character story

「午後6時、現在の時刻をもって本日の業務は終了とする」

 室内に凛、とした声が響き渡った。
 各々作業をしていた役員たちも、その声に動きを止める。
 地元でも一目置かれる進学校の代表である生徒会長、黒木日影(くろきひかげ)の声は、役職に 恥じず威厳あるものであり、聞くものには有無をいわす隙を与えなかった。

 ───はずなのだが、一人、教師さえも圧倒する生徒会長に否をのべられる者がここにはいた。
 生徒会副会長、通称”副長”(生徒会長命名)の連極清澄(れんごくきよすみ)その人である。
 副長は剣呑に眼鏡を光らせた。

「待ってください。校門が閉まるのは9時にのびたはずです。それに平時でも我々の閉門は7時、 余裕を見てもまだ業務を続けられます」

 秋の学園祭を控えたこの時期、生徒、教師とも学園祭の準備が慌しいことから、普段なら午後 5時で閉門されるところを、許可をとった生徒のみ期間限定で7時まで時間を許されることにな っていた。
 だがこの”閉門”、一般生徒、生徒会、教師とそれぞれに決められた時間が異なっていたりす る。
 とくに中でも生徒会の役員は、行事がある度に何かと準備に追われるため、他より2時間ほど多 く時間が設けられていた。

「バカ者!このご時勢そんな夜遅くに出歩いてみろ!即刻夜狩りの餌食だぞ!!」
「迎えの来ない者は既に一般生徒と同時刻に帰宅させています」
「考えが甘いといっておるのだ!皆が皆、牛車の迎えとは限るまい。はたまたSPがついてるわけ でもなかろうが!」
「・・・言動が時代錯誤してますが」
「細かいことは気にするな!ウサギにツノ、俺は帰る」

 いつのまに用意を整えたのか、日影は自分の鞄を肩に担ぐと一目散に出口へと向かう。
 けれど副長がハイ、そうですか。と通すはずがなかった。

「兎に角!あなたを帰すわけにはいきません。それこそ会長ならSPだってつけられるでしょう。 あなたに判断を仰がなければならない書類が山ほど溜まっているんです」
「お前俺を何様だと思ってる。確かに俺の家は一般家庭より台所事情はいいようだが、それだけ だ。かの紫恩寺家とは天と地ほどの隔たりが・・・」
「従兄弟すじと聞き及びましたが」
「従兄弟でも糸の子でも別物に変わりはない。お前あそこの総資本経常利益を知ってるか?化け 物だぞ。わざわざ裏から手を回して長者番付に名を残さないようにしてる奴らだぞ。つうかそん なことはどうでもいい、そこをどけ」
「だったら本日分の業務を終えて下さい」
「さっき宣言したはずだ。今日の分の業務は終わっている」
「あなたの号令だというだけで、実益を兼ねてません」

 まさに言葉の応酬。どちらも一歩も譲ろうとしない。
 常に取り残されている他の役員たちは、自分たちももっと口が回るようにならないとなぁ。と 間違ったベクトルで両者を見習う。
 生徒会長を中心に集まった生徒会は、自然と日影を強く信奉する者が多い。

「俺は軍師、ヤンを尊敬する」
「は?」
「だがその一方武将であり、皇帝でもあるラインハルトにも心を強く打たれた。生憎我が家には 庇護欲がかきたてられるような儚い金髪美人の姉はいないが、俺も同じ立場でキルヒアイスとい う唯一無二の友がいたのならば、ラインハルトを見習っただろう」
「・・・・・・日本は民主主義国家です」
「例えばの話だ。そしてお前がオーベルシュタインならば、俺は・・・・・・!!!」
「何ですか。むしろ誰ですか、オーベルシュタインって」
「・・・!!これだから今時の若者は!!!俺は悲しい、悲しいぞ。あれほどの名作を読んでい ないとは!日本国民の恥だ。恥を知れ」
「会長がその作品に傾倒していることはよく分かりましたから、書類にサインをお願いします」
「校長でもない人間に、それもハンコではなくサインを求める我が校のやり方は何か間違ってな いか?」
「『生徒に自立心を、学校も一つの社会である』が我が校の教えですから。生徒の代表である生 徒会長が会社でいう代表取締役にあたるのは自然のことかと。また日本の風習であるハンコでは なくサイン、個人名と筆跡を求めるのは世界に標準を合わせるためでしょう」
「あっそう。だが会社で例えるならば、会社は一種の帝国主義。ならば代表である俺の命令は絶 対だ。否はいわさん。・・・だが副長のお前が一番学校のことを考え、生徒のことを慮り、俺が率いる 生徒会を良きものにしようとしていることは俺が一番よく知っている」

 日影はそこで一呼吸をおくと、副長を真正面から見つめた。

「会長・・・・・・」
「知っているからこそ、あまりお前に負担はかけたくないと思う。学生にとっては学園生 活こそが生活の大半を占めるものだ。それを支える俺たちの責任と重圧は大変大きいものだろう。俺と お前だけじゃない、生徒会役員全てが皆の期待にこたえなくてはならない。誰にいわれるでもな い。役員たちの一番身近にいる俺が、一番お前たちの苦労を肌に感じて分かっている」

 声音を変えた日影の言葉に、副長だけでなく、その場にいた全ての役員が感銘を受ける。
 やはり自分たちが選んだ生徒会長に間違いはなかった。
 いや、黒木日影、この人以外に生徒を束ねる人間など存在しない。
 今や教師たちも会長に言葉を仰ぐことがあるくらいだ。もはや会長は生徒だけではなく、学校 の代表そのものといっても過言ではないだろう。
 このとき、生徒会室にいた全ての役員が同じことを思い、目頭を熱くさせた。

「中でも今、学校行事で一番生徒たちが力を入れるといわれている秋の学園祭が控えている。力 がいれられている分、生徒たちの思いも強い。そして俺はこの行事を最後とし、会長の任を解か れる。俺にとっても学園生活最後の学園祭だ、思い入れは他の生徒に負けないぐらいあるつもりだ」

「そうだ・・・会長はこの行事で・・・・・・」

 誰かがいった。
 その一言が波紋のように役員たちに広がっていく。
 口々で会長を呼ぶ声が聞こえ、中には鼻をすする者まで現れた。
 日影は沈んだ顔の役員たちを見回し、バカだなぁと頬を緩める。

「別にこれで俺がいなくなるわけでもなし。卒業までにはまだ時間がある、引継ぎはきっちりや らせてもらうさ。・・・・・・今生徒会最後の正念場だ。学園祭が近づくにつれ、業務は増える 一方だろう。だからこそ今の内に皆には英気を養ってもらいたい。俺がいつまでも居残ってたら、 皆帰れなくなるだろう?」

 最後は副長に向けられた言葉である。

「そうならそうと・・・いって下されれば・・・・・・」
「俺の遊び心だよ。そういうことだ、皆いいな?」

 はい!と一致団結した返事が間髪入れず教室に響き、バタバタと書類を片付ける音が後に続く。
 日影は副長の肩を軽く2,3回叩くと、生徒会室を出ていった。





 生徒会室を出た後、日影は足早に昇降口に向かって”歩いて”いた。
 生徒会長という役職にある手前、廊下を走るなどということは出来ない。
 が、日影が”歩いた”後には風が生まれる現状で、本当に歩いていると言えるのかどうかは怪し い。競歩の選手でさえ顔が青くなるようなスピードである。
 あっという間に昇降口へと足を踏み入れ、靴を履き替える日影の顔には焦りがあった。

「やっべー、間に合うか?」

 一瞬、窓から外に飛び出そうかとも思ったが、いかんせん生徒会室は校舎2階にある。
 日影自身に問題はなかったが、他の生徒たちはそうもいかない。

「次は通用しないだろうしー」

 今回は何とか場の雰囲気で流せたものの、同じ手は何度も使えないだろう。
 それにあの方法では時間がかかり過ぎる。
 とくに今日のように一刻も争うような日には・・・・・・。

「副長は真面目過ぎるのがたまに傷だな。・・・あぁ、尚生さん、まだ帰らないで下さいよー」

 目指すは従兄弟が経営する興信所・・・表向きだが、いわゆる探偵屋を従兄弟は営んでいる。
 一階に事務所を構え、地下にスポーツジムを有する三階建てのビルだが、とある理由から日影は 頻繁に従兄弟が経営する興信所を訪れていた。
 校門は既に閉じられているので、24時間交替でつめている警備員が管理する関係者専用の小さ な扉から学校を出る。ここで生徒手帳の提出を求められるが、日影は顔パスで警備員のおじさんに 軽く頭を下げると、今度は車をも追い越す勢いで大地を駆けた。




 目的の建物を視界に捕らえると、日影はスピードを落とすことなく今時珍しい手動の 扉を大きく開け放つ。

「エリ姉、尚生さんは!!?」
「慌てなくても、今日はこっちに一日いるって話してたでしょう」
「・・・・・久しぶり」

 やや圧倒されながら尚生が声をかけると、日影はいそいそと姿勢を直す。

「お久しぶりです、尚生さん。まだ時間は大丈夫ですか?出来たら手合わせをお願いしたいんです けど・・・」
「性急ねぇ、やっと落ち着いて帰ってきたんだから、もうちょっとゆっくりさせなさいよ」
「別に俺は構わないけど。朝から十分休ませてもらったし」

 呆れ顔の従兄弟とは異なり、尚生は桔梗の花を背負ったような微笑みを日影に向ける。
 ・・・・・・幾分、日影の妄想が入ってるところは否めないが。

「あれ?昨日の夜に着いたんじゃないんですか?」

 慧理の話では、昨夜の内に仕事先から帰ってきて、今日は報告も兼ねた事務所出勤だったはずで ある。尚生の言葉とはかみ合わない。

「どっかのバカがねぇ・・・・・・」
「渋滞は翔太郎の責任じゃないだろう?」
「見通しが甘いっていってるの。それくらい考えれば分かるでしょうに。しかもいまだにベッドの 中だなんて・・・いい加減、力の加減というものを覚えるべきだわ」

 どこまでも翔太郎に対する慧理の態度は辛らつだ。
 尚生はただ苦笑するばかりである。
 二人を目の前にして、どこか日影は羨ましく思う。
 きっとこれからどれだけ自分が同じ時間を過ごしたとしても、この人たちの間には入っていくこ とは叶わないだろう。それだけのものを越えてきた人たちだし、だからこそ自分はこの人たちを尊 敬出来るのだから、それを羨むのも勝手な話か。

「・・・何よ、達観した目で見ちゃって」
「そうですか?俺なんてまだまだだと思いますが」
「いや、日影はしっかりしてるよ。遙夏に爪のアカでも飲ませてやってくれないか?」
「あはは、ほんわか構えてるところが遙夏のいいところでしょう」
「正体バレてるんだから、今更猫かぶっても仕方ないと思うんだけど」
「エリ姉、向き合う態度に心が表れてるといって下さい」
「俺は素の日影も、居直した日影も好きだけどね」
「・・・・・・・・・」
「そこ!ナチュラルに口説かない、口説かれない!!」
「・・・え、俺?」
「・・・・・・ま、そこが尚生さんのいいところですよね」

 他愛もない話に花が咲いて、和やかな雰囲気に包まれる。

 こんな時間がずっと続けばいいと思う。
 永遠なんて望まない、ほんの数年、数十年でも長ければと願うのは、

 それが叶わぬ夢だと知っているからだろうか。

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