001─高等部一年─

 まるでそこに花道が存在するかのように、男子生徒たちが左右に分かれて人垣を作る。そしてその中心を歩く二人に、白い息を吐きながら黄色い声を上げた。

「きゃー! 怜様の今日のお姿もお麗しいっ」
「眞宙様の微笑みを朝から見られるとは、なんて素晴らしい日なんだ……!」

 季節は、年が明けた冬。
 寮から学び舎である校舎までの道のりで繰り広げられる毎朝の光景は、どこか舞台染みている気がしないでもないものの、これがこの学園の日常だった。

 僕が在籍する私立鳳来《ほうらい》学園高等部は、全国から集まった 財閥名家の子息が多く在籍する、全寮制の男子校だ。
 都内でも自然が多く残る山手に位置していて、森に囲まれた緑豊かな立地は、自然の城壁と呼ぶに相応しく、学園を忙しない社会から隔てるのに一役買っている。
 そのせいもあり、学園内では、どうしても特殊な環境が形成されがちだった。
 でもそんな鳳来学園の生徒は、卒業して社会に出ると国を担う重職に就くことも多く、日夜将来に向けての研鑽も惜しまない。

 自分もそんな学園の一員として、そして目の前を歩く幼馴染みの親衛隊長という自負を持って、僕、湊川《みなとがわ》 保《たもつ》は人垣となった生徒同様に声を上げる。
 両手を頬に添えて、少しでも本人に声が届くように。

「怜様、格好いいー!」

 声が届くも何も、真後ろという至近距離から声援を向けられた怜くんは、後ろを振り向いて僕の顔を確認すると、眉間に深い溝を作った。
 あぁ、そんな不機嫌な顔も格好いいなんて、やっぱり細胞の一つ一つからして僕とは造りが違うんだろうか。
 振り向きざまに揺れた銀髪が、日光でキラめく瞬間を見て、そんなことを思う。
 また冬の澄んだ朝の空気が、怜くんの持つ鋭い雰囲気ととても似合っていた。

 鳳来学園付属の幼稚舎からの幼馴染みである名法院《みょうほういん》 怜《れい》、通称怜様は、国内でも特に歴史があるとされる財閥五家の一つ、名法院家の跡取りだ。
 江戸時代、商人として栄えた名法院家は、両替商としても成功を収め、その金融基盤で、後の重工業の技術者を創業者として持つ新興財閥を飲み込み、更に勢力を拡大させた。
 重工業のノウハウを得た後は、銀行をはじめ、鉄道、自動車産業と、名法院グループの子会社の数はゆうに千を越えるといわれていて、今もなお増え続けているらしい。

 名家としての家格もさることながら、怜くん自身も容姿端麗とあって、お近づきになりたいという人は後を絶たない。
 日本人離れした長身に、クセのない銀髪は顔の輪郭に沿うように切り揃えられていて、光が当たる度にキラキラと輝きを放つ。切れ長の目に収まる瞳は、まるでエメラルドグリーンの海をそのまま結晶化させたような透明感を持っていた。これだけ見ると外国の血が入っているようにしか思えないけど、怜くんは生粋の日本人だ。
 一流のデザイナーによる濃紺のブレザーに身を包んだ姿は、海外ブランドのモデルにしか見えなくても。
 私立鳳来学園高等部において、そういった外見を持つ生徒は珍しくない。

 怜くんの斜め後ろを歩く、僕のもう一人の幼馴染み、佐倉《さくら》 眞宙《まひろ》、通称眞宙様も柔らかなワインレッドの髪を持っている。瞳はどこか妖艶な雰囲気がある桃花眼で、色は赤よりの茶色。光の加減によっては、夕焼けのようなオレンジ色を見せることもあった。
 いつも柔らかな笑みを絶やさず、分け隔てなく誰に対しても人当たりがいいことから、怜くんと学園の人気を二分している。
 そんな眞宙くんは佐倉家の次男坊で、 佐倉家も名法院と並ぶ歴史ある財閥五家の一つだった。
 国内の金融に関しては、古くからある財閥五家が牛耳ってるといっても過言ではなく、幼稚舎で名法院家と佐倉家の子息と交友を築けた僕は、金融部門が弱い新興財閥である湊川本家から、とても褒められた記憶がある。

 そう、苗字は同じ湊川でも、僕の家は分家にあたるんだ。そして僕はというと、上に兄が二人いることから、家督を継ぐ必要のない自由な三男坊という立場だった。
 幼馴染み二人と比べ、重責がないからかどうかは分からないけど、僕の容姿に日本人離れした点は見られない。両親からの遺伝といってしまえば、それまでなんだけどね。
 髪はカラスのように黒く、瞳もまた、同じように黒かった。
 唇の下端にある小さなホクロが、チャームポイントとも言えなくないかな? ただ見た目は、純和風と言っていいと思う。
 背も163センチと低めで、まだ高等部一年生でありながら、身長180センチを目前に控える怜くんと対面すれば、自ずと見下ろされる形になった。
 不機嫌な表情を顔に貼り付けたまま、怜くんは僕に向かって薄い唇を開く。

「ふざけるな」
「本心だよ!? イエスッ、クールビューティー怜様!」
「黙れ」

 怜くんに悪ふざけだと断定されて、怜くんと僕、二人分の鞄を胸に抱きながら、即座に抗議する。
 どうして僕が怜くんの鞄まで持っているのかといえば、何となく持ち物を預けられると信頼を得ているようで嬉しいからだった。実質鞄も、二人とも教科書類は全て教室に置きっ放しだから、革だけの重みしかないしね。
 寮と校舎の行き来でしか使わないんだから、いっそ鞄なんてなくてもいい気がするぐらい。
 抗議するついでに、ぷぅと頬を膨らませると、怜くんは胡乱な視線を僕に投げつけた。

「だったらいつも通りに呼べばいいだろう」
「だって僕、怜くんの親衛隊長だしっ! 『様』付けは基本!」

 ぐっと拳を握って『親衛隊長』の部分を強調する。
 親衛隊というのは鳳来学園で目立つ生徒を対象としたファンの集まりみたいなものだ。特に狂信的な生徒を隊員にして、相互監視で暴走させない役割がある。
 怜くんの他には眞宙くんの親衛隊もあって、隊長は南くんというハニーブラウンのふわふわ髪の可愛い癒やし系男子だ。彼の笑顔を見ると、つられて僕も笑顔になる。そんな南くんは、今、眞宙くんの後ろに付いて歩いていた。南くんとは中等部からの友達なので、眞宙くんの親衛隊長に選ばれたときは、僕も一緒になって喜んだ。
 僕と怜くんは幼稚舎から一緒にいる幼馴染みというのもあって、学年が上がり高等部の寮に入る頃には、自然と親衛隊の人たちには隊長として受け入れられた。それまで僕が怜くん大好きアピールしていたのも大きいんだろうけど。

 普段は『くん』付けだけど、一際声を張り上げるときは、周りに同じ親衛隊の子たちの目もあるから、『様』を付けないといけない気がするんだよね。
 全校生徒の憧れの的である怜くんは、二つ名では氷の帝王様とも呼ばれてるし。銀髪に碧い瞳という涼しげな見た目の色合いと、凜とした佇まい、あまり笑顔を見せないクールフェイスがその由来と思われる。
 そんな僕の言い分に、先に反応を見せたのは眞宙くんだった。

「別に今にはじまったことじゃないんだから、怜も気にしなければいいのに」
「すぐ傍で声を上げられる俺の身にもなれ。何だクールビューティーって」
「冷たくも美しい怜くんの容姿を謳った……」
「説明はいらん」

 解説をはじめようとした僕の両頬を、怜くんは口を遮るようにして片手で掴む。むぅ……口がタコさんになって顔が不細工になるから止めて欲しいんだけど。
 僕たち二人に目をやりながら、怜くんとは対象的に眞宙くんは柔和な笑みを作って、不機嫌な幼馴染みの肩を叩いた。

「鞄も持ってもらって、いいご身分じゃないか」
「俺は頼んでない」
「そうは言うけど、怜が自分で持つって言ったら、保は返すよね?」
「うん、無理強いしてまですることじゃないしね?」

 ぺいっ、と怜くんの手を顔から退けて口を開く。
 好かれることならまだしも、わざわざ嫌がられることをするのは隊長以前に、親衛隊の風上にも置けないんじゃないだろうか。
 こてんと首を傾げながら答えると、怜くんは小さく舌打ちをして、止めていた足を動かした。見える背中に、このまま鞄は持っていてもいいのだと判断する。

「全く、素直じゃないんだから……」

 苦笑する眞宙くんに、僕も笑みを返して、怜くんの後を追った。
 小さい頃から笑顔の少ない怜くんの表情は、見る人によっては怖かったりするものだけど、長い付き合いの僕や眞宙くんは、彼がただ感情を表すのがちょっと不器用なだけだと知っている。
 いつか――二年生に上がる頃には――僕の行動に心底嫌気がさしているかもしれないけど、今はまだ、その兆しも見られない。
 仮に兆しがあったところで、僕は怜くんの傍から離れられないんだけどね。
 近い将来、学年が上がり、ゲーム主人公くんが編入してくるそのときも、僕は怜くんの親衛隊長として、大好きな、大好きな彼の傍に身を置く。
 僕が悪役として立ち塞がることで、彼らが幸せを掴むというなら……。
 僕は喜んで、その役目を全うしようと思うんだ。


◆◆◆◆◆◆


 僕が前世の記憶を取り戻したのは、中等部に上がり、立ち寄った職員室で高等部のパンフレットを目にしたときだった。

 ちなみに鳳来学園には付属の幼稚舎があり、高等部まではエスカレーター式になっている。山手にある高等部とは違い、中等部までは都心にほど近い平地に校舎が建てられていて、皆自宅から通っていた。
 全寮制になるのは高等部からで、高等部ではより優秀な人材を集めるべく、外部からの編入も受け付けている。

 記憶が戻ったといっても、その内容はおぼろげで、自分が前世男だったのか、女だったのかも定かじゃない。
 ただそんなおぼろげな記憶の中で、鳳来学園を舞台とするゲームの記憶だけは鮮明に残っていた。どうやら前世の僕は、よっぽどこのゲームが好きだったらしい。一番の推しキャラが怜くんだったのには、前世との繋がりを感じたよ!

 前世の僕がハマっていたゲームは、『ぼくときみのミニチュアガーデン』という、ファンには『ぼくきみ』と呼ばれていた私立鳳来学園高等部が舞台の、王道学園もののBLシミュレーションだ。

 ゲーム主人公くんは、僕らが高等部二年生のときに怜くんのいるクラスに編入してくる。残念ながら二年生のときには、僕と怜くんはクラスが別れるみたい。そして自分の知らないところで距離を縮める二人に、僕がヤキモチを焼いて、ゲーム主人公くんに嫌がらせをするという流れ。
 BLゲーム『ぼくきみ』の中で、僕は所謂《いわゆる》悪役の性悪親衛隊長という立ち位置だった。

 記憶が戻った当初は、今世と限りなく近いものの、違う歴史を持つ前世の世界に色々と混乱したけど、僕が怜くんのことが大好きだという事実は変わらなかった。
 前世ではプレイヤーとして操作していたゲーム主人公くんにも、思い入れがある。

 だから悩んだ末、僕はゲーム通りの親衛隊長になることを決めたんだ。

 幼稚舎ではじめて怜くんを見たときは、本気で天使が舞い降りたのだと思った。銀色の髪に透き通るような白い肌、ピンク色に染まった頬はふっくらとしていて、正に絵画に描かれる天使そのものだった。
 中等部に上がる頃には、頭も良くてスポーツも万能な怜くんは、周りから正真正銘の王子様だともてはやされるようになり、歳を重ねると王子様から帝王に呼び名は変わっていった。そんな怜くんと『名法院 怜』じゃなくて、『怜くん』として一緒に過ごせるのが、僕は何より嬉しかった。
 けど、怜くんにとっては、段々そんな僕が煩わしくなってくるんだよね。元々笑顔の少ない子供だったけど、僕と顔を合わせると眉間に皺を寄せることが増えていって……というのは、ゲーム知識なんだけど。
 あながち間違いでもないなぁ、と思う。
 名法院家という歴史ある名家の跡取りとして、周囲の期待に答えるべく見えないところで努力を重ねる怜くん。その重責は分家の三男坊である僕には計り知れない。そして『ぼくきみ』の僕は、それを知ろうともしなかった。
 僕が家に縛られない自由な立場であることも、怜くんには面白くないんだよね。

『家を背負う立場にない者が、軽々しく俺を語るな!』

 というのは、ゲーム内で怜くんが僕に言い放つ台詞だ。全くその通りなんだけど、『画面の中の僕』は、この言葉に反発してしまう。
 今でこそ、前世の記憶のおかげで視野が広がって、意味も理解出来るけどね!
 でも分家の末っ子として、何の責任もなく甘やかされて育った僕の性根は、変わらないとも思うんだ。
 今はまだ怜くんも傍で鞄を持つことを許してくれてるけど、中等部からこちら、顔を顰められる回数は着実に増えてるし。

 怜くんにとって、湊川 保が煩わしい存在であるなら。
 僕が親衛隊長としてゲーム主人公くんと対立することで、家の重責に押し潰されそうな怜くんが救われるというなら。
 答えは、自ずと出るよね?
 怜くんに嫌われちゃうのは怖いけど、どうせ嫌われる運命なら……と思う。
 怜くん、ごめんね! しばらく鬱陶しいかもしれないけど、性悪親衛隊長になって、僕が怜くんを幸せに導くからね!
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