002

「……ただいまー」

 家に帰るなり、僕は手に持っていたバケツを少し荒っぽくその場に置いた。

「キワ? お帰りなさい! 今日はお客様が……って何ぐったりしてるのよ。そんなんじゃお父さんみたいな立派な狩人にはなれないわよ!!」
「そうはいってもさ……」

 あんなことがあった後で二つも水の入ったバケツを運んで帰るのは、本当に疲れるんだ……。
 また溜息を落としかけたとき、何か重大なフレーズを聞き流していることに気が付いた。

「え……母さん、今お客様っていった?」
「いったわよ。今日はお客様がいるから行儀良くしなさいねっていおうとしたの!」
「て、何でイキナリ? むしろ誰が? 叔母さんから手紙なんて届いてないよね?」

 僕たちの親族はここから山三つ分越えたところに住んでいるから、そうそう気軽に遊びには来れない。
 それに来るときはいつも前もって手紙が届けられるのが決まりみたいになってる。
 この時間帯にそれ以外のお客さんといえば、年に一度あるかないかぐらいの本当に珍しいものだった。

「うん、何でも旅の人みたいでね、今日の宿に困ってらしたから家にお誘いしたんだけど……お父さんにはお母さんがこういってたことは内緒ね、これがまたすっごく格好良い人なのよ〜!」

 出た、母さんの面食い。
 母さんは格好良い人、綺麗な人、可愛い人、とにかく顔が良い人に弱い。
 父さんと結婚した決め手だって、最初に最後に顔だったと豪語する人だ。当時近隣の村で人気NO.1だった父さんを母さんがどうやってオトしたかは、僕が小さい頃、子守唄代わりにいつも聞かされていた。
 そんなミーハーな母さんも、今は父さん一筋と言い切っている手前、父さんの前ではあまり他の人の顔を誉めたりはしない。

「やっぱりねぇ、どんな人もお父さんに比べれば、どこか落ちる部分があったんだけど……今日の人は違うわ!まるでお父さんの若い頃を見てるみたい!! どこか神々しくて、格好良さと綺麗さを兼ね備えた人……あんな人、早々お目にかかれないわよ!」

 ただ単に父さん以上の人がいなかっただけかもしれない。
 今回だって、他の奥さんたちとどんな熾烈な争いがあったのか想像に難くない。

「ほら、キワも挨拶してらっしゃい。前からお兄ちゃん、欲しがってたでしょう」
「う、うん……」

 何となく会話の内容から、お客さんが男の人だとは予想がついてたけど……お兄ちゃんというぐらいだから、僕と歳がそんなに離れていないのかもしれない。
 そう思うと少し胸が高鳴った。
 台所を抜け、居間への引き戸を開くと、その人はいた。
 ちょうど入り口と向き合うように座っていたので、居間に入るなり僕と目が合う。
 瞬間、失礼だとは思いつつも、僕は見惚れてしまった。
 何ていうか……母さんがいった通り、格好良さと綺麗さを兼ね備えた人だった。
 僕より一回りも二回りもしっかりした腕や肩幅は成人男性のそれだったけれど、全然ガサツさや粗こつさを感じさせなくて、一つに結われている蒼く長い髪は部屋の中だというのに灯りにキラキラと反射して、まるで湖の水面のようだと思った。筋の通った目鼻は彫刻のように美しく神話の登場人物を連想させる。
 しっかり数秒間は見詰め合った後、ゆっくりとエメラルドグリーンの瞳が細められた。

「君がキワくん? はじめまして、私はセレスといいます。今日は君のお母さんのご好意に甘えてお世話になります」

 丁寧に頭を下げられて、ボーとしていた僕も我に返る。

「い、いえ! こちらこそ……! キワです。よろしくお願いしますっっ」

 慌てて後を追うように頭を下げれば、くすくすと頭上で笑い声がした。
 カァーっと顔に熱が集まる。

「あはっ……ごめんごめん、見た目以上に可愛らしい子だなって思って。キワくんはお母さん似? もっと近くで顔を見せてくれないかな?」

 いわれて、そろそろとセレスさんの方へ近づく。
 本当に目の前までいくと、そっと僕の頬をセレスさんの両手が包んだ。
 否応なしに目が合って、僕は完全に動けなくなる。
 何か……凄く力のある目だと思った。
 一言にエメラルドグリーンといっても、実際はいくつもの色が混ざり合っているようで、本当にそれをエメラルドグリーンといっていいのかさえ分からなくなる。
 もしかしたら明るい昼の空の下で見れば、マーメイドブルーのように薄い青緑色かもしれなかった。

「うん、目元はお母さん似かな。さっきお父さんの絵姿を見せてもらったけど、顔のつくり自体はお父さん似かもしれないね」
「そ、うですか?」

 いつも母さん似だと評されてばかりなので、セレスさんの感想は素直に嬉しかった。僕にもちゃんと父さんと似てるところがある……。
 同年代の男の子たちに『お前女なんじゃないのか』ってからかわれる度に、どうして自分は父さんに似なかったんだと悔やんでばかりだったけど、ちゃんと父さんに似たところもあったんだ。

「せ、セレスさんは……」
「ん? セレスでいいよ、お世話になるのは私の方だし。何だったら“お兄ちゃん”でも」
「えぇっ!!?」

 僕の驚きっぷりに、セレスさんが腹を抱えて笑う。
 頬に当てられていた手の温もりが消えて、少し寂しさを覚えた。

「あははっ、本当にキワくんは率直に反応してくれるからいいよね。さっきお母さんと話してた会話が聞こえたんだ。キワくん、兄弟はいないんだね」
「あ、うん。この村じゃ兄弟が三〜四人はいて当たり前なんだけど、僕は一人っ子で…だから…」

 だからずっとお兄ちゃんに憧れてた。
 妹や弟も可愛いなって思えたけど、近所に小さい子がいるので、強く願望に残ることはなかった。

「ふーん、じゃあちょうど良いかもしれないね。私にも兄弟はいないし……鬱陶しい悪友はいるんだけど。喋りにくかったら丁寧な言葉遣いもいいよ、いつものキワくんの口調で話して。そっちの方が私も気が楽だから」

 そういってニッコリ微笑まれたら、嫌だなんていえない。
 実際舌を噛むような言葉遣いは苦手だった。基本的にお客さんといっても、近所の人や身近な人が多いので、改めた口調で話す機会が少ないせいもあると思う。

「そういえばさっき何かいいかけてたよね?何かな?」
「あ……、セレスはお父さんとお母さんのどっち似なのかなって思って…」
「あぁ、そんな話をしてたもんね。うーん……むずかしいなぁ」
「むずかしいの?」
「よく知らないっていうか、覚えてないっていうか……気付いたときには一人だったし」
「へ……?」

 聞いちゃいけないことだったんだろうか。
 しかし当のセレスは気にした様子もなく、どうだったかなー? と記憶を手繰り寄せているようだった。

「んー……ごめん、やっぱり思い出せないや。また思い出したらいうね」
「ううん、僕もちょっと気になっただけだから」

 首を振ってこたえると、そっと頭を撫でられた。
 瞬時に緊張が走る反面、どこか心が安らぎを覚える。温かい気持ちが広がっていく。

「キワー! そろそろお父さんも帰ってくる頃だから、食器の準備してー!」

 母さんの声が台所から聞こえて、一瞬で今までの雰囲気が霧散する。
 それに名残惜しさを感じながら、僕は呼ばれたままに台所へと向かった。

(もうちょっとセレスと話たかったな……)

 それから間もなくして父さんが帰ってきて、4人での団欒を楽しんだ。
 セレスを目の当たりにした父さんもしばらくの間見惚れてしまって、母さんから肘鉄をもらったのはここだけの話。


◆◆◆◆◆◆


 チチチ…と、小鳥の鳴き声と眩しさを感じて、パチッと目を覚ます。

(セレスは!?)

 昨日は僕の部屋にセレスを招いて就寝することになった。
 旅の話を色々聞かせてもらって、僕は本当にお兄ちゃんが出来たようで、寝るのも忘れてずっと話をしていたい気分だったけど、知らない間に睡魔に負けていたらしい。
 セレス用に出された布団が片付けられているのを確認して、僕は一気に焦る。

(もしかして、もう行っちゃったってことはないよね!?)

 バタバタと寝癖もそのままで、僕は居間へと走った。
 途中足がもつれそうになるものの何とかしてバランスを持ち直す。

「おはようっ!」
「おはよう、よく眠れた?」

 勢い良く居間への戸を開けると、一番に髪を結われているセレスと目が合った。

「もうキワ! 昨日は遅くまでセレスさんを寝かせなかったそうじゃないの! しかも寝癖もつけたままだし……はぁ、お父さんはもう漁に出かけたわよ」

 まだセレスが家にいたことに安堵するのも束の間、自分のみっともない姿を思い出し慌てる。
 あぁ、せめて寝癖ぐらい直せばよかった……。

「早く顔を洗って着替えてらっしゃい。朝ご飯はもう出来てるから」
「うん」

 素直にそうしようと思って踵を返しかけたところで、気になったことを聞いた。

「どうして母さんがセレスの髪を結えてるの……?」

 しかも昨日は後ろで一つ括りだったものが、横髪を三つ編みにされ後ろで結ばれている。残された髪はそのまま肩に流されていた。

「えっ、だってセレスさんが良いですよっていって下さったんだもの」
「泊めて頂いたお礼に何か出来ることはありますか? って聞いたら、ね。逆に私の方がまた助かってしまうんだけど」

 これじゃあお礼になってないよね、とセレスは苦笑する。
 とんでもない! と母さんは嬉々として、用意した色とりどりの紐を選んでいる。

「娘が出来たら色んな飾り付けをしてあげようと思って揃えたんだけど、実際に生まれてきたのは男の子だし。キワもキワであまり長く髪を伸ばしてくれないし〜」
「だって邪魔なんだもん」
「こうやってセレスさんみたいに結べば邪魔じゃないの! お母さん楽しみにしてたのに〜」

 ぶーぶーと不平を漏らす母さんの姿は、本当に他のお母さんたちと同年代なのだろうかと思ってしまう。
 僕が一人っ子なのは、僕を産んだときのお母さんの年齢が、既にある程度を過ぎていたせいもある。
 若作りなだけかもしれないけどね。
 そんな僕と母さんのやりとりを見て、楽しそうにセレスさんは笑っていた。
 ちゃっかりお役に立てて光栄です。なんていって母さんを喜ばせてる。
 何かいいなぁ、って思ってしまう。
 別に今までが悪かったとかじゃなくて、すっかりセレスも家に馴染んでて、人が一人多いだけでも、これだけ家が賑やかになるんだと思うと不思議だ。
 けどそれ以上にとても温かくて…、すっごく心が温かくなって……。

(でも……今日でお終いなんだよね)

 沈む気持ちをどうにか誤魔化そうと、僕は急いで庭へと向かった。
 庭には大きな水瓶があって、雨で降った水を溜めてある。
 上部に小石とかが詰められていて、ある程度ろ過されるようになっている。また飲み水には飲み水用の水瓶が台所にあった。
 そこには僕が毎日汲んでくる水や、父さんが上流で湧き出ている水を持って帰っては入れている。
 僕は飲み水用の2倍はある生活用の水瓶の栓を捻って、そのまま頭から水をかぶった。ザーと流れる落ちる水が、さっきの沈んだ思考も洗い流してくれるようだった。そのまま顔を簡単に洗い、出されている布で大体の水分を拭う。

 服を着替えて居間に戻ると、僕を待たず既に朝食の準備が始まっていた。
 僕は慌ててセレスの手にある重ねられた食器を奪う。

「僕がするから!」
「いや、でもこれぐらいはしないとね……?」
「いつもそれぐらいだといいんだけどー」

 セレスの横から温めたお鍋を持った母さんがするりと現れて、居間に料理を運び込んでいく。

「うるさいなー!」
「どっちが。ほら、早くなさいな、冷めたら温め直した意味がなくなるでしょ」

 急かされてセレスと二人、とくにこれといった用意もしないまま腰を下ろした。
 大体いつも母さんがテキパキと用意してしまうので、僕がすることがないんじゃないか…。

「それじゃ、はい、キワくんお祈り」
「お祈りですか?」
「え? セレス、お祈り知らないの??」

 あれだけ色んな話をしてくれたセレスにも知らないことがあるんだと、僕は妙に驚いてしまった。
 そんな僕を他所に、母さんがお祈りについての説明を始める。

「ここじゃ食べる前に、自然の恵みに対して湖の女神に感謝の祈りを捧げるんですよ。元々あたしが育った村にもこんな風習はなかったんですけど……、感謝の気持ちを常に持ち続けるっていうここの慣わしに感銘を受けて、主人と二人ここに移り住んだんです」
「……そうなんですか、じゃあしっかりやらないといけませんね」

 そうだったんだ。
 僕にとっては生まれてからずっと当たり前のことだったから、他のところでもそうなんだと思い込んでいた。
 思い起こせば昨日のセレスの話でも、地域や村によって違う習慣があるようなことをいってた気もする。
 忘れてたわけじゃないけど、さっき必要以上に驚いてしまったのが気恥ずかしい。
 けれど、この村の習慣を僕がセレスに教えるんだと思うと、少し誇らしかった。

「じゃあ、始めるね。……光より、闇より生まれる全てのものに、風が、火が、水が、大地が祝福を与えんとするものを手に出来る喜びを。母なる湖の女神様に感謝の祈りを捧げます」


◆◆◆◆◆◆


 あっという間に、東にあった太陽が真上へと位置を変えていく。
 じょじょにセレスとの別れの時間が近づいてくる。

「それじゃキワ、今日もお願いね」
「はーい」
「……やけに今日は返事が良いじゃない」

 昨日と同じように、母さんからバケツを二つ預かる。
 セレスも出て行く前に身体を洗いたいということで、最後に一緒に水浴びに出かけることになり僕は上機嫌だ。

「行ってきまーす」
「行ってきます。本当にお世話になりました」

 荷物を携えたセレスが母さんに向かって礼をする。
 ただ頭を下げるだけの動作なのに洗練されたようなセレスの動きは美しかった。

「いえいえこちらこそ、大したおもてなしも出来ませんで…また寄ることがあったらいつでも声をかけて下さいね」
「うん、絶対だよ!」

 母さんに続いて僕も力強く頷く。
 それだけセレスと過ごした時間は楽しかった。
 本当なら行って欲しくない、お別れなんてしたくない。けどそんなことをいっても、思っても仕方がないことは分かりきっているので口を噤む。

「有難う、また機会があったら寄らせてもらいます。……キワ、行こうか」

 セレスに促され、横に並んで湖へと続く林の中を歩く。

「お母さんに聞いたんだけど、いつもは水浴び行くの渋ってるんだって?」
「え゛!? あーもう、何で余計なこと喋るかなー!?」
「あはは、水運びが嫌なんじゃないかっていってたけど、そうなの?」
「う……」

 返答につまった。

(本当のことを……湖での出来事をセレスになら話しても大丈夫だろうか? というか話せるんだろうか? どう説明するつもりだ? あんなことされてるって………無理だ、いくら何でも恥かし過ぎる!)

「キワ?」
「う、うん、そうなんだ! 水浴びした後に、バケツ二つ分も水運ぶのって疲れるんだよね。折角流した汗をまたかいちゃうときもあるし!」
「あぁ、そうだね」

 少し間が空いた。
 セレスの話し方は独特で、時折ゆったりと言葉をはさむときがある。大勢で話しているときは何とも思わなくても、こうして二人で話しているときには、度々間が空くことがあった。
 けれどそれは決して不快なものじゃなくて、むしろセレスの雰囲気に包まれるような感じがして心地よかった。

「あ、見えてきたね」

 セレスの言葉で、外していた視線を湖へと向ける。
 大丈夫、今日はセレスがいるんだから何も起こらない。

「ここは男子専用だって?」
「うん、女の子や母さんたちはもう一つ向こうの湖に行ってる。父さんや他の男の人たちは漁をした帰りに、そのまま一番大きい湖で水浴びをしてくるよ。だからここはほとんど男の子しか使わない」

 昨日の気分がまるで嘘のようだった。

(人がいるのっていいなぁ……)

 僕が服に手をかけるのを見て、セレスも習うように服を脱ぎだす。
 簡単に脱げる僕の装いとは違い、セレスのは装飾も多く、少し手間取っているようだったけど、それでもすぐ全身が露わになって、僕は思わず凝視してしまった。
 綺麗な人だとは思ってた。
 服では隠しきれない胸の厚みとか、腕や足の筋肉とか、ある程度想像もしていた。
 村の男の人たちは漁を生業にしている人がほとんどなので、特別体を鍛えなくても自然と逞しい人が多い。父さんもそうだ。
 何回か役人の人を見かけたことがあるけど、室内で仕事をしている人との差がこんなにもつくのかと驚いたぐらい。
 それほど見慣れていたもののはずだったのに……。

「そんなに見つめられると恥ずかしいなぁ」
「あぁっ、ごめん……!」

 気恥ずかしさを隠すようにザブザブと先立ってセレスは湖へと入っていく。
 僕も気の悪さを紛らわせようと後に続いた。

「珍しいものでもないでしょ? 男の裸なんて」
「……そうなんだけど……セレスのって、見本みたいによく均整がとれてるっていうか……、すごいなって思って」
「キワも十分綺麗な体だと思うけどね」
「ぼ、僕のは! ……情けないだけだから…」
「えー? そんなことないよ。それにキワくんは私と違って、これから成長するんだし。水運びだって頑張ってるんでしょ?」

 真摯にいってくれるセレスに悪いと思いつつも、僕はセレスを直視出来ずにいた。
 一度見たら目が離せなくなりそうで……。

(ど、どうしよう……、変だよね、何でこんなにそわそわするんだろう……?)

「ぅえ!?」

 急にセレスに抱きすくめられて体が固まる。
 熱いセレスの息が耳をかすめた。

「……ダメだ……」
「え……?」

 セレス? と続くはずだった言葉は、当のセレスによって遮られた。
 唇にかすかな圧迫感。
 それよりも抱き込まれている腕が痛い。
 言葉を発しようと口を開こうとした瞬間、口の中に生温かい感触が広がった。

「んんっ!」

 それがセレスの舌だと気づくのに、どれだけ時間がかかったのか分からない。
 気づいたときには頭がボーとして、上手く思考が働かなかった。

「は、ぁ……セレス?」

 セレスを見上げれば、強い瞳とかち合う。
 僕は動揺を隠しきれなかった。

「セレス? ……あ、やっ……なに……?」
「キワ……」

 束の間離れていたセレスの顔が、今度は僕の首元に埋まる。

(えっえっえ……?)

 自分がセレスの旋毛を見下ろしていることに違和感を覚えた。
 頬を撫でるセレスの髪がくすぐったい。
 ときにチリッとした痛みを感じて我に返った。

「セレス? ね、何して……?」
「ずっとこうして触れたかった、直にキワの温度を感じたかった」
「意味が……っ」

 急に腰を撫で上げられて、息が詰まる。
 既視感が全身を覆う。

(あ……、この感じ……?)

 ダメだと先に体が反応した。
 今までセレスに預けていた体に力が戻る。一息にセレスから離れようと腕に力を込めた。
 だけどセレスの体はびくともしない。

「ふぁっ! や、やだ……っ! セレス……!!」
「嘘、いつも気持ち良さそうにしてるじゃない……」

 セレスの手が僕自身を扱きだす。
 うそ、うそ、嘘……! 必死にセレスから逃れようとしても、一向にセレスの力は弱まらない。次第に足にも力が入らなくなってくる。

「何で? どうして? ……やだよ、セレスっやだ!!!」
「こんなになってるのに?」

 ちゃぷ……と僕のに湖の水が絡まる。
 まるで湖の水がセレスと一緒に僕を扱いているような感覚に、より一層既視感が強まった。

「知ってるよ、ここがいいんだよね? ……あと、ここだっけ?」
「あっ、やぁっ!!!」

 弱いところを次々に責められて、ビクンッと背中が跳ねる。
 体がいうことを聞かない。

「可愛いね……、ここもこんなに尖って」

 おもむろにセレスが僕の乳首を口に含む。
 こりこりと舌で尖端を刺激されて、声が漏れた。

「はっん……んっ……やぁっ……」

 涙が自然に頬を伝って落ちる。
 ずっと止まずに続けられている僕自身への愛撫に、無意識に腰が動いていた。
 それに気づいたように、セレスが僕の胸から口を放す。
 浅瀬に寝かされたと思った瞬間、セレスが上に覆いかぶさってきた。
 両肩に足を掲げられ、体がセレスに向かって開く格好になる。
 恥ずかし過ぎる格好に、抵抗するように起き上がろうとするけど、更に足を持ち上げられて逆に湖に沈む形になる。
 耳をかすめる水面がひどくもどかしい。

「や、やだっ!?」
「キワの嫌だは、良いと同意語になってるよね。…溢れてるの自分でも分かる? ほら、いくら水で洗っても、すぐぬるぬるするよ」
「んーっ」

 亀頭を弄られて、行き場をなくした快感を紛らわすように全身が震える。
 どうしてこんなに今日の湖は静かなんだろう、くちゅくちゅとセレスが尖端を弄る音だけが鮮明に聞こえてくるようだった。
 途端、ぐっと指を潜り込まされた感覚に、体が強張る。
 浅く出し入れされる度、隙間から水が中に浸入しようと機会を伺っているようだった。
 焦って声が上ずる。

「セレスっ、セレス!?」
「大丈夫。いつもひどいことしないでしょ? 実体がある分、どこまで自制が利くかは分からないけど……」
「何で!? 実体って……な、に」
「話してる方が楽? 息がつらそうだけど……。私たち自然に住む高位精霊はね、普段実体を持たないんだ。だけど今の私みたいに力を溜めれば、実体になることが出来る……」

 言葉の切れ目と同時に、更に深くへと指を押し込まれた。
 何とか話に集中して気を紛らわそうとしても、思い出したかのように加えられる強い刺激にすぐ意識を持っていかれる。

「は……っん、あっ、あっ……!」
「もうそろそろかな? 大丈夫……? いくよ」

 熱い息が耳に吹きかけられたと思った瞬間、入り口を一気に広げられ、間を置かずセレスが中へと侵入してきた。

「んぁっ!?」
「……っ大丈夫……」

 ゆっくりと腰を押し進めながら、セレスはあやすように僕の頭を撫でた。
 入ってくる圧迫感に上手く呼吸が出来ない。
 それでも、セレスの手が大丈夫だと僕に告げてくれる。

(……いつも、こんな感じだったっけ……?)

 水のときと実体では、やはりこちらが受ける感触も変わってくるのか、セレスが触れるところ全てが熱く感じる。
 ジンジンとしたり、歯痒かったり、いつも以上に肌で感じる情報が多い。
 セレスが僕の中でうるさく脈打っているのが分かる。
 だから余計、僕に余裕なんてなくて……。

「あっ、あっ、あっ! ……んっ、……っ……あぁっ!」

 強く腰を打ちつけられて視界が上下にブレる。
 体の奥が熱い。
 何かうねるような奔流が僕の体を支配する。

「キワ……キワ……」

 揺さぶられる間、何度も僕を呼ぶセレスの声が熱い。
 二人とも水に浸かっているのが嘘のようだった。

「愛してる……ずっと……ずっと、君を見てたんだ……」
「あっ、やぁっ!!?」

 セレスの尖端がある場所を通り過ぎた瞬間、僕の身体に電流が走った。
 ビリビリと余韻が体に残る。
 今まで感じたことがなかった感覚に頭が混乱する。

(何……これ、変……!)

「ここがいいの?」
「ぃや! やだっ、セレス……っやめてぇ……!」

 必死に懇願しても、セレスは責めるのを止めてはくれなかった。

「や、だよっ……へん、に、なる……!」
「変じゃないよ……私も一緒……ね、キワ、一緒にイこう……?」
「やぁ、んっ……セレスっ、セレスっ!」

 腰の動きと一緒に、胸の突起を舐められて、僕はもうどうしたらいいのか分からなかった。
 セレスにしがみついていなければ、どこかへ行ってしまいそうだった。

「キワ…私のキワ……」

 ぐちゅぐちゅとセレスが出し入れをする度、刺激と相まっていやらしい水音が僕を襲う。

「あぁ! くっ、あぁっ! ……っ……もぅっ……!」

 背中が何度も跳ねる、まるで痙攣してるみたいだ。
 次第に意識も遠くなっていくようだった……、ふいに訪れる浮遊感。

「んーっ!!?」


◆◆◆◆◆◆


 目が覚めたとき、セレスの姿はどこにも見当たらなかった。
 情事の後の汚れが一つもない自分の身体を見て、改めて彼がこの目前に広がる湖の精霊なのだということを知る。
 やっと怒りをぶつけられる対象が見つかったのに……。
 力を溜めて実体を持つっていってたけど、ずっとじゃないの?
 姿は見えない。
 でも彼は“いる”。
 いつもと変わらず、悠然と水面を光で飾りながら、僕を見ている。

 あれから、相変わらず僕はこの湖で汗を流している。
 水の中で行われるイタズラも変わりはなくて、僕はまた理不尽な怒りに悩まされながら日々を過ごしていた。
 けれどもう誰に怒りをぶつければいいのか分かっているので、以前のような薄気味悪さはない。

(とりあえず今度姿を現したときは殴る……!)