁止」
「今朝からどんどんグレードが上がってるんやけど!?」
その割に即時対応していくのは商人魂なのか、ただの守銭奴なのか。
からかいがいがあるのも事実である。
「僕は方言が出てるウィレミナの方が好きだから」
「ぐはっ、我が一生に悔いなし……っ」
喜んでくれるのは良いんだけど、車椅子が若干蛇行してるぞ。
あと本懐は兄様にいわれることだろ。僕だけで満足してるな。
「あー良いなぁ、良いなぁ。私もSクラス行きたーい」
「あんたの成績で行けるわけないでしょ」
「うわーん! ウィレミナの頭が欲しいよぉー!!!」
「自分は実技は良いのに、筆記がアカンからなぁ。ウチとしてはシリルくんの頭が欲しいわ……」
「やっぱ頭良いんだ?」
「僕の場合は頭が良いっていうより、勉強ぐらいしか取り柄がないんだけど」
特別に頭の回転が早いとは思わないので、質問には苦笑で返しておいた。
中等部も高等部もクラスは実技と筆記試験を合わせた成績順である程度が決められる。
ある程度というのは、SクラスとAクラスはそのまま成績順だけど、それ以下は混合されるからだ。Sクラスが一番上なのはいうまでもない。暇潰しに勉強しかすることがなかった僕を舐めるなよ!
「またまた〜。あ、あたしたちはここで失礼するね」
「本当はSクラスまで行きたいんだけど不用意に近づくと怒られちゃうから……」
「分かってるって。じゃあまたお昼に!」
「バイバ〜イ」
二人はAクラスらしい。ウィレミナの友達は中々優秀である。
角を曲がっていく二人を足を止めて見送っていたら、嫌な声が僕の耳をかすめた。