character story

 刃物を持つ彼女からは、ただならぬ闘気が溢れ出ていた。
 もはや彼女を取り巻く空気すら重さを変え、身に着けた衣服を浮き上がらせる。

「ラキス、ラキス」
「・・・リュシク、邪魔しないで」

 一呼吸置いて、ラキスと呼ばれた少女は一点に力を集中させた。
 瞬間、大きく腕が振り上げられる!
 振り上げた手に持たれているのは、刃渡り20センチはあろうかという一本のナイフだ。
 正に今、目の前の獲物へと刃が下ろされようとしている。
 隣で一部始終を見ていたリュシクは、いてもたってもいられなくなり、危険を顧みる ことなくラキスの腕に掴みかかった。

「リュシクッ!?」
「ラキス、早まるな」
「どうしてさ!ボクのやり方に文句つけるっていうの!?」
「・・・状況を正確に判断して、力の使用は最小限に。そういう約束だろう?」

 時として必要以上にある力は諸刃の刃となる。
 何より自分たちを傷つけないために交わされた約束だった。
 正しく本物の刃を持つラキスの手が力なく下ろされるのを見て、リュシクはそっとラキス の手からそれを抜き取った。
 遠巻きに二人を見守っていたシェフたちは、一様に安堵の溜め息を漏らす。

「別にラキスを責めてるんじゃないよ?悪いんじゃない。ね、ラキス、今の状況をいってみて」
「・・・・・・・・・」

 まずは確認をとって、誤った認識があるのなら正さなければならない。
 改めて”兄”となったリュシクは、未だ世間に不慣れな妹に、少しでも多く教えられることが あればと、こうしてよくラキスのために時間をとっていた。

「・・・獲物が目の前に。周りに危険はない」
「獲物自体に危険性は?」
「・・・・・・ない」
「だったら”力”は必要ないね?」

 状況把握は正しい。
 ”力”が必要ないことはきっとラキスも分かっているだろう。
 ただ初めての経験に緊張して、力んでしまっているのだ。

「じゃあ僕が手本を見せるから」

 最初からそうしてくれ。誰が思ったかは分からないが、このとき厨房にいたスタッフは皆同じ 気持ちを抱いたに違いない。が、所詮本人たちにはあずかり知らないことである。
 リュシクの言葉に頷き、ラキスは幾分肩の力を抜いてリュシクの包丁さばきを見守った。
 筋を描くように切れ目を入れられた鶏のささみは、あっという間に開かれ、観音開きにされる。

「本当に力はいらないよ。ペンで文字を書くように、軽く流せば切れるから」
「分かった」
「じゃあやってみようか。あ、先に下味の合わせ調味料を作っておく?」

 何故こんなにも家事慣れしてしまったのか。
 確かに”外”に対して興味を・・・いや、興味以外の強い想いをリュシクが抱いていたのは 確かだけれど、こんなにも早く家庭というものに馴染んでしまうとは予想だにしなかった。
 まだ外の人間に対しては自分の方が対処出来ていると思うけれど・・・・・・。

 ラキスはまるで眩しいものを見るかのようにリュシクを見上げた。




「またどうしたの?お弁当を自分で作りたいだなんて」

 朝だって弱いでしょう?と慧理は新しく出来た妹に恋心を覚えた。もとい、感じ取った。
 いつも自分が新聞を読んでいる頃、目をしょぼしょぼさせて起きてくるラキスが、今日は自分が 起きる前に準備を整えているなど、ラキスが紫恩寺の家に来て以来なかったことだ。

「・・・・・・なんとなく」

 寝ているのか、起きているのか分からない受け答えだが、ちゃんと返事が返ってきている分、 起きているのだろう。もっとも、ラキスは常にこれだが。

「だぁれ?ラキスがお弁当を作ってあげたい、なんて思う子は」
「別に・・・ただ、女の子は料理が出来た方がいいっていうから・・・・・・」
「ふーん。日下くん?八杉くん?」
「八杉・・・・・・」
「ラキスが好きなのは?」
「・・・・・・・・・・・・」

 別に寝てしまったわけではない。
 攻めるように話かける慧理とは違い、ラキスは相手が話しかけてこない以上、自分からは 何も話さない。
 答えにくい質問にも答えない。
 曖昧にはぐらかすということを、ラキスはまだ出来ずにいる。
 毎度のことに慧理が気にした様子はない。
 隣にいたリュシクも同様で、我関せず紅茶を淹れてくれたメイドにお礼をいっていた。
 ただ一人、ハラハラと二人のやり取りに聞き耳を立てていた人物が口を開く。

「ラキス、交際は順序よく・・・」
「いざとなったら肌の一つでも見せればイチコロよ」
「慧理っ!!!」
「冗談よ。でもお父様、あんまり口うるさいとラキスに嫌われるわよ?」
「・・・・・・・・・いや、私は・・・」

 弱みが増えた父をからかうのは面白い。
 ことにラキスとリュシクに関しては言いたい放題である。高校卒業後、家にいる時間が 乏しくなった慧理にとって、家族が会する朝食は自分が優しくなれる数少ない時間だった。
 慧理パパとしては、高齢出産を控える妻と新しく出来た思春期の娘と息子、はたまた性別に 関りなく多忙な日々を送っている長女にと心配事は絶えない。

「そろそろ遙夏さんが来る時間だね」

 リュシクの問いかけに、ラキスが静かに立ち上がる。
 時間に正しい遙夏は、事件(遙夏曰く)がない限り定時通りにラキスを迎えに来るだろう。

「お弁当忘れずにね」
「・・・うん、・・・行ってきます」

 口々に発せられる行ってらっしゃいの声に、後ろからラキスを呼ぶ声がかぶる。

 何気ない日。
 今日は天気もいいらしい。

 屋敷を出て浴びた、太陽の眩しさに、ラキスは目を細めた。

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