character story

 生前、日下忠信(くさかただのぶ)氏は、孫の慎里によくこういって聞かせた。

『運命には、先天性なものと後天性なものとがある。
 先天性なものは、お前がどう足掻いたところで変えることは出来ないだろう。
 だが後天性のものは・・・全てお前の判断に任せられる。
 分かるか?
 ・・・・・・私は、お前には運命を自分の手で掴みとって欲しいのだ』

 祖父の言葉に対して、慎里はとくに特別な意思を感じたことはなかった。
 顔を合わせるたび繰り返される言葉に、意識半分で聞き流していたのも否めない。
 けれど祖父が他界してからというもの、何故かそれが心にわだかまりを残していた。
 どうして祖父は、ああも繰り返し繰り返し自分に同じことを言い聞かせたのか。
 今更答えを求めることは出来ない。
 相手がいなくなって初めて気づくことがあ。それが今生の別れの後とは、何という皮肉だろうか。

 太陽の光サンサンと明るい日曜の午後、日下慎里(くさかしんり)はベッドの中で夢うつ つにまどろみながら亡き祖父のことを思い出していた。

 普通の人ではなかった・・・と、思う。
 戦時中、戦後と政治家を続けた人だ。少なくとも繊細な神経の持ち主ではなかっただろう。

 暖かい布団の中とは常世の楽園か。
 ぼぉっとした意識の中、思考が途切れることはなく、ゆらゆらと細い糸を紡いでいく。

「慎里ー!いつまで寝ているつもりです!?お昼食べなさーい!!!」
「・・・・・・うぇぁ」

 寝ぼけ眼の返事が母親に届くことはない。
 慎里は上半身を起こして、手探りで上に羽織るものを探した。
 このまま放っておけば、今度は直に起こし来るだろう。どうせ布団をもぎとられるのなら 自分から足を向けた方が賢い。
 階下に下りれば、リビングから食欲をそそる香りが漂ってきた。

「・・・あれ、父さんいたんだ」
「”いたんだ”とは何ですか”いたんだ”とは。まるで傷んでるようじゃありませんか。お父さん に失礼ですよ」
「麻衣子・・・・・・。慎里、休みだからといってダラダラし過ぎじゃないか。もう少しシャキっと しなさい。シャキっと」
「そうです。せっっっかく久しぶりに、帰って来られたんですから。親孝行しなさいな、次はいつ になるか分かりませんよ」
「・・・仕事が忙しいのはお前だって分かってるだろう」
「えぇ、存じ上げております。私たちのあずかり知らないところで、色々画策なさっておられる んでしょ。慎里、あなたのお父様は本当にエライ方であられるのよ。私たち国民のためと思って いるかどうかはさておき、いつも会議会議で、家族と過ごす時間を惜しむことなく仕事に精を出し ておられるんですから」
「わ、私だって帰れるものなら・・・」
「いいんですよ。慎里にはあなたのお父さんはお星様になったのよ。と幼いころから言い聞かせて おりますから」

 そういえば幼心に星を眺めて泣いたこともあったなぁ。・・・ふと、慎里は幼いころの自分の姿を思い 出した。

「おいおい」
「可哀想に、父親の温かさを知らずに育って・・・でも大丈夫、慎里、あなたにはお母さんが ついていますからね。子は父親がいなくても生きていけます」

 慎里は母親に抱き寄せられるままになっている。
 毎度の父親いびりだ。
 触らぬ神に何とやら。

「・・・・・・分かった、もう少し時間を作れるようにするから」
「毎回おっしゃられますよね。あなたの部下はそんなに無能な方ばかりなの?」
「・・・色々あるんだよ、色々・・・・・・」

「そろそろお昼を頂いてもよろしいでしょうか」

 いい加減にしないと折角のご飯が冷めてしまう。
 母親の毎度のお小言も、ストレス発散の一環だと知っている慎里は、頃合を見計らって父親に 助け舟を出した。
 慎里の一言で、母親は台所へと戻っていく。

「・・・流石にな・・・喋り始めたお前に”また来てね”といって見送られた日には、泣きた くなったよ。俺はそんなに父親たっていないだろうか」

 息子に切実に語っている時点で、既に家長たる威厳に満ちた姿はない。
 テレビ越しに見る伸びた背筋ではなく、少し肩を丸めた父親に、慎里は優しく微笑みかけた。

「俺の父親は父さんだけだよ」
「・・・慎里、それは他に選択肢があったってことか?」
「ご想像にお任せします」
「私はお前たちに不自由な思いをさせないようにと思ってだなぁ」
「はいはい、俺も母さんも父さんがそれなりに頑張ってることは知ってるよ」

 だけと人間って、ないものねだりな生き物だから。

 ・・・・・・幸せだと思う。
 自分が不幸だと思ったことは一度もない。

 けれど足りない。俺には何か、何かが足りないと感じるのは・・・・・・。

 これも、ないものねだりなんだろうか。

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