006─中等部編─

「けっ、いい御身分だな」

 振り返ったときには、声の主の姿は見えなかった。

「シリルくん、沈めよか?」
「落ち着いて」

 不穏なウィレミナに慌てて待ったをかける。
 誰がいったのかウィレミナには検討がついてるんだろうか?
 しかし僕には彼の気持ちがよく分かるんだ。

「可愛らしい女の子三人に囲まれてる人がいたら、嫌味の一つもいいたくなるものだから放っておいてあげて」
「もうっ可愛いとか、わざといっとるやろ」
「本心だから。僕も兄様が女の子に囲まれてたら嫌味もいいたくなるし」
「了解です、嫉妬ですね。僕の兄様が女の子に取られるなんてっていう」
「帰ってきてください」

 嫉妬は兄様に向けたものであって、女の子に向けたものではありません。
 訂正したところで思考が飛んでるウィレミナには通じないから聞かないことにする。

「そういえばSクラスに不用意に近づくと怒られるっていうのは……」
「お察しの通り、殿下がおられるから、親衛隊が目を光らせとるんよ」
「親衛隊って近衛兵のこと?」

 やっぱ王子様は警護も厳しくなるんだな。
 納得して頷いていると、上から笑い声が降ってきた。

「あーちゃうちゃう。親衛隊っていうのは、学生の中の有志で組織されてんねん。公式ってわけでもなくて、殿下も特に害はないから放置してるって感じ」
「ファンクラブ?」
「それに近いかな。ただメンバーのほとんどが上級階級の貴族様やから、うちら庶民からしたら極力関わりたくないところやね」
「なんか色々派閥がありそうだね」
「あるある。そのへんもできるだけフォローするから、分からんことがあったら聞いて」
「お世話になります」
「お任せあれー!」

 庶民といっても貴族階級を持っていないだけで、社交界に馴染みのあるウィレミナは貴族事情にも詳しい。
 このヤンクイユはもちろん、首都にも商店を出しているベッドフォード家は、ロンアラス国でも五本の指に入る有名商会だ。
 しかし在籍しているのは知っていたけど、まさか王子様と同じクラスになるとは思っていなかった。
 関わることはないと思うけど、やっぱり少し緊張するなぁ。
 というかマナ探知でさっきから怖いくらいの質量を感じてるんだよね。
 Sクラスの人たちは総じてマナの保有量が多いけど、一人だけ更に飛び抜けている人がいた。どうやら教室の一番後ろに、かの人の席があるらしい。

「シリルくんは出入り口に近いここな。ウチはその隣やから心配いらんで」

 ウィレミナと二人一礼して教室に入ると、一か所椅子が設置されていない最前列の席に向かう。
 教室には床と同じ黒っぽい木材でできた二人掛けの机と椅子が並び、簡素な作りながらも光沢を放っていた。僕の隣に座るウィレミナの椅子だけ一人用のものに変えられている。
 担任の先生が来るまでまだ時間がありそうなので、車椅子の収納部分から荷物を取り出し、筆記用具を並べることにした。
 僕たちが入室してから、異様に教室が静かなのが気になるけど。
 僕はこの学年からの途中編入だし、名乗った方が良かったんだろうか……。

「多分様子を窺ってるだけやから、気にしやんでええよ。紹介は改めて先生の方からあるやろうし」
「うん……」

 有難うウィレミナ、君がいなかったら僕の心は早々に折れていたかもしれない。
 静寂は嫌いじゃないんだけど、視線が自分一点に集中している中の静寂は苦手です。
 僕が少しブルーになっていると、急に教室がざわつきはじめた。

 え、ちょ、こわっ!

 近づいてくる気配にかつてないほどマナが意識に訴えてくる。ベロム先生でもこんな風には感じなかった。
 気配の元が分かるだけに、逃げたくても逃げられない。
 チラッとウィレミナを盗み見ると……顔を向こう側にして固まってらっしゃる。
 変に見ても不敬だろう。よし、気付かないフリをしよう。
 居直った僕は気配が通り過ぎるのをじっと待つことにした。

「シリル・バシュラールであっているかな? あぁ、座ったままで良い」

 話かけられたぁー!!!!!
 ダメだ、車椅子だから急に動けない……! と、とりあえず挨拶……!!!

「申し遅れました。シリル・バシュラールで間違いございません、殿下」
「紹介を待たずに声をかけてしまって申し訳ない。ベロム先生から君のことを聞いていたものだから、つい」
「恐れ多いことにございます」

 ベロム先生のせい!? 僕にも一言いっておいてよ!
 平常心……平常心……、この際マナ探索は切ろう。精神的に良くない。

「顔を上げてくれるかな? これから共に学ぶんだ、できれば同級生の一人として接して欲しい」

 無茶いわないで。
 しかしずっと俯いてもいられないので、意を決して顔を上げる。
 見上げた先にあった景色に、一瞬息が止まるかと思った。

「……何分、人と接することに慣れておりません。ご容赦頂けると幸いです」

 見惚れる、というのはこういうことなんだろうか。
 目がそこから離せなくなる。
 意識しないとずっと見つめていそうで、何とか声を絞り出して自分を取り戻した。

 波を打って黄金色に輝く髪に縁取られた白磁の肌。
 紫の瞳は艷やかで、薄い桃色の唇と合わさって意識を持っていかれる。
 誰かが夢想した美の集大成がそこにあるようだった。

 彼を引き合いに出した母様は本物のバカだと思う。
 顔はもう下げられないので、僕は軽く目を伏せるに留める。

「そうか、君は……。……まず、謝らせて欲しい」
「殿下!?」

 殿下の言葉でより一層教室がざわつく。
 気づけば傍に来ていた……前情報によると、ブロー家とデュドヴァン家の人間も驚いた顔をしている。

「俺はベロム先生から君の話を聞くまで、君のことを知らなかった」
「それは……当然のことではありませんか?」
「夢見病のことは知っているのに? 俺は、今まで知識として夢見病を知っていたが、現実にその病と戦ってる人のことを知ろうともしなかったんだ。君が死に瀕していたことも、他の患者のためにその身を呈していたことも、全て後から……君が中等部に編入することが決まって、ベロム先生から聞いたことだ。誰にでも発病の可能性がある難病だというのに、俺は夢見病に興味さえ持っていなかった。……すまない」

 先程までのざわつきが嘘かのように、また教室から音が消えた。
 しかしすぐに殿下の言葉に続いて賛同の声が上がる。

「それは私もです、殿下!」
「僕も!」
「わたしたちだって!」

 次々に声が上がるのと同時に、僕の頭は冷静さを取り戻していった。
 ふぅ、マナ探索を切って正解だったみたいだ。大分気圧されている感じもなくなった。
 改めて殿下を見上げる。
 表情は真剣そのものだ。だけど……僕が『許す』っていうのも違う気がする。
 困ったときのなんとやら、僕は笑みをのせて殿下の瞳を見つめた。

「……っ」

 殿下も一瞬息を詰め、僕を見る。
 適当に僕の表情を解釈してくれているに違いない、その間に考えよう。どう応えたら良いだろうか?
 大体僕も殿下のことをほとんど知らないし。人間、全てを知りうるなんて無理な話だ。
 とくに病気についてなんて、当事者とその関係者にしか伝わりにくいことだろう。
 それでも殿下は悔いて、謝ってくれている。

「申し訳ございません。僕には……殿下が謝られる必要はないように思えます。だから『許す』なんて大それたことはいえません。……ただ、一ついわせて頂けるのならば」
「何だろうか」

 できるだけ気持ちが伝わるように、優しい顔になっていたら良いなと思いながら目を細める。

「有難うございます。僕は殿下が夢見病の患者について知らなかったことを、悔いてくださったそのお気持ちに感謝の意で応えたい。……それでは、ダメでしょうか?」
「……あ、いや……」

 イマイチ反応が鈍い殿下に、失敗したかと不安になる。
 なんかまた周りが静かになってるし。ヤジはどこ行った。仕事しろ。
 もう泣いても良いかなー。
 引きこもりに対する初っ端の試練としては厳し過ぎませんかね? 一戦目からしてラスボスとかどういうことなの。
 反応のなさに本気で泣きそうになったとき、スパンッと空気を切る音がした。

「おーい、本鈴聞こえなかったかー? 皆席につけー! ……ん? なんだ? ラファエルは早速シリルをイジメてるのか?」
「イジメてません!!!」
「そんな風にしか見えないぞ? 見ての通りシリルはか弱いんだから、あんまプレッシャーかけんなよ」

 担任のフランクさに目を瞬かせる。
 編入前の挨拶に行ったときも思ったけど、殿下に対しても態度は変わらないらしい。

「何だシリル? んなデカい目してると、いつか落ちるぞ」
「気を付けます」
「気を付けるのか……気を付けられるのか? 何かお前ならできそうなのが怖いな」

 エイミス先生は教卓をバンバンっと叩いて空気を変えると、クラス全員に向き直った。
 イーヴィー・エイミス、クセのある赤銅色の髪を後ろで一つに結んだ、男装の麗人である。
 豊満な体型で見るからに女性と分かるけど、その横暴な口ぶりと相まって教師の中では異色の存在だ。
 けれどSクラスの担任を任されてるだけあって、実力は折り紙つきだった。
 先生のおかげで緊張感から開放され、ほっと息を吐くと車椅子の背もたれに背中をつける。
 隣で小さくウィレミナが助け船を出せなかったことを謝るのに、気にしてないよと応えて、朝礼に気持ちを切り替えた。


◆◆◆◆◆◆


「ビビった! ホンマにビビった!!!」
「えー!? 良いなぁー! 羨ましいぃー!!!」
「殿下か……いつか間近で見れる日は来るんだろうか……」

 昼食になって、僕とウィレミナが体験した嵐について語ると場違いな羨望の眼差しを向けられた。
 君たちもアレを体験したらそんなことはいえなくなるからね!?
 一対一で課されるプレッシャーの尋常じゃないこと。

「僕もできるなら少し離れた位置で見ていたかった……」
「当事者が何いうとん。後あのコンボは反則やと思うねん? いつも反則やと思とるけどな?」
「何が?」
「あの上目遣いと微笑みからの伏せ目? 最後、殿下も困っとったで」
「え、そんなに悪かった?」

 良かれと思って頑張ったんだけど、見事な空回りか!
 傍から見た僕は変な子ですか!?
 世の中引きこもりに対して厳し過ぎない!?
 あぁ……ベッドに入って丸くなりたい。
 家でなら、昼食を食べたらお昼寝の時間があるけど、ここにまで来てそれはできないしなぁ。
 比較的昼食の時間は長くとられているから、やろうと思えばできるんだけどね。
 とりあえず今はニコルに持たせてもらったお弁当を食べて英気を養おう。
 始業式当日から午後も授業があった。伊達に学問に力を入れているわけじゃない。
 姦しい三人の声をBGMに見上げる空は晴天だ。
 中庭にあるテラス席にはポカポカと温かい日差しが降り注いでいる。

「シリル発見!」
「兄様?」

 聞き慣れた声に振り向く前に抱き上げられた。
 どうして父様といい兄様はすぐに人を抱き上げたがるんだ!

「兄様!?」
「なんだ、シリルも早速女子に囲まれてるじゃねぇか」

 兄様の登場に中庭が騒然となる。やっぱり有名人なんじゃん!
 ウィレミナに至っては目をハートマークにしてるし。それより助けて。
 間近で兄様と目が合うとニカッと満開のひまわりのような笑顔を返された。

「悪いが、ちょっとコイツ借りてくな」
「どうぞどうぞ!」
「ちょ!? ウィレミナ!?」
「車椅子は教室に運んでおくから、心配いらへんで!」

 そんな気遣いはいいから、兄様を止めてくれ!
 周りの視線が痛い。
 もういっそお姫様抱っことかやめて、肩に担いでくれないかな。
 毎度のことではあるけど、今回も抵抗虚しく、僕はそのまま兄様に拉致られることになった。

「兄様どこに行くんです?」
「ん? シリルはサロン行ったことないだろ?」

 どうやらウィレミナがいっていたサロンに連れて行かれるらしい。
 僕としては近寄る気はなかったんだけどな!
 家にいるときと同様に、兄様は僕を抱えたまま悠々と階段を上っていく。
 僕もそれぐらい筋力が欲しい。

「色々飲み物は揃ってるし、シリルが好きな紅茶もあるからなー。銘柄も一緒だから安心しろ」
「それは嬉しいですけど、せめて自分の足で入りたかったです……」
「その内な」

 他の教室とは少し雰囲気の違う扉が兄様の手によって開かれる。
 その間、僕がしがみついているとはいえ、僕を支える腕は一本なわけで……どんな腕力してるんだ。
 サロンに入って一番に目に入ったのは、天井に吊るされた豪華なシャンデリアだった。
 シャンデリア!?

「お、きたき……」
「ジュール……お前な……」

 兄様の友人と思われる方々の驚愕なんて聞こえない。

 僕だって好きで運ばれてるんじゃないんだよ!

 なけなしの平静を保つために、周りの視線は無視するしかなかった。
 わーこれがビロードの絨毯かぁ。
 部屋に備え付けられている机もテーブルも全てに装飾が凝られ、サロンの重厚な雰囲気作りに一役かっている。
 貴族御用達ってのは本当なんだな。

「お前らが見たいっていうから連れて来たんだぞ」
「『運んできた』の間違いだろうが」
「なるほど、彼がお前の愛子だということは理解した……が、これほどとはな」

 そこが彼らの定位置なのか、L字型に置かれたソファに座る友人二人と同様に兄様もそこに腰掛けた。僕というオプション付きで。

「兄様、離してください」
「いつもしてることなんだから、恥ずかしがらなくても良いだろ?」

 いつも恥ずかしいんですけど!?
 ぐいぐい兄様の胸板を押してみるけど、ビクともしない。

「そうだ、コリー、トーバックの紅茶を二人分淹れてくれるか」
「分かりました!」

 元気な返事に反抗の手を止めてそちらを振り返ると、僕と変わらない背丈の子がキラキラとした表情で兄様を見ていた。
 柔らかそうな栗毛がクルクルとカーブを描き、その風貌はリスを連想させる。
 ラインのない制服にあのタイの色は……同級生だな。
 中等部の制服のデザインは、高等部のものから縁取りを取り除いた飾り気のないものだった。また学年別に下から赤、青、緑とタイの色が分けられている。
 自分と同じ緑色のタイを確認したとき、一瞬キッと睨まれたものの、彼はすぐに踵を返して隅にある部屋に入っていった。あそこが給湯室なんだろうか。
 兄様のファンからしたら僕は邪魔者でしかないよね……。
 ハッ! それとも普段ここは彼の場所だったんだろうか!?
 
「どうしたシリル?」
「いえ……兄様は男の子にも手が早いんだなぁと」
「ぶっ」

 僕の言葉に猫目な青年が飲んでいたものを吹き出した。
 それを見たもう一人がハンカチを手渡す。

「デニス、汚い」
「わりぃ……でも、くくっ、そうだよな、自分が膝の上にのせられてるときに、あいつを見たら普段からやってるって思うよな」
「ち、違うぞ!? オレはシリルだけだからな!!?」
「え、違うんですか?」
「そんなきょとんと聞き返されたら余計悲しくなるだろ!?」

 てっきりいつも可愛らしい子を膝にのせてる流れで、僕ものせられてるんだと思った。

「じゃあどうして僕は膝にのせられてるんですか」
「それはシリルが可愛いからだ」
「可愛くありません」

 べしっと手の平で兄様の顔面を叩くも、何故かデレっと目尻を下げられる。
 兄様が父様と同じ反応でキモい。

「イチャついてるところわりぃんだけど、いつになったら俺らの紹介はしてもらえるんだ?」
「必要か……?」
「しろよ!? こっちは一方的にノロケられて、気付いたらシリルくんの好みまで把握してるんだぞ!?」
「気安く呼ぶな」
「足蹴り反対!!!」

 僕を上にのせながら、兄様は器用に足を繰り出していく。
 その横で長い紺碧の髪を後ろで束ねた青年が、メガネに手を当てながら自己紹介をしてくれた。
 切れ長の目にシルバーフレームの細身のメガネは大変良く似合っている。

「俺はダスティン・スタンスフィールド。ジュールとは中等部からの付き合いだ」
「シリル・バシュラールです。いつも兄がお世話になっております」

 バランスが悪い以前に体勢がどうかとも思うけど、僕は何とか頭を下げてダスティンさんに応えた。
 兄様の足蹴りから逃げていたデニスさんも、その様子を見てこちらに戻ってくる。

「あ! 抜け駆け! 俺っちはデニス・ウェイクマン、ダースと一緒でジュールとは中等部から組ませてもらってる!」
「シリル・バシュラールです。よろしくお願い致します」
「こっちこそよろしく! ……にしても、見れば見るほど似てないのな」

 気さくな感じのデニスさんは服装もくだけていて、着崩した制服の間からはアクセサリーを煌めかせていた。
 こうして見ると三者三様といった感じで、見た目に統一性はない。
 けれど一緒にいる雰囲気から、考え方とか気持ちの向き方が似ているのかなぁと察せられる。
 屋敷では見ることのない兄様と友人のやり取りはちょっと新鮮だ。

「僕は母様似なので……あ、でも目の色は同じなんですよ?」
「ほぅ、近くで見せてもらえるかな」

 そのまま顔を近づけてくるダスティンさんを見つめる。
 あれ、何か距離がやけに近い───と思った瞬間、眼前にあった顔がブレた。

「……っ、ジュール、お前今本気で殴っただろ?」
「オレのシリルにてめぇの汚ぇもん近づけてんじゃねぇよ」
「いっ!?」

 辛うじて兄様の拳を避けたダスティンさんだったが、その後更に脛を蹴られてうずくまる。
 巻き添えを回避するためか、既にデニスさんはソファの後ろに移動していた。

「うわぁ、シリルくん絡むとマジ容赦ねぇ……」
「全くだ。……でも過保護になる気持ちも少し分かるな。シリルくんはちょっと無防備過ぎる」

 蹴られた脛を撫でながらダスティンさんは僕に苦笑を向ける。
 無防備……だったかな?
 首を傾げる僕の頭を兄様が撫でた。

「シリルは基本、家の人間としか接したことがないからな。悪意に疎いんだよ」
「悪意も何も兄様のご友人を警戒する必要ってあるんですか?」

 悪い人たちじゃないのは見ていたら分かる。
 気の置けない彼らの雰囲気には、悪意が潜む隙があるようには思えなかった。
 そしてイケメンはイケメンを呼ぶのか、揃って顔面偏差値が高い。
 そんなことを考えていると一瞬動きを止めた兄様が、ガバッと僕を抱き込む。

「シリル、頼むから全力で警戒してくれ!」
「えっ」
「うん、警戒した方が良いよ。あ、俺っちは大丈夫だから」
「シリルくん、こんな風に自分から安全をうたってくる人間は一番警戒すべきだ。……ジュールが入れ込むわけだな」

 何か納得がいったのか、デニスさんもダスティンさんもしきりに頷いていた。
 ていうか兄様ちょっと苦しい。
 夢見病の症状が治まってきてから、兄様の力加減に遠慮が無くなってきたように思う。良いことなんだけどさ。
 こういうときニコルがいてくれたら助かるんだけどなー。

「ジュール様! 紅茶をお持ちしました!」
「ん? あぁ、コリー有難う、そこに置いてくれるか?」
「はい!」

 天の助けが……!
 紅茶を頼まれたコリーくんが戻って来てくれたおかげで拘束が緩む。
 テキパキと用意する傍らでやはり睨まれている気がするけど、いっそのこと兄様を叱ってくれないだろうか。無理か。
 あれ、もしかして紅茶って自分で用意しなきゃいけないんじゃ……?
 どうもサロン内に給仕する人間がいるようには思えないし。

「兄様ここの飲み物って、各自で用意するんですか?」
「おう、適当に自分で淹れて飲んで良い決まりになってる。学年が上がれば大体下級生が用意してくれるがな」
「じゃあ僕が用意しなきゃいけなかったんじゃ……」
「ジュール様のお飲み物は僕が用意するから!」

 突然近場で上がった声にビクッと体がすくむ。
 紅茶の用意を終えたコリーくんがニコニコしながら、僕を睨んでいた。笑顔なんだけど、目が完全に笑ってない。

「えっと……そう、なの?」
「そう! だから君は給湯室に近づかないで。……それではジュール様、失礼します」

 行儀良く一礼して、コリーくんは近くの席に帰って行った。
 うん、僕完全に敵認定されてるな!

「モテる男は辛いなぁ、ジュール」
「まぁでもお湯とか危ないからシリルは給湯室に行くなよ?」
「……お茶ぐらい淹れられますよ」
「やったことあるのか?」
「…………ないですけど」
「じゃあダメだな」

 くっ、帰ったらニコルにお茶の淹れ方を教えてもらおう。

「……はぁ、今まで話聞く度に過保護過ぎんだろって思ってたけどさぁ」
「シリルくんにはそれでちょうど良いぐらいかもな」
「だからそういってんだろうが。今日も早速殿下にイジメられてたみたいだし、オレと親密だって見せつけておかないとな」
「別にイジメられてませんから!」

 ていうか何で中等部のこと知ってんだ!
 大体見せつけるって……。

「殿下……?」
「あぁ、殿下もお昼はここで休憩を取られてることが多い。あそこが定位置だ」

 僕の視線に気付いたダスティンさんが補足してくれる。
 今まで周りを気にしないよう、あえて外野は見ないようにしていたのが仇になった。
 あれからマナ探索も切ったままだ。
 視線の先───殿下と側近の二人がこちらに顔を向けていた。

 あ、なんか僕、終わった気がする。

 カァッと羞恥に頬が熱くなって、目が潤んだ。
 いや、今更なんだけど、やっぱり僕も大分と感覚が麻痺してたんだな。
 兄様の友人たちに囲まれてる分には別に気にならなかった。しかしクラスメイト、それも今日話たばかりの人に、兄様の膝の上に座っている姿を見られていたんだと思うと……。

「兄様、下ろしてください!」
「急にどうしたんだよ」
「……恥ずかしいから、下ろしてくださいっ」

 きっと情けない顔になっているだろう僕を見て、兄様は仕方ないな、と溜息をつくとソファに下ろしてくれた。

「よし、シリルくん、次は俺のところにおいで」
「どうしてそうなるんですか!」

 ポンポンとダスティンさんが自分の膝を叩いて僕を呼ぶ。
 僕はとりあえず殿下から隠れたくて、兄様の陰に入った。

「……これはこれで悪くないな」
「ずりぃ。シリルくーん、俺っちの隣も空いてるよー?」
「今はちょっと無理です」
「おっ、てことは後でならオッケーなんだな!」
「お前に今も後もねぇよ」
「だから足蹴り反対!?」

 あぁ、今ほど兄様の体が大きくて良かったと思ったことはない。
 一時しのぎでしかないし、殿下たちの中じゃ、僕はこの年になってまで兄弟の膝の上に座る人間で確定だろうけどさっ。
 今後も僕は社交界に出る予定はない。
 クラスは一緒だけど、流石にもう殿下と関わることもないだろう。
 だから気にするなと自分にいい聞かせる。

「オレがやりたくてやったことだから、シリルがヘコむことないぞ」

 俯く僕の頭に兄様の手がのる。
 うっかり涙腺が緩んでしまいそうになって、兄様の服の裾を掴んだ。

 結局その後、また兄様に抱かれて教室に戻ることになって、二度とサロンには行かないと心に誓った僕だった。


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